ノーマンビー侯爵
ノーマンビー侯爵(第2期) Marquess of Normanby | |
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Arms:Quarterly: 1st and 4th, Sable a Trefoil slipped between eight Mullets in orle Argent (Phipps); 2nd, Paly of six Argent and Azure over all a Bend Gules (Annesley); 4th, the Royal Arms of King James II within a Bordure company Argent and Azure (by grant from King James II to his natural daughter, Lady Catherine Darnley) Crest:A Lion's Gamb erased Sable holding a Trefoil slipped Argent Supporters:Dexter: an Unicorn Ermine armed and unguled Or and gorged with a Chaplet of Roses proper; Sinister: a Goat Ermine armed and unguled Or and gorged with a similar Chaplet of Roses proper
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創設時期 | 1838年6月25日 |
創設者 | ヴィクトリア |
貴族 | 連合王国貴族 |
初代 | 初代侯コンスタンティン・フィップス |
現所有者 | 5代侯コンスタンティン・フィップス |
相続人 | マルグレイヴ伯ジョン・フィップス |
付随称号 | マルグレイヴ伯爵 ノーマンビー子爵 マルグレイヴ男爵(GB) マルグレイヴ男爵(Ire) |
現況 | 存続 |
モットー | 善行は休息にあり (Virtute Quies) |
ノーマンビー侯爵(英語: Marquess of Normanby)は、イギリスの侯爵位。
2度創設されており、1期目は第3代マルグレイヴ伯爵ジョン・シェフィールドが1694年にイングランド貴族爵位として叙されたものだが、2代で廃絶した。現存する2期目は第2代マルグレイヴ伯爵コンスタンティン・フィップスが1838年に連合王国貴族爵位として叙されたものである。
歴史
[編集]シェフィールド家
[編集]第3代マルグレイヴ伯爵ジョン・シェフィールドが、1694年5月10日にイングランド貴族爵位「カウンティ・オブ・リンカンのノーマンビー侯爵」に叙せられたのがノーマンビー侯の最初の創設である。彼はさらに1703年3月23日にはバッキンガム及びノーマンビー公に叙せられたのでノーマンビー侯爵位はその従属爵位となった[1]。しかしその子である2代バッキンガム=ノーマンビー公(2代ノーマンビー侯)エドマンド・シェフィールドが継承者なく死去したため、爵位は廃絶している[2]。
フィップス家
[編集]現在のノーマンビー侯爵家であるフィップス家が貴族に列したのは、コンスタンティン・フィップス(1722–1775)が1767年9月3日にアイルランド貴族「カウンティ・オブ・ウェックスフォードのニューロスのマルグレイヴ男爵」に叙せられたのに始まる[3]。なおこのコンスタンティン・フィップスの母方の祖母キャサリン・セドリーは、再婚で初代バッキンガム=ノーマンビー公ジョン・シェフィールドと結婚し、その間に2代バッキンガム=ノーマンビー公エドマンドを儲けており、この縁戚関係からフィップス家がマルグレイヴ伯爵やノーマンビー侯爵などシェフィールド家由来の爵位を叙されたものと見られる。
初代マルグレイヴ男爵の長男コンスタンティン(1744–1792)は、王立海軍軍人として七年戦争に従軍した後、政界に転じてホイッグ党、ついでトーリー党の庶民院議員として活躍した。1775年に第2代ニューロスのマルグレイヴ男爵位を襲爵し、さらに1790年7月7日にグレートブリテン貴族「カウンティ・オブ・ヨークのマルグレイヴのマルグレイヴ男爵」に叙され、貴族院議員に列した。しかし彼には男子がなかったため、彼の死とともに同爵位は消滅している[4]。
その後、初代男爵の次男ヘンリー (1755–1831) が第3代ニューロスのマルグレイヴ男爵位を継承した。彼は陸軍軍人としてアメリカ独立戦争に従軍した後、トーリー党の庶民院議員として活躍し、1794年8月13日に改めてグレートブリテン貴族爵位「カウンティ・オブ・ヨークのマルグレイヴのマルグレイヴ男爵」に叙せられ、貴族院議員に列した。彼はその後トーリー党政権下で外務大臣(在職1805-1806)や海軍大臣(1807-1810)などの閣僚職を歴任し、1812年9月7日に「カウンティ・オブ・ヨークのマルグレイヴ伯爵」と「カウンティ・オブ・ヨークのノーマンビーのノーマンビー子爵」に叙せられた[5]。
初代マルグレイヴ伯の死後、その長男コンスタンティン (1797–1863) が第2代マルグレイヴ伯爵位を継承した。彼はトーリー党、後ホイッグ党の政治家として活躍し、ジャマイカ総督(在職1832-1834)、王璽尚書(1834)、アイルランド総督(1835-1839)、陸軍・植民地大臣(1839年)、内務大臣(1839-1841)などを歴任した。そして1838年6月25日には「カウンティ・オブ・ヨークのノーマンビーのノーマンビー侯爵」に叙せられた[6]。
初代侯の死後、その長男ジョージ(1819–1890) が第2代侯爵位を継承した。彼は襲爵前に自由党の政治家として活躍し、その後、ノバスコシア(在職1858-1863)、クイーンズランド(1871-1874)、ニュージーランド(1874-1879)、ビクトリア(在職1879-1884)などの総督職を歴任した[7]。
現在の当主はその曾孫である5代侯コンスタンティン・エドムンド・ウォルター・フィップス(1954-)である。
現当主の保有爵位
[編集]現当主である第5代ノーマンビー侯爵コンスタンティン・エドムンド・ウォルター・フィップスは、以下の爵位を有する[8][9]。
- 第5代ノーマンビー侯爵 (5th Marquess of Normanby)
(1838年6月25日の勅許状による連合王国貴族爵位) - 第6代マルグレイヴ伯爵 (6th Earl of Mulgrave)
(1812年9月7日の勅許状による連合王国貴族爵位) - 第6代ヨーク州ノーマンビーのノーマンビー子爵 (6th Viscount Normanby, of Normanby in the County of York)
(1812年9月7日の勅許状による連合王国貴族爵位) - 第6代ヨーク州マルグレイヴのマルグレイヴ男爵 (6th Baron Mulgrave, of Mulgrave in the County of York)
(1794年8月13日の勅許状によるグレートブリテン貴族爵位) - 第8代ウェックスフォード県ニューロスのマルグレイヴ男爵 (8th Baron Mulgrave, of New Ross in the County of Wexford)
(1767年9月3日の勅許状によるアイルランド貴族爵位)
一覧
[編集]ノーマンビー侯 第1期 (1694年)
[編集]詳細はバッキンガム=ノーマンビー公爵を参照。
- 初代ノーマンビー侯・初代バッキンガム=ノーマンビー公ジョン・シェフィールド (1648–1721)
- 2代ノーマンビー侯・2代バッキンガム=ノーマンビー公エドマンド・シェフィールド (1716–1735)
マルグレイヴ男爵 第1期 (1767年)
[編集]- 初代マルグレイヴ男爵コンスタンティン・フィップス (1722–1775)
- 2代マルグレイヴ男爵コンスタンティン・ジョン・フィップス (1744–1792) (1790年マルグレイヴ男爵創設。彼の死とともに消滅)
- 3代マルグレイヴ男爵ヘンリー・フィップス (1755–1831) (1812年にマルグレイヴ伯爵)
マルグレイヴ伯 第2期(1812)
[編集]- 初代マルグレイヴ伯爵ヘンリー・フィップス (1755–1831)
- 2代マルグレイヴ伯爵コンスタンティン・ヘンリー・フィップス (1797–1863) (1838年ノーマンビー侯爵創設)
ノーマンビー侯 第2期 (1838)
[編集]- 初代ノーマンビー侯コンスタンティン・ヘンリー・フィップス (1797–1863)
- 2代ノーマンビー侯ジョージ・アウグストゥス・コンスタンティン・フィップス (1819–1890)
- 3代ノーマンビー侯コンスタンティン・チャールズ・ヘンリー・フィップス (1846–1932)
- 4代ノーマンビー侯オズヴァルド・コンスタンティン・ジョン・フィップス (1912–1994)
- 5代ノーマンビー侯コンスタンティン・エドムンド・ウォルター・フィップス (1954-)
法定推定相続人は現当主の長男マルグレイヴ伯爵(儀礼称号)ジョン・サミュエル・コンスタンティン・フィップス (1994-)
出典
[編集]- ^ Lundy, Darryl. “John Sheffield, 1st Duke of the County of Buckingham and of Normanby” (英語). 2015年8月6日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Edmund Sheffield, 2nd Duke of the County of Buckingham and of Normanby” (英語). 2015年8月6日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Constantine Phipps, 1st Baron Mulgrave of New Ross” (英語). thepeerage.com. 2015年8月6日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Constantine John Phipps, 2nd Baron Mulgrave of New Ross” (英語). thepeerage.com. 2015年8月6日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Henry Phipps, 1st Earl of Mulgrave” (英語). thepeerage.com. 2015年8月6日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Henry Phipps, 1st Earl of Mulgrave” (英語). thepeerage.com. 2015年8月6日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “George Augustus Constantine Phipps, 2nd Marquess of Normanby” (英語). thepeerage.com. 2015年8月6日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Constantine Edmund Walter Phipps, 5th Marquess of Normanby” (英語). thepeerage.com. 2015年8月6日閲覧。
- ^ “Normanby, Marquess of (UK, 1838)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2020年5月8日閲覧。