ハックニーのアマースト男爵
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ハックニーのアマースト男爵 Barony of Amherst of Hackney | |
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創設時期 | 1892年8月26日 |
創設者 | ヴィクトリア |
貴族 | 連合王国貴族 |
初代 | ウィリアム・ティッセン=アマースト |
現所有者 | ウィリアム・セシル (5代男爵) |
推定相続人 | アンソニー・セシル |
相続資格 | 初代男爵の直系嫡出の男系男子、特別継承規定でその長女の直系嫡出の男系男子 |
モットー | 一つの心、一つの道 (COR UNUM VIA UNA) |
ハックニーのアマースト男爵(英: Baron Amherst of Hackney)は、連合王国貴族の男爵位。
保守党の政治家ウィリアム・ティッセン=アマーストが1892年に叙されたのに始まる。特別継承規定でエクセター侯爵セシル家の分流によって女系継承されて現在に至っている。
歴史
[編集]保守党所属の庶民院議員ウィリアム・ティッセン=アマースト(1835–1909)は、1892年8月26日の勅許状によって連合王国貴族ロンドン州におけるハックニーのハックニ―のアマースト男爵(Baron Amherst of Hackney, of Hackney in the County of London)に叙せられた。この爵位は特別継承規定により娘のメアリー(1857-1919)とその男系男子への継承を認めていた[1][2]。
2代女男爵メアリーは第3代エクセター侯爵ウィリアム・セシルの三男で廷臣のウィリアム・セシル卿(1854-1943)と結婚していた[2][3]。
その間の長男ウィリアム(1886-1914)は第一次世界大戦の第一次エーヌ会戦で玉砕したため、その遺児ウィリアム・アレグザンダー(1912-1980)が3代男爵を継承した。彼は陸軍軍人であり、第二次世界大戦では中東軍に所属して従軍した[2][4]。
彼の死後、その長男ウィリアム・ヒュー(1940-2009)が4代男爵を継承したのち、さらにその長男ヒュー・ウィリアム(1968-)が5代男爵を継承した。彼が2016年現在の当主である[2][5]。
ハックニーのアマースト男爵 (1892年)
[編集]- 初代アマースト男爵ウィリアム・アマースト・ティッセン=アマースト (1835–1909)
- 2代アマースト女男爵メアリー・ロシズ・マーガレット・セシル (1857–1919)
- 3代アマースト男爵ウィリアム・アレグザンダー・イヴェリング・セシル (1912–1980)
- 4代アマースト男爵ウィリアム・ヒュー・アマースト・セシル (1940–2009)
- 5代アマースト男爵ヒュー・ウィリアム・アマースト・セシル (1968-)
- 法定推定相続人は現当主の息子のジャック・ウィリアム・アマースト・セシル (2001-)
系図
[編集]→「セシル家 § 系図」を参照
出典
[編集]- ^ Lundy, Darryl. “William Amhurst Tyssen-Amherst, 1st Baron Amherst of Hackney” (英語). thepeerage.com. 2016年2月28日閲覧。
- ^ a b c d Heraldic Media Limited. “Amherst of Hackney, Baron (UK, 1892)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年2月28日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Mary Rothes Margaret Tyssen-Amherst, Baroness Amherst of Hackney” (英語). thepeerage.com. 2016年2月28日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “William Alexander Evering Cecil, 3rd Baron Amherst of Hackney” (英語). thepeerage.com. 2016年2月28日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Hugh William Amherst Cecil, 5th Baron Amherst of Hackney” (英語). thepeerage.com. 2016年2月28日閲覧。