ハインリヒ・フォン・プロイセン (1747-1767)
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ハインリヒ・フォン・プロイセン Heinrich von Preußen | |
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出生 |
1747年12月30日 神聖ローマ帝国 ( プロイセン王国) ブランデンブルク選帝侯領、ベルリン |
死去 |
1767年5月26日(19歳没) 神聖ローマ帝国 ( プロイセン王国) ブランデンブルク選帝侯領、プロツェン |
埋葬 |
神聖ローマ帝国 ( プロイセン王国) ブランデンブルク選帝侯領、ベルリン大聖堂 |
父親 | プロイセン王子アウグスト・ヴィルヘルム |
母親 | ルイーゼ・アマーリエ・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル |
ハインリヒ・フォン・プロイセン(Heinrich von Preußen, 1747年12月30日 - 1767年5月26日)は、プロイセン王国の王族。全名はフリードリヒ・ハインリヒ・カール(Friedrich Heinrich Karl)。プロイセン王子アウグスト・ヴィルヘルムの次男で、フリードリヒ・ヴィルヘルム2世の弟。
生涯
[編集]1747年12月30日、アウグスト・ヴィルヘルムとその妻であったブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公フェルディナント・アルブレヒト2世の娘ルイーゼ・アマーリエ(1722年 - 1780年)の第2子としてベルリンで生まれた。1758年に王太弟であった父アウグスト・ヴィルヘルムが死去したため、兄フリードリヒ・ヴィルヘルムが王位継承順位第1位に、ハインリヒが同第2位になった。兄とともにパレッツ城で育てられたが、ハインリヒは熱病のため1767年5月26日に死去した。墓所はベルリン大聖堂にある。