ハインリヒ・アウグスト・フォン・ホーエンローエ=インゲルフィンゲン
表示
ハインリヒ・アウグスト・フォン・ホーエンローエ=インゲルフィンゲン Heinrich August von Hohenlohe-Ingelfingen | |
---|---|
生誕 |
1715年7月10日 神聖ローマ帝国 ニーデルンハル |
死没 |
1796年2月13日 神聖ローマ帝国 インゲルフィンゲン |
所属組織 | 神聖ローマ帝国軍 |
最終階級 | 陸軍元帥 |
ハインリヒ・アウグスト・フォン・ホーエンローエ=インゲルフィンゲン帝国伯(ドイツ語: Heinrich August von Hohenlohe-Ingelfingen、1715年7月10日 - 1796年2月13日)は、神聖ローマ帝国の貴族、軍人。最終階級は陸軍元帥。ホーエンローエ家の当主を担った。
経歴
[編集]1715年7月10日、父クリスティアン・クラフト・ツー・ホーエンローエ=インゲルフィンゲン(1668年 - 1743年)と、母マリア・カタリナ・フォン・ホーエンローエ=プフェーデルバッハ(1680年 - 1761年)の下に生まれた。幼少期、家庭教師による私的な教育を受け、ジュネーヴで残りの教育を修めた。グランドツアーの最中、多くの農園を回っている。その後、ザクセンで兵役に就いたが、短期間でフランケンへ移った。フランケンでは砲兵大将まで昇進し、次いで帝国の陸軍元帥となった。1740年、ライン川での戦役に従軍。
父の死後は、ホーエンローエ家の領地は兄弟と共同で統治するようになった。七年戦争が勃発すると、彼は神聖ローマ帝国軍の元帥として従軍している。ピルナ包囲戦ではライプツィヒで指揮官を務めていたが、帝国側が敗北を喫したため、彼はプロイセン王国に投降せざるを得なかった。降伏後はマクデブルクで家族とともに拘禁されている。その後、フベルトゥスブルク条約の締結で戦争は終結し、インゲルフィンゲンへの帰郷を果たした。
彼は帝国に対する忠誠を評価され、彼の兄弟とともに神聖ローマ皇帝フランツ1世の寵愛を受けている。
子女
[編集]彼は1743年にヴィルヘルミネ・エレオノラ・フォン・ホーエンローエ=エーリンゲンと結婚し、8人の子を儲けた。
- フリードリヒ・ルートヴィヒ(1746年1月31日 - 1818年2月15日):プロイセン陸軍歩兵大将
- ゾフィー・フリーデリケ(1747年5月1日 - 1762年12月21日)
- カロリーネ・ヘンリエッテ・アルベルティーネ(1748年9月11日 - 1762年11月6日)
- ルイゼ・シャルロッテ・アマーリエ(1750年6月20日 - 1754年8月18日)
- フリードリヒ・カール・ヴィルヘルム(1752年2月26日 - 1815年6月16日):帝国副元帥
- クリスティアン・フリードリヒ・アウグスト(1755年3月17日 - 1761年4月11日)
- ゲオルク・フリードリヒ・ハインリヒ(1757年11月10日 - 1803年12月11日):プロイセン陸軍少将
- ゾフィー・クリスティアーネ・ルイゼ(1762年10月10日 - 1831年4月29日)
参考文献
[編集]- Friedrich Schlichtegroll, Nekrolog: auf das Jahr 1796, S. 23, Digitalisat
- Constantin von Wurzbach: Hohenlohe-Ingelfingen, Heinrich August Fürst. In: Biographisches Lexikon des Kaiserthums Oesterreich. Band 9, Verlag L. C. Zamarski, Wien 1863, S. 195.
- Ludwig Mausberger: Interessante Lebensgemaelde und. Charakterzüge der denkwürdigsten Personen aller Zeiten, Band 3, S. 8 f, Digitalisat
外部リンク
[編集]- Heinrich August bei geneall.net
- Stammbaum bei genealogy.euweb.cz