ハインリヒ・アルベルト
ハインリヒ・アルベルト(Heinrich Albert, 1870年7月16日 - 1950年3月12日)は、ドイツのクラシックギタリスト、作曲家[1][2]。
経歴
[編集]ヴュルツブルクに生まれる。地元の音楽院でホルンを専攻し、1888年に地元の劇場のオーケストラの団員となった。その後はレーゲンスブルク、ザンクト・ガレン、ヨーテボリ、バート・ピルモント、インターラーケンの各都市のオーケストラを転々としている。
1889年からエンリコ・アルベルト(Enrico Albert)ないしヘンリー・アルベルト(Henry Albert)の筆名を使って作曲家として作品を発表するようになった。 1895年から1900年までカイム管弦楽団の団員として在籍したが、1892年からギターの演奏に没頭し、古の演奏法を研究して、それを今日に生かせるように改良を重ねた。1890年代にはマンドリン・クラブを設立し、1898年にはギターの音色の研究にも着手した。その研究の成果として、ダブルベースのギターを開発してギターによる四重奏を考案している。
1900年以降はミュンヘンでマンドリンとギターを教えたが、門下にルイーゼ・ワルカーやカール・ヴァレンティンがいる。1909年にはマリーア・ソフィア・ディ・バヴィエラお抱えの室内合奏団に参加し、翌年には弦楽四重奏団をモデルにしたらギターの四重奏団を創設した。
1912年にはギターの学校を作り、第一次世界大戦が勃発するまでの間にギター奏者としてドイツ各地の都市を演奏して回った。1919年にはユリウス・ハインリヒ・ツィンマーマンと出版社を作り、レオンハルト・フォン・カル、フェルディナンド・カルッリ、アントン・ディアベッリ、マルオ・ジュリアーニ、ヴェンゼル・マティエッカ、フランチェスコ・モリーノといった作曲家たちのギター音楽やギター編曲作品を出版した。
1920年代に入るとスペインのギター奏法の流入により、アルベルトの演奏法は時代遅れと見なされるようになった。1924年からロベルト・リーナウ出版社の編集者に名を連ねている。1943年には演奏活動から身を引き、ガウティングにて死去。
参考文献
[編集]- この記事はドイツ語版ウィキペディアにある同じ項目の記事のから翻訳された記事である。
- ^ “Life of Heinrich Albert”. 2018年2月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年2月19日閲覧。
- ^ “Neue Quellen zu Leben und Werk von Heinrich Albert (1870 - 1950)”. 2018年2月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年2月19日閲覧。