ハインリヒ・フェルディナント・ホフマン
ハインリヒ・フェルディナント・ホフマン Heinrich Ferdinand Hofmann | |
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自画像 | |
生誕 |
1824年3月19日 ヘッセン大公国、 ダルムシュタット |
死没 |
1911年6月23日 ドイツ帝国 ザクセン王国、ドレスデン |
ハインリヒ・ヨハン・ホフマン(Heinrich Johann Michael Ferdinand Hofmann、1824年3月19日 - 1911年6月23日)はドイツの画家である。
略歴
[編集]ダルムシュタットで生まれた。両親とも美術愛好家で、父親は役人、弁護士で水彩画を描き、母親も結婚前に絵を習っていた。兄のルドルフ(Rudolf Hofmann:1820-1882)も画家になり、弟のカール・フォン・ホフマン(Karl von Hofmann:1827-1910)は後にヘッセン大公国の首相を務める人物で、甥に象徴主義の画家となるルートヴィヒ・フォン・ホフマンがいる。
母親から絵を学んだ後、ダルムシュタットの宮廷版画家のエルンスト・ラウフ(Ernst Rauch)に学び、1842年にデュッセルドルフ美術アカデミーに入学しテオドール・ヒルデブラントに学んだ。フリードリッヒ・ヴィルヘルム・シャドウのスタジオでも学んだ。
オランダ、フランスへも留学し、1846年にアントウェルペンの美術アカデミーで学んだ。ミュンヘンにも長く滞在し、1848年にダルムシュタットに戻った。家族が有力な政治家になっていたので、有力者の肖像画を描くことになり、政治家のハインリヒ・フォン・ガーゲルンや化学者のユストゥス・フォン・リービッヒの肖像画を描いた。1851年にドレスデンを訪れ、その美術館の作品も学んだ。
1854年に母親が亡くなった後、宗教に関する絵を描くようになり、1854年の秋にイタリアへ旅し、ヴェネツィアで15世紀の画家、ジョルジョーネやヤーコポ・ベッリーニ、ジョット・ディ・ボンドーネの作品を研究し、フィレンツェにも滞在した後、1855年にローマに移った。ローマではナザレ派に影響を受けた画家のペーター・フォン・コルネリウスに紹介され、コルネリウスの仕事場をしばしば訪れ、ホフマンの作品にコルネリウスは助言を与えた。
1858年にローマで描き上げた作品はダルムシュタットの大公のギャラリーに買い上げられた。その年、ダルムシュタットに戻り、翌年結婚した。
ダルムシュタットで肖像画や教会の装飾画を描いた後、1862年にドレスデンに移り、1870年にヨハン・カール・ウルリッヒ・ベールの後任としてドレスデンの美術学校(後のドレスデン美術大学)の教授に任じられた。1872年にはザクセン王、ヨハンから功労賞を贈られた。1891年に妻が亡くなった後、引退し、1911年にドレスデンで死去した。
作品
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キリストの逮捕(1858)
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博士たちの中のイエス (1884)
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キリストと金持ちの若い役人(1889)
参考文献
[編集]- Heinrich Ferdinand Hofmann. In: Hans Vollmer (Hrsg.): Allgemeines Lexikon der Bildenden Künstler von der Antike bis zur Gegenwart. Begründet von Ulrich Thieme und Felix Becker. Band 17: Heubel–Hubard. E. A. Seemann, Leipzig 1924, S. 260–261.
- Saur bio-bibliographischer Index A – Z 1999–2000. Band 5, S. 24.
- Friedrich v. Boetticher: Malerwerke des 19. Jahrhunderts. Dresden 1895.
- Barbara Bott: Gemälde Hessischer Maler des 19. Jahrhunderts im Hessischen Landesmuseum Darmstadt. Bestandskatalog. Heidelberg: Kehrer 2003 (Kataloge des Hessischen Landesmuseums 20) ISBN 3-926527-69-2, ISBN 3-933257-67-0.