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ハインリヒ69世 (ロイス=ケストリッツ侯)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ハインリヒ69世
Heinrich LXIX.
ロイス=ケストリッツ侯
幼いハインリヒ69世と3人の姉コンスタンツェ(1785年 - 1803年)、エミーリエ(1787年 - 1854年)、テレーゼ(1790年 - 1858年)、ヨハン・フリードリヒ・レーベレヒト・ラインホルト画、1796年。
在位 1856年 - 1878年

出生 (1792-05-19) 1792年5月19日
ケストリッツ英語版
死去 (1878-02-01) 1878年2月1日(85歳没)
ケストリッツ
配偶者 マティルダ・ハリエット・エリザベス・ロック
家名 ロイス=ケストリッツ家(長子系)
父親 ハインリヒ48世・ロイス・ツー・ケストリッツ
母親 クリスティーネ・フォン・シェーンブルク=ヴェクセルブルク=フォアダーグラウハウ
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ハインリヒ69世の母クリスティーネの胸像と、その周りを囲む3人の姉妹ツェツィーリエ(1788年 - 1851年)、アーデルハイト(1794年 - 1875年)、クレメンティーネ(1789年 - 1870年)、ヨハン・フリードリヒ・レーベレヒト・ラインホルト画、1795年。

ハインリヒ69世Heinrich LXIX. Fürst Reuß-Köstritz, 1792年5月19日 - 1878年2月1日)は、ドイツの貴族。ロイス=ケストリッツ侯。

生涯

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ロイス=ケストリッツ伯ハインリヒ6世の末子ハインリヒ48世(1759年 - 1825年)と、その妻の伯爵令嬢クリスティーネ・フォン・シェーンブルク=ヴェクセルブルク=フォアダーグラウハウ(1766年 - 1833年)の間の唯一の男子で、6人の姉妹と一緒に育った。

1834年11月5日フィレンツェで、イギリス陸軍少将ジョン・ロック (1770年 - 1837年)の娘マティルダ・ハリエット・エリザベス・ロック(1804年 - 1877年)と結婚。彼女の母レディ・マティルダ・ジェーン・コートニー(1778年 - 1848年)は、ウィリアム・ベックフォードの男色相手として知られる第9代デヴォン伯爵の妹である。

身分は長く伯爵(Graf)だったが、1853年11月12日本家筋の弟系ロイス侯国侯家の計らいで侯子(Prinz)に昇格した。1856年9月16日、従兄のハインリヒ64世が独身のまま死去すると、ロイス=ケストリッツ家の家督及び分封領(パラギウムドイツ語版)を継承。家督には弟系ロイス邦議会ドイツ語版の世襲投票権が付随した。1871年11月27日より終身で同邦議会議員を務めた。

実子の無いハインリヒ69世の死と同時にケストリッツ家の長子系は途絶えた。中子系のハインリヒ4世侯子が家督と分封領を継いだ。

参考文献

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  • Reyk Seela: Landtage und Gebietsvertretungen in den reußischen Staaten 1848/67–1923. Biographisches Handbuch (= Parlamente in Thüringen 1809–1952. Tl. 2). G. Fischer, Jena u. a. 1996, ISBN 3-437-35046-3, S. 245.
  • Michael Stolle: Der Komponist Heinrich XXIV. Reuß-Köstritz: ein Meister strenger Schönheit, Hildesheim; Zürich; New York: Georg Olms Verlag, 2016, ISBN 978-3-487-08577-7, S. 31–32.
先代
ハインリヒ64世
ロイス=ケストリッツ侯
1856年 - 1878年
次代
ハインリヒ4世