コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ハタイ国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ハタイ国
Hatay Devleti(トルコ語)
État du Hatay(フランス語)
دولة حطاي(アラビア語)
シリア第一共和国 1938年 - 1939年 トルコ
ハタイ県
ハタイの国旗
(国旗)
国歌: İstiklâl Marşı(トルコ語)
独立行進曲
ハタイの位置
フランス委任統治領シリア。桃色左上がアレクサンドレッタ県。
公用語 トルコ語
言語 フランス語
アラビア語
首都 アンタキヤ
大統領
1938年 - 1939年 タイフル・ショクメン英語版
首相
1938年 - 1939年アブドゥルラフマン・メレク英語版
変遷
シリア、ハタイ独立 1936年10月
国際連盟、ハタイ自治州承認1937年
議会選挙1937年8月~翌月
共和国樹立1938年9月
トルコ、ハタイ編入1939年7月
通貨トルコリラ
現在トルコの旗 トルコ

ハタイ共和国は、1938年から1939年にかけて、現在のトルコ共和国ハタイ県の範囲にあった、トルコ系の短命国家である。

歴史

[編集]

独立まで

[編集]

第一次世界大戦までは、オスマン帝国のハレプ州英語版の一部であった。 ムドロス休戦協定で、アレクサンドレッタ県は、アナトリアに進んだフランス軍に占領された。1921年10月のアンカラ条約でシリア領内に置かれた。しかし、特別自治区として、トルコの文化が尊重された。

独立

[編集]

1936年のシリア独立にあたって、フランスは、ハタイを自治州ではなくシリアの一部としたが、トルコ政府は抗議し、国際連盟に訴えた。ムスタファ・ケマル・アタテュルクがフランス大使に独立を強く訴えた結果、同年10月にフランスはこれを承認し、シリア独立と共にハタイも自治州として独立した。その後、1937年には国際連盟もこれを承認した。

共和国時代

[編集]

ハタイ独立後、議会選挙が行われたものの、これの監督がフランス軍であることに対し、トルコ政府はシュキュル・カナトル大佐率いるトルコ軍を派遣した。結果、1937年8月の議会選挙で、トルコ人が多数派を獲得し、1938年9月2日にハタイ共和国が建国され、大統領も選出された。

共和国の独自通貨は発行されずシリアポンド、引き続いてトルコリラが通用した。切手については、当初、トルコ共和国の切手にHATAY DEVLETİの文字が加刷されたものが用いられたが、1939年に独自の切手が発行された(図柄は5種で、ハタイの国旗・ハタイの地図・ハタイの郵便局・アンティオキアの城塞・アンティオキアのライオン)。なお、トルコ共和国への編入に際して、ハタイの切手にはTC ilhak tarihi 30-6-1939の加刷がなされ、しばらくの間通用していた。

編入

[編集]

共和国の建国後も、トルコ人が議会の多数派であることは変わらなかった。ハタイ編入を強く望んでいたムスタファ・ケマルの死去後、1939年6月29日のハタイ共和国議会の決議をもって、1939年7月7日にトルコへ編入された。ハタイ共和国は、ハタイ県に取って代わられる形で崩壊した。

その他

[編集]

1989年に公開された映画「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」のクライマックスはハタイが舞台となっている。

参考文献

[編集]