ハリーナ・チェルニー=ステファンスカ
ハリーナ チェルニー=ステファンスカ | |
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基本情報 | |
生誕 | 1922年12月30日 |
出身地 | ポーランド、クラクフ |
死没 | 2001年7月1日(78歳没) |
学歴 | エコールノルマル音楽院 |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | ピアニスト |
担当楽器 | ピアノ |
公式サイト | Halina Czerny-Stefańska ホームページ |
ハリーナ・チェルニー=ステファンスカ(ポーランド語: Halina Czerny-Stefańska (ハリナ・チェルヌィ=ステファィンスカ)、1922年12月30日 クラクフ - 2001年7月1日 クラクフ[1])は、ポーランドの女性ピアニスト、教育者。娘はチェンバロ奏者のエルジュビェタ・ステファンスカ。
経歴
[編集]ポーランドのクラクフに生まれる[2]。幼少期から父からピアノの手ほどきを受ける。第4回ショパン国際ピアノコンクール(ワルシャワ、1949年9月15日 - 10月15日)で第1位および最優秀マズルカ演奏賞を受賞。パリに留学し、エコールノルマル音楽院でコルトーに学ぶ。ショパン・コンクールでの成功を機に、全世界でショパンを弾いて回った。ポーランドを代表するショパン弾きとして一世を風靡したが、レパートリーはバロック、古典から現代曲まで多岐にわたる。自国ポーランド人作曲家の曲も積極的に演目に取り入れた。
独奏曲、室内楽曲
[編集]ポーランドの作曲家
[編集]M.K.オギンスキ(1765年 - 1833年)、ショパン、ザレンプスキ、パデレフスキ、S.リプスキ(1880年 - 1937年)、シマノフスキ、シェリゴフスキ、B.ルトコフスキ(1898年 - 1963年)、マチェイェフスキ、M.スピサク(1914年 - 1965年)、グレツキ
その他の作曲家
[編集]コレッリ、パーセル、クーナウ、テレマン、グラウプナー、ラモー、ヘンデル、J.S.バッハ、D.スカルラッティ、ダカン、G.B.ペシェエッティ(1704年頃 - 1766年)、W.Fr.バッハ、ミスリヴェチェク、クレメンティ、モーツァルト、ベートーヴェン、ウェーバー、シューベルト、メンデルスゾーン、シューマン、リスト、ラフ、ライネッケ、ブラームス、グリーグ、アルベニス、ドビュッシー、グレチャニノフ、ブゾーニ、スクリャービン、ラフマニノフ、ラヴェル、ファリャ、バルトーク、インファンテ、マルタン、プロコフィエフ、オネゲル、プーランク、ハチャトゥリアン、ショスタコーヴィチ、矢代秋雄
ピアノ協奏曲
[編集]- J.S.バッハ - BWV1060 - 1065
- C.Ph.E.バッハ - 協奏曲変ホ長調
- モーツァルト - KV466、KV467、KV488
- ベートーヴェン - 第2番
- メンデルスゾーン - 第1番
- ショパン - 第1番、アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ
- リスト - 第1番
- フランク - 交響的変奏曲
- グリーグ - イ短調
脚注
[編集]- ^ Halina Czerny-Stefańska Fryderyk Chopin Institute
- ^ 吉澤ヴィルヘルム『ピアニストガイド』青弓社、印刷所・製本所厚徳所、2006年2月10日、55ページ、ISBN 4-7872-7208-X
外部リンク
[編集]- Halina Czerny-Stefańskaプロフィール