ノート:JA8119/統合案
日本航空123便墜落事故(にほんこうくう123びんついらくじこ)は、1985年8月12日、日本航空(当時)123便、東京(羽田)発大阪(伊丹)行、ボーイング747 SR-100、登録番号JA8119のジャンボ機が群馬県多野郡上野村の高天原山(たかまがはらやま)[1]に墜落した事故である。
概要
[編集]運輸省航空事故調査委員会による事故調査報告書[2]によると、死亡者数は乗員乗客524名のうち520名にのぼる。この数字は日本国内で発生した航空機事故では最大であり、世界の航空事故では全体の中で2番目、単独機の航空事故では最大である[3][4][5]。
乗客の中には著名人が多数含まれており、夕方のラッシュ時と帰省ラッシュが重なったことなどにより乗客が多かったこともあり、他にも家族連れや企業の役員、外国人などの犠牲者も多かった。生存者は4名だけであった。この事故が航空業界のみならず国内社会全体に大きな衝撃を与えたことから、一般的に「日航機墜落事故」「日航ジャンボ機墜落事故」と言う場合、この事故を指すことが多い
事故により、同年8月19日に登録抹消される。日本の航空会社が旅客機として運航しているB747で、墜落事故によって登録を抹消されたのは同機のみである。
機体番号
[編集]日本航空123便は機体番号JA8119であり諸元は次の通りである
- 型式 B747SR-46
- 製造年月日 1974年1月30日
- 製造番号 20783
- 耐空証明 第48-028
- 総飛行時間 25,030時間18分
- 総着陸回数 18,835回
- 新規登録年月日 1974年2月19日
型式 B747SR
[編集]SR型は世界でも日本の航空会社である日本航空と全日本空輸(ANA)の2社のみがボーイング社に発注しているB747の特殊仕様である。SRとは「Short Range(短距離)」の略で、国土の狭い日本の国内線を運航する航空会社が幹線及び準幹線に投入する目的に特化した。空港へ乗り入れる便数を少なくする代わり、一度に輸送できる旅客数(最大で550人)を多くするため、従来のB747を1~2時間程度の短距離飛行用に改良。あまり必要のない機内のラバトリー(トイレ)やギャレー(調理室)を少なくして座席数を増やしたり、国際線仕様のB747に備え付けられている長距離飛行用の燃料タンクを撤去。その他、離着陸が頻繁であるため車輪を従来より強化し、重量が重い状態で短い滑走路への着陸の際、強いブレーキ摩擦による発火を防ぐために、従来のB747より強力な冷却装置を取り付けるなどの特殊装備が施されている。また、頻度の多い離着陸によって、国際線よりはるかに多い高度変化による気圧の変化により機体に負担がかかるため、金属疲労が早く進行しないための特殊加工も施されているが、皮肉にも尻もち事故の際の修理ミス個所に対する金属疲労の検査の見落としによってJA8119は墜落した(事故調査委員会が発表した調査結果による)。
機体番号の由来
[編集]日本の運輸省(現・国土交通省)は4発大型タービンエンジン民間航空機(当時実質的にはB747を指す)にJA8100番台を指定しており、日本航空にとってB747の導入が19機目にあたる機体である本機に、当時は国内他社がB747を導入していなかった事も有り、自動的にJA8119という機体番号が付番された。当時は機体番号を使用者が指定することは出来なかった。よって「日本航空にとって19番目」云々は正確ではない。
その証拠にJA8133からはANAに割り振られ、8140からはまたJALに割り当てとなっている。
なおJAとは、日本の航空機すべてに指定されるアルファベットである。
現在はプリフィックスのみ「JA」が指定され、サフィックスは使用者が規則下に独自に決める事ができる。
事故の経過
[編集]1985年8月12日は機体JA8119にとっては3度目の事故である。
墜落前の事故
[編集]- 1978年6月2日、東京国際空港(羽田空港)から大阪国際空港のフライトで大阪国際空港へ着陸しようとした際、パイロットが操縦桿の操作を誤ったため、機体が通常の着陸角度より上に上がりすぎ、滑走路に機体尾部を接触させるしりもち事故を起こし、機体尾部にある圧力隔壁を破損。機体のバウンドによりケガ人が3名発生。この事故での圧力隔壁のボーイング社における修理ミスが日本航空123便墜落事故の引き金になったとされている。この時の機長は、1985年の事故後に自殺している。
- 1982年8月19日、羽田空港から千歳空港へ飛行し、千歳空港へ着陸しようとした際、機体が右に逸れ、誤って第4エンジンを地上に接触させたため、機長は着陸をあきらめ着陸をやり直した。事故原因は悪天候の中、機長が副操縦士に着陸の操縦をさせるという運航規定違反であった。
奇しくも2件の事故とも使用された機体はJA8119であり、二回目の事故は日本航空123便墜落事故の直接の原因になっていない。JALのB747SRで発生した事故のほとんどにJA8119が絡んでいた。
それ以外にもJA8119には、前者の事故の後遺症として、
- 最後尾のトイレのドアが重い
- トイレのドアが完全に閉まらない
- 機体最後部から隙間風がする
などの不具合が多々存在し、客室乗務員からの報告でJALも承知していた機体だった。
3回目の事故が単独の航空機の墜落事故としては世界最悪の犠牲者を出すことになる。
事故当日のJAL123便
[編集]<<以下略>>
- ^ 墜落地点は御巣鷹山のすぐ南の高天原山(たかまがはらやま)にある無名の尾根である。後に、この尾根は、上野村村長であった黒沢丈夫によって「御巣鷹の尾根」と命名されるが、実際は御巣鷹山に属する尾根ではない。
- ^ http://araic.assistmicro.co.jp/araic/aircraft/download/bunkatsu.html#5
- ^ 世界最大の死者数を出した航空事故はテネリフェ空港ジャンボ機衝突事故で、滑走路上で二機のB747が激突した事故によって583人の死者を出している。
- ^ この事故以前の日本国内で最大の航空機事故死者数は1971年7月30日に発生した「全日空機雫石衝突事故」の162名だった。
- ^ この事故以前の単独機の航空機事故死者数として最大は1974年3月3日にフランス・パリ郊外で発生した「トルコ航空機墜落事故」の346名だった。