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ノート:AIR (ゲーム)/過去ログ2

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この記事は、 2007年6月30日 (土) 2:46 (UTC)にノート:AIR (ゲーム)より分割されました。


過去ログ

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評価・内容文について

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>また2006年12月6日にはBlu-rayディスクBOXが販売される。映像がHD映像にアップコンバートされるだけでなく、音声も5.1chサラウンドとなり、映像・音声の両面において次世代DVDの先駆けとなることで注目されている。

……という文が近頃追記されましたが、一度あれだけのもめた議論の上で決まったものを今更追加するのはいかがなものでしょう? それだけでは飽き足らず、劇場版のものだけを消すのは何故でしょう?
これは公開当時にサイトでも散々上げられてきたソースある「実績」なのですが?議論において「入場者数なら書いても問題はないのでは?」といわれたものを消すのはどういった了見なのでしょうか?
バランスをとるという意味でも決して劇場版の方は不必要ではないと思うのですが? あるいは上の文は誰が勝手に書き込んだかしりませんが、少なくとも「評価」の部分に追記すべきではないと思います。--210.227.199.108 2006年11月7日 (火) 14:16 (UTC)

上記の文章は、評価ではないと思うのですが。この記事の概要の文頭にも多々ありますが、「○年○月○日に○○○が発売された」という、単なる事実の記載です。特に、TV版を評価している記述でもなければ、劇場版とのバランスがどうこう などという問題になる記述でもないでしょう。劇場版の入場者数の記載については、ノートでの議論の通りです。最初の記述をそのまま残そうという結論です。--124.38.65.127 2006年11月7日 (火) 07:58 (UTC)

「単なる事実の記載です。」ということならば劇場版の功績の事実を書いても問題はないのでは? 以前のようにTV版に何ら影響を及ぼす記述ではないですし。AIRが元々18禁ゲームであったこと。短館上映であったこと……そういった背景を考えれば決して平凡な功績ではないと思うのですが?
それともそれを書いてしまうことで双方に何らかの弊害が生まれてしまうのでしょうか?
劇場版だけ表現が規制されているように見えますよ。--124.101.249.1012006年11月9日 (木) 1:33 (UTC)

さて、また同じ論議の繰り返しになるのは避けたいと思います。Blu-layが「○年○月○日に○○○が発売された」というのは、IP氏の言うとおり事実の記載です。それに対し、劇場版の入場者数が多い、というのは功績・評価です。124.101.249.101さんも自ら、「功績」だとおっしゃっていますよね。Wikiの記事に、事実を書くことになんら問題はありません。しかし、功績・評価を書くには、その作品の肯定派と否定派のバランスをとる必要があります。劇場版がそうだとはあえて言いませんが、どんな駄作にも、褒めようと思えば褒められる部分はあるのです。だから、どのようなバランスが良いのか、これについてノートで散々に論議されたわけです。十何人ものWikipedianが論議をした結果、現行の、Modmouseさんの記述案が一番、バランスが取れているという結論に達したわけです。「劇場版だけ表現が規制されている」というのは個人の主観であって、どうでもよいことです。多数のWikipedianが論議をし、この結論を得たことが重要なのです。あと、個人の主観によるrvは止めましょう。議論が起こる前の記述に戻しておきます。--124.38.71.221 2006年11月8日 (水) 17:07 (UTC)
事実だけを書けとおっしゃるなら「DVDは通常版の他、初回限定版としてスペシャルエディションとコレクターズエディションが発売されている」という記述ならどうでしょう。現状では文量のバランスが明らかに悪く、公平性を考えて決まったはずのModmouseさんの文章が悪く言えば台無しになってしまっています。上の文はあくまで「評価を中心として書かれている」場所に書くべきではなく、概要のTV版の記述の中に加筆したらいかがでしょうか? 最初の方の言うように少なくとも「評価」の部分に記述すべきではないということを言っているのでしょう。
それを結局「評価」の部分に加筆しているということは、事実の意図だけではなく「評価記述への補足」の意味も少しとはいえはらんでいるということではないでしょうか。だとすれば劇場版の入場者数も「出崎監督の演出を評価している人もいる」という記述に対する「根拠」として決して蛇足なものではないでしょう。--124.101.249.101 2006年11月9日 (木) 14:20 (UTC)
私も124.38.71.221 さんの意見に賛成です。「『DVDは~発売されている』という記述はどうでしょう」といわれますが、それならTV版だって,preludeやmemoriesや初回限定版があったをこと記述すべきです。でも、こんな細々としたことを記事にしたって、Wikiの精神に明らかに反しています。それに対し、Blu-layディスクの発売は、明らかに特筆すべきことです。まだ、Blu-layの媒体で発売されているDVDはほとんどないですから、これは記述されてしかるべき内容でしょう。
また、「『出崎監督の演出を評価している人もいる』という記述に対する『根拠』」とおっしゃられていますが、それも「評価」の一部でしょう。「評価」を「補足」とか「根拠」とかに言葉を変えているだけです。結局は、前に論議されたバランスを乱す一因子に過ぎません。
TV版の評価と劇場版の評価は現行の記述が一番バランスが取れていると判断されているのであり、如何なる「補足」「根拠」と名を変えた すなわち「評価」は、そのバランスを崩すだけです。また、Blu-layに関しては特筆すべき内容であり、「~エディションがある」などといったものと同一次元に語られるべき内容ではありませんので、記述をして問題はありません。--124.38.78.185 2006年11月10日 (金) 03:23 (UTC)
>また、Blu-layに関しては特筆すべき内容であり

別に書くことが問題なのではなくて書く場所が問題だと言っているのですが? 「注目されている」という部分は明らかとまでは言いませんが、あそこに置いてしまうと評価の補足をしているように見えるのですが? ならばバランスを取るためにも劇場版記述にも何らかの加筆が必要だと思ったまでです。
現在の記述では文量としてもTV版に寄り過ぎています。こうして偏っている点に関してもある意味では評価の補足、というか今までバランスの取れていた劇場版との差を一気に広げてしまっているのですが。
こういった評価的な記述は、文量においてもできる限りのバランスを取らなくてはいけないのではないでしょうか? 「消す」のではなくもっと妥当な場所に配置・改訂するのが妥当だと私は言っているのですが。--124.101.249.101 2006年11月10日 (金) 14:13 (UTC)

別に書く場所なんて些細な問題でしょう。書くとしたら、いろいろな方がおっしゃられている「○年○月○日に○○○が発売された」が列挙されている「概要」に書くのが相応しいでしょう。それならば、概要の中でTV版について触れられている部分に加筆するのが適当であり、すなわち現行の記述が最も適当ということです。124.101.249.101さん個人的には劇場版がお好きなようで、そういう方から見れば劇場版をもっとよく書き、TV版をもっと悪く見せたいのでしょうが、上の方も述べられているように、現行の記述はすでにバランスが取られていますので、個人の見解で変えられる記述ではありません。--XGman 2006年11月11日 (土) 07:05 (UTC)
>別に書く場所なんて些細な問題でしょう。

TV版について書かれているところは他にもあります。あと別にTV版を悪く見せようなんて一言も言ってないです、バランスの話を言っているだけであって、場所を変えたところで「TV版の印象が悪くなる」ところなど微塵もないんですが? 勝手な憶測はやめてください。むしろあなた方が「TV版はよく見せて劇場版をさらに貶めたい」だけに見えるから言っているんですよ。あそこはあくまで評価を書く記述部分なのですから、ただの「事実」としての意図を持った文であれば、不適切でしょう。それともTV版を「もっと持ち上げたいだけ」の記述であれば、劇場版にもバランスを意図して何らか評価補足の文が必要だと思いますよ。今までの議論から恐らくそういう意図ではないのだろうから、そこに書くのは避けたほうが良いと提案しているんですが。それとも評価の部分に書かなくてはいけない、何かとてつもなく重大な理由があるのでしょうか?--124.101.249.101 2006年11月11日 (土) 22:42 (UTC)

「劇場版にもバランスを意図して何らか評価補足の文が必要だと思います」の一点張りですね。上の方たちが分かりやすく何度もおっしゃってくれているのですが、改めて今回の記述の改定を、これ以上ないくらい非常に分かりやすく言えば、
  • 「評価」の量は変わらない
  • Blu-lay発売という特筆すべき「事実」についての加筆を行うだけ
が行われただけです。前回行われた「評価」の議論にはなんら差しさわりはありません。それなのに、書く場所がどうこうだとか、「バランス」と称して劇場版の評価の加筆を行おうとするならば、それは「TV版を悪く見せよう」と思われても致し方ないことです。私こそ「劇場版を貶め」る提案など一言もしていないですよ。私は、「評価」の量は変えないようにお諌めしているのですから。
書く場所云々とおっしゃられていますが、今の記述に何か不備がありますか? 「概要」の項に書くのが最も適切でしょう? AIRのゲームやアニメ・メディアミックスの歴史が書かれている項なのですから、Blu-lay発売だって、この項に書かれるのが一番適切ではないですか。
私は可能な限り客観的に考察しているつもりです。普通に考えれば、「評価」の量は変わらず「事実」が加筆されるだけでしょう。個人的な主観で「バランス」が崩れるとか加筆すべきだとかを言っているわけではありません。客観かつ冷静な判断を求めます。--XGman 2006年11月11日 (土) 22:09 (UTC)

前回の議論にも加わったものです。また再び議論が熱くなっているようですね。冷静に考えて見ましょう。
124.101.249.101さんの提案についてまとめてみましょう。あなたの文面からこう解釈したのですが、違うのならご指摘下さい。

  • TV版のBlu-lay発売に関する記述の場所を移動すべき
  • もしくは、「バランス」をとるために劇場版についての記述を加筆すべき

後者は則却下です。劇場版についての記述を貴方一人の意見で加筆するわけには行きません。前回の論議をもう一度ご確認下さい。
さて前者ですが、それでは移動するならどこに記事を移動させましょうか? AIRの記事の見出しは、『概要』『ストーリー』『登場キャラクター』『主題歌・音楽』『製作スタッフ』『関連項目』『外部リンク』の7つの見出しからなっています。さて、Blu-layの記述はどこにかかれるのが適切でしょうか? 私にはどう考えても『概要』のこうしかないように思えます。
続いて、『概要』の項のどこに記述すべきかですが、TV版アニメについて記述されているのは、第4パラグラフと第5パラグラフです。しかし、第4パラグラフは,「~というメディアミックス的展開がなされた」というメディアミックス展開の概説がなされているのであり、ここでTV版アニメについて詳細な記述をするのは不自然だと考えます。
さらに、「Blu-lay発売」という新しい見出し・パラグラフを作るというのも一つの考え方ですが、それは記事を煩雑にしてしまうだけです。『Wikipediaはニュース速報でも宣伝サイトでも』ないので、新しい見出しを作ってまでBlu-lay発売を記述するのは、Wikiの精神に反します。
こう考えると、現行の記述が一番妥当だということになります。--Joyeuse 2006年11月11日 (土) 22:29 (UTC)


  • Blu-lay発売という特筆すべき「事実」

……ということですが、それって「TV版AIRは人気が出たからBlu-lay発売にこぎつけたんだ」という意味にも取れるのですけど。
それでしたらIPさんの言うような評価を補足した文章になっていますよね?
Blu-lay発売は特記すべき事実ではありますが、「注目されている」という記述はいかがなものでしょうか、上記のことを踏まえるとかなりTV版の評価を補足に補足を重ねておられますよね。
だとしたら上での劇場版記述に対する反論はなんか違いませんか? 客観的にこの作品にある様々な背景を考慮して見て、劇場版の入場者数はギャルゲーを原作としたアニメということを考えれば特筆すべきことではないんですか? その前の文に「原作ファンには受けていなかった」という記述があるわけで、つまりそれだけ入場者数がいてもあんまり受けなかったということにもとれるわけで。つまりは劇場版の評価を安易に後押ししているわけでもないでしょう。

……と、いろいろ語りましたがこんなに定期的にこんな言い争いが出るようであれば、以前出ていたように「評価を丸ごと削除」して「事実」だけを書いてはいかがでしょうか? このAIR(ゲーム)という項目はかなり編集に対してシビアなようですから。「特筆すべき事実」だけを書いて、さっさと保護してしまえばよいのではないでしょうか。

議論を重ねてきたものが無駄になるとおっしゃいますが、そこまで前々の議論が大層多く重ねてこられたというわけでもありませんし。どんなに多額の予算がかけられた建造物でも、必要とされて生み出されてきたものでも、無駄・不必要となってくれば撤廃するべきものとなります。
くわえて現行の記述は中立的な観点がなっていないと思われます。現行の記述が果たして中立的かというといかがでしょう。劇場版はそれが出来ているのにTV版が出来ていないのは正にそれこそ「TV版のファンのワガママ」が通っているだけじゃないでしょうか? 削除しようという方向で決まったあと、「現行の記述を残そう」という意見よりも時間が経ってから反論が着て、それが認められていることからも何らかの良くない意図が感じられます。

>でも、こんな細々としたことを記事にしたって、Wikiの精神に明らかに反しています。

ともありますが、では現行の記述、概要の部分ですが。現行の概要記述を見てみますと。

  • また、インターチャネルによってプレイステーション2へ移植され、2001年9月20日にドリームキャスト版(全年齢対象)が、2002年8月8日にプレイステーション2版(全年齢対象)が、2005年9月1日には、プレイステーション2用ベスト版(廉価版、CEROレーティング15歳以上対象)が発売された。さらに、全年齢対象版に含まれたイベントCGを追加したものとして、2005年4月8日にWindows用DVD-ROM『AIR Standard Edition』発売(18禁)が発売された。

……と、すごく細々としていますよね? しかもこんな発売事実の情報は横に書いてあるわけで重複しており、明らかに無駄かつ不必要なものです。「PCの廉価18禁版には全年齢対象版に含まれたイベントCGを追加している」というのは必要でしょうが。
そういう反論を繰り広げられるのであれば、ここからまず改善すべきではないのでしょうか? 発売されているDVDにバリエーションがあるという「事実」は「宣伝」ではないでしょう。。そもそも評価を消して概要の部分に事実の内容を簡潔に書けば、何ら問題のない事実表記になるです。--222.145.138.392006年11月15日 (土) 03:50 (UTC)

この部分の記述の提案をし,前回の議論にも参加した,Modmouseと申します。さて,この記述については私も話したいことが山ほどあるのですが,それは今回は置いておいて,Wikipedianとしての常識をお話したいと思います。
  • 議論を重ねてきたものが無駄になるとおっしゃいますが、そこまで前々の議論が大層多く重ねてこられたというわけでもありませんし
多くのWikipedianが数多くの意見を出し合い,そして私もこの議論に参加しまして,非常に有意義なものだったと思いますが,それを大層なものでないとおっしゃられるのですか。過去ログが出来るほどの論議を「無駄・不必要」とおっしゃられるわけですか。Wikipediaは貴方の独断で記事を書くものではありません。多くのWikipedianの意見を聞き,折り合いをつけて,何が良い記事かを切磋しあって行く場です。それを,貴方個人の意見が大方のWikipedianの意見と食い違うからといって,「無駄・不必要」という暴言を書き込まれるならば,そのようなことをおっしゃる方にWikipediaでの居場所はありません。このノートで議論を続けたいと思うのならば,この記述に関する訂正と,議論に参加したWikipedianへの謝罪を行うべきです。
  • 劇場版はそれが出来ているのにTV版が出来ていないのは正にそれこそ「TV版のファンのワガママ」が通っているだけじゃないでしょうか?
それはあなたのワガママです。多くのWIkipedianが同意したものを,あなたとの意見が違うからといって「ワガママ」扱いするとは,どういう了見でしょう?
  • 現行の記述、概要の部分ですが。現行の概要記述を見てみますと~重複しており、明らかに無駄かつ不必要なものです。
「細々」したものという意味を取り間違えて使っているのは,あなたのほうです。ウィキペディアは何でないかをよく読んだ上で発言してください。Wikipediaは事細かな歴史を語る上では何の制約も受けません。何がいつ発売されたというのは,細々と書かれて何の問題もありません。これが否定されるのなら,Wikipedia上の歴史に関する記事はすべて否定されることになります。それに対し,『どんなエディションがあるのか』というのは,明らかにWikiに不必要な記事です。その境目をきちんとご理解なさってください。例えば,これはすでにWikipediaで議論され,了承事項になっているものですが,テレビの放映開始日はWIkiに載せてよいですし,対してアニメの各話のサブタイトルはふさわしくない項目となっています。
暴言失礼ながら,目に余る投稿があったので,発言させていただきました。--Modmouse 2006年11月15日 (水) 03:44 (UTC)
私も、前回の議論に加わったものですが、IP氏の、議論を無駄扱いした発言は許せません。私からも、謝罪を要求します。
さて、Modmouse 氏の発言に付け加えて。小学生の国語の問題ですが、『映像がHD映像にアップコンバートされるだけでなく、音声も5.1chサラウンドとなり、映像・音声の両面において次世代DVDの先駆けとなることで注目されている。』の主語は何ですが? 当然『Blu-lay』です。決して『AIR』そのものではありません。つまり,これはAIRの評価ではありません。これをわざわざ屁理屈をこねて,消そうとするIP氏の魂胆の方が、『良くない意図を感じます』。--Joyeuse 2006年11月15日 (水) 03:48 (UTC)
私は前回の議論には加わっていませんが、IP氏の発言は明らかにNGですね。Modmouse 氏やJoyeuse氏に同情します。
多くのWikipedianが議論して得た結論を「中立的でない」とか「ワガママ」だとか「さっさと保護してしまえばよい」とか、挙句の果てには「良くない意図を感じる」だとか、暴言にもほどがあります。私からも、もっと節度をもった投稿をお願いしたいものです。
さて、Modmouse氏とJoyeuse氏がほとんど言い尽くしてくれたのですが、私からも一言。IP氏は本を読んだことがありますか? 当然ありますよね。通常は、表に書かれた説明を本文で繰り返すものです。表の記述というのは、本文での理解を深めるためにまとめられたものです。もちろん、そうでないものもありますが、表で書かれたことを繰り返したからといって無駄な記述だということはありません。
あと「事実」という言葉がIP氏によってゆがんだ解釈に変えられています。そりゃぁ、「評価」だって、そういう評定を下している人がいるのは「事実」ですから。でも、IP氏のような屁理屈をWikipedianは望んでいるわけではありません。「○月○日」に何が発売されるのかは事実です。発売されたものに対して、サブタイトルがどうとか、エディションがどうとか言うのは無駄な記述です。--XGman 2006年11月15日 (水) 10:25 (UTC)

IP氏の発言は私も、大変失礼な発言だと思います。上の方々が怒るのも無理はないでしょう。ノートは議論を話し合う場所です。もちろん、以前の議論と貴方の意見が食い違えばそれを積極的に討論すればよいのですが、その際に、今までの議論は「無駄・不必要」だとか、「ワガママ」だとか、暴言を吐くのは最悪です。此処は貴方一人のための記事ではありません。むしろ、この場所を暴言で荒らすのなら、議論に加わらず、Wikiも執筆しない方が無難でしょう。--124.38.86.47 2006年11月15日 (水) 12:45 (UTC)


確かに失言でした。誠に申し訳ございません。ボロクソ言われても当然ですね。本項目が議論を重ねた結果完成している項目であるということを重々理解致しました。これを踏まえたうえで改めてこの項目を保護、編集制限することを提案いたします。私のような無粋なIPがこれ以上項目に書き足してもまた不毛な議論が続く、または勃発することでしょうから。--222.145.138.39 2006年11月16日 (木) 00:04 (UTC)

今更ですけど、もういっそ劇場版は劇場版で分割させたらいかが? そうすれば劇場版のファンの方の望むように書けるんでしょうし、著作権などを違反しない限り文句も言われないでしょう? キャラクター紹介のところに劇場版との相違のところは書かれてないですし、書いたら書いたでまたバランスがどうのですし。何より一般的に「これはAIRじゃない別物」という評価が下されてるんだから別物は別物らしく劇場版で個別に作ったほうがいいと思います。--58.88.49.442006年12月15日(金) 3:04

私は分けない方が良いと思います。記事の乱立の元になります。「これはAIRじゃない別物」という評価も確かに多くありますが、これも"AIR"には変わりないですし、TV版が原作と一緒に記述されて劇場版だけ違う場所に記述されれば、それはそれで争いの元になると思います。キャラクター紹介欄には、原作の設定を書くべきだと思います。劇場版はあくまで、出崎氏による二次創作物の感が否めませんから。--Modmouse 2006年12月14日 (木) 19:23 (UTC)
確かにそうですね。ただ明らかに設定が違う人(柳也や神奈など)は、簡潔にでも書いたほうが予備知識無くして見る人には優しいんじゃないでしょうか、とあれから思いました。現代編の人は多少設定は違えど性格に関してはほとんど変化が見られないのでほとんど書く必要はないとは思いますが。しかしそうなると「TV版だって違うところが」うんぬん言う人も現れるでしょうし、結局は現行が無難なんでしょうな。もうちょっと他の人の意見も聞きたいです。--58.88.49.442006年12月16日(金) 4:47
分割は隔離のために行われるべきではないと考えます。反対論は的外れであっても一度は聞かれるべきでしょう。反対主張は合意・公平性と不可分なのですから。また劇場版を単体項目として考えた場合、単独項目とするほど差異点があるとも思いづらいですし、誹謗者のためでもないのと同様、ファンのためのWikiでもありません。Modmouseさんの懸念にも同意です。今回の件も極めて強いデジャビューを感じますが、現状維持し今後も適宜対応するしかないと思われます。不毛かどうかも聞かねば解りませんし。

劇場版だけのキャラクター設定の明確な差異点については、「劇場版の特徴」として記載する資格があると思います。劇場版を見ていない人、あるいは「しか見ていない人」には意味があるかと。TV版の差異云々は「特徴とされる程にその差異は大きくない」ので不要だと思われます。 --202.214.61.35 2007年2月3日 (土) 08:42 (UTC)

現行のキャラクター紹介に映画版のを付加させるのは紛らわしくゲーム版だけを見に来た利用者に不親切であると思います。やるのなら新たに劇場版の項目を作り記載したほうがいいのではと考えます。--nikukyu 2007年2月5日 (月) 16:21 (UTC)

追記事項について

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金剛峰寺が「高野山の寺の連なりである」事は作中にキチンと文章で出てきます。よって憶測ではありません。作中に出てきていますから信頼できるメディアも何もありませんし、中立的な観点もなにもありません。ウィキペディアに乗せる条件は整っています。作中では「高野山の寺の連なりを金剛峰寺」と言っていますが、「高野山の寺の連なりのを金剛峰寺と言い、その中でも特に金剛峰寺の事だ」と誤解する可能性があります。実際は、金剛峰寺の事なのかどうかは不明ですが、作中の表記はあくまで「金剛峰寺そのもの」ではありません。また、「追記事項」という、個人の批評ともとれる物は他の版にも存在します。(私のようにソースはキチンと存在するでしょうが。)言わせて頂けるなら、なぜ、この版だけ元に戻されたのか不思議で仕方がありません。--01045 2007年6月26日 (火) 03:04 (UTC)
今まで、Key関係の記事には必ず「お騒がせ」を行う輩がいますが、また新しいタイプの方ですね。Wikipediaは百科事典です。AIRの解説サイトではありません。AIRの壮大なシナリオのうち、なぜ「金剛峰寺」だけピックアップして、一章を設けて、グダグダと解説しなければならないのか、意味が分かりません。Wikipediaは何でないかを良くお読みになり、AIRのシナリオに対する解説は、個人のサイトで行ってください。WikipediaはAIRのシナリオに対する誤解を解く場所ではありません124.38.89.164 2007年6月26日 (火) 03:27 (UTC)
補足事項と書いてあるのですから後から書き足すのが当たり前でしょう?「だけ」と言うのは間違っていますね。私だって現に3つ書きましたし(まぁ2つは個人的な批評に限りなく近かった事を認めますが)。解説がダメと言うなら関連項目に書けばいいんでしょうか?確実に関連性はありますのでそれなら問題ないですよね?関連項目の場合「甘南備神社」「八百比丘尼」も追加させていただきますが。--01045 2007年6月26日 (火) 10:22 (UTC)
また、新しいタイプの意見のようですが、IP氏も言っておられる様に、ウィキペディアは何でないかの「ウィキペディアは単なる知識ベースではありません」 を よくお読みください。ここは百科事典です。シナリオについて吟味するのは、ファンサイトか何かで行ってください。シナリオに出てくる語句の説明を、Wikipediaでされては、記事が荒れる元です(実際に、Wikipediaの管理者も保護を行ったくらいです)。まだ、01045 氏はWikipediaでアカウントをとられてから数ヶ月のようですが、このサイトの趣旨をご理解するよう。--Modmouse 2007年6月26日 (火) 10:54 (UTC)
関連項目の場合「甘南備神社」「八百比丘尼」も追加させていただきますが。
まだ、Wikipedia初心者なのだということで、Wikipediaは何でないかを熟読するよう勧めたのですが、若干荒らしの想を呈していますね。Key関連のページのノートを良くお読みください。シナリオについてグダグダと書くのは、百科事典のコンセプトに反しているという論議があります。百科事典とファンサイトの境界線についても論議されています。--124.38.64.228 2007年6月26日 (火) 10:57 (UTC)
Wikipediaは何でもかんでも とにかく情報を書きなぐればよい、という傾向が最近はあるようで、非常に危惧を抱いています。事実でも書くべきことでない情報というのが、Wikipediaには存在します。それの指針が、上お二人が述べられているウィキペディアは何でないかに書かれています。熟読されてから執筆されてください。--XGman 2007年6月26日 (火) 12:04 (UTC)
熟読はしました。熟読し、私が理解した上では、「関連事項」として書くのは問題ないと考えたのです。「関連項目」として書くのであれば、上記の方々の反論にも反さないと理解します。百科事典としての観点上あくまで「Airに関連している」として記述するのはむしろ必要ではないかと思うのですがいかがでしょう?さらに「関連項目」として提示するのみであれば、ウィキペディアは何でないかについても反していない、と私は理解するのですが、それについてもいかがでしょうか。
「AIRに関連している」ということで 関連事項に物事を書こうとすれば、あれも関連事項、これも関連事項となり、結局、無法地帯になります。これを避けるための指針として、ウィキペディアは何でないかが存在しています。「他の項ならだめだけど、関連項目として書くなら許される」という発想は、記事が荒れる元となります。「関連項目」は、Wikipediaの無法地帯ではありません。ご注意ください。--Modmouse 2007年6月26日 (火) 13:37 (UTC)
もちろんモデル舞台とかまで上げるのであればキリはありませんね・・・・。しかし「どこまでを記述すべきかどうか」はあくまで一人一人の個人の主観であり、なかなか難しいものです・・・。--01045 2007年6月26日 (火) 13:50 (UTC)
横からで済みませんが、今日この項目を見に来たものです。高野山の書き込みに関しては、現実と虚構の違いを客観的に書かれている様にしか判断できないのですが。
個人的な考察として否定したいのでしたら『「正歴」は「正暦」をもじったものだと思われる。』から
出典のない記事として見直すべきではないのですか?210.139.190.143 2007年7月20日 (金) 22:57 (UTC)