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ハインリヒ63世・ロイス・ツー・ケストリッツ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ハインリヒ63世・ロイス・ツー・ケストリッツ
Heinrich LXIII. Reuß zu Köstritz

出生 (1786-06-18) 1786年6月18日
ベルリン
死去 (1841-09-27) 1841年9月27日(55歳没)
シュトンスドルフドイツ語版
配偶者 エレオノーレ・ツー・シュトルベルク=ヴェルニゲローデ
  カロリーネ・ツー・シュトルベルク=ヴェルニゲローデ
子女 一覧参照
家名 ロイス=ケストリッツ家(中子系)
父親 ハインリヒ44世・ロイス・ツー・ケストリッツ
母親 ヴィルヘルミーネ・フォン・ゴイダー=ラーベンシュタイナー
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ハインリヒ63世・ロイス・ツー・ケストリッツHeinrich LXIII. Prinz Reuß zu Köstritz, 1786年6月18日 - 1841年9月27日)は、ドイツの小諸侯ロイス家の侯子。ハインリヒ74世・ロイス・ツー・ケストリッツの異母兄。

生涯

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ロイス=ケストリッツ侯子ハインリヒ44世(1753年 - 1832年、ハインリヒ24世の孫)とその最初の妻の男爵令嬢ヴィルヘルミーネ・フォン・ゴイダー=ラーベンシュタイナー(1755年 - 1790年)の間の第2子、次男として生まれた。1833年、兄ハインリヒ60世の死によりクリップハウゼン英語版ライヒナムドイツ語版およびクリックスドイツ語版騎士領ドイツ語版を相続した[1]。家領相続に伴い、ザクセン王国議会英語版の第1院議員席を与えられた。長男のハインリヒ4世が1878年に本家筋のハインリヒ64世からロイス=ケストリッツ侯位を継承したため、現在のロイス侯家家長はハインリヒ63世の直系となっている。

子女

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1819年2月21日にヴェルニゲローデにおいて、シュトルベルク=ヴェルニゲローデ伯ハインリヒの娘エレオノーレ(1801年 - 1827年)と結婚した。夫妻は間に6人の子女をもうけた。

  • ヨハンナ(1820年 - 1878年) - 1843年、シェーナイヒ=カロラート侯子フェルディナントと結婚
  • ハインリヒ4世(1821年 - 1894年) - ロイス=ケストリッツ侯
  • アウグステ(1822年 - 1862年) - 1849年、メクレンブルク=シュヴェリーン大公フリードリヒ・フランツ2世と結婚
  • ハインリヒ6世(1823年)
  • ハインリヒ7世(1825年 - 1906年) - トレブシェン領主
  • ハインリヒ10世(1827年 - 1847年)

1828年5月11日、死別した最初の妻の妹カロリーネ(1806年 - 1896年)と再婚し、間に6人の子女をもうけた。

  • ハインリヒ12世(1829年 - 1866年) - シュトンスドルフ領主
  • ハインリヒ13世(1830年 - 1897年) - バシュコウ領主
  • ルイーゼ(1832年 - 1862年)
  • ハインリヒ15世(1834年 - 1869年) - クリップハウゼン領主
  • アンナ(1837年 - 1907年) - 1863年、シュトルベルク=ヴェルニゲローデ侯オットーと結婚
  • ハインリヒ17世(1839年 - 1870年) - 普仏戦争で戦死

参考文献

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  • Gothaischer Hofkalender, verschiedene Jahrgänge des 19. Jh.

脚注

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  1. ^ Josef Matzerath: Aspekte sächsischer Landtagsgeschichte – Präsidenten und Abgeordnete von 1833 bis 1952, Dresden 2001, S. 48