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ハートビルの戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ハートビルの戦い
Battle of Hartville
南北戦争
1863年1月9日 (1863-01-09)– 1863年1月11日 (1863-1-11)
場所ミズーリ州ライト郡
結果 決着つかず
衝突した勢力
アメリカ合衆国の旗 北軍 アメリカ連合国の旗 南軍
指揮官
サミュエル・メリル ジョン・マーマデューク
部隊
ミズーリ州南西地区軍 ミシシッピ流域方面軍第1軍団第4師団
戦力
最大750名
被害者数
総計78名
戦死7名
負傷64名
不明あるいは捕虜7名
総計111名
戦死12名
負傷96名
不明あるいは捕虜3名

ハートビルの戦い(ハートビルのたたかい、: Battle of Hartville)は、南北戦争1863年1月9日から11日、ミズーリ州ライト郡で、南軍ジョン・マーマデューク准将によるミズーリ州への第一次遠征の一部として起きた戦闘である。

背景

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1863年1月初旬、マーマデュークの指揮する南軍襲撃隊がミズーリ州に入った。この動きは二手に分かれていた。マーマデュークの本隊は1月8日にスプリングフィールド北軍と衝突し、北軍の陣地を攻略できずに終わった。もう1隊はジョセフ・C・ポーター大佐が指揮するミズーリ騎兵旅団であり、アーカンソー州ポカホンタスを出てミズーリ州ハートビル周辺の北軍基地に向かった。ポーター隊が1月9日にハートビルに接近すると、前方偵察のために分遣隊を派遣した。その分遣隊は民兵の小守備隊を捕獲することに成功した。同日、ポーターはミズーリ州マーシュフィールドの方向に移動した。1月10日、ポーター隊の一部が地域にある北軍の施設を襲撃し、その後にマーシュフィールドの東にいたマーマデュークの部隊と接触した。マーマデュークは北軍が自隊を包囲するために接近しているという報告を受け、戦闘に備えた。

1月10日、北軍サミュエル・メリル大佐が、ミズーリ州ヒューストンからの救援部隊を指揮して接近していた。その日の朝にハートビルに到着し、小守備隊が既に降伏していたことが分かり、スプリングフィールドに向かった。その部隊はガスコネイド川のウッド支流沿いで宿営した。1月11日早朝、接近してきたポーター指揮下の南軍がメリル隊のスカウトに接触し、小競り合いが始まった。

戦闘

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マーマデュークは幾つかの敵部隊に圧力を掛けられると考えたので、ポーターとジョセフ・オービル・シェルビー大佐の部隊を、ハートビルへ向かう別の道路へ向かわせた。一方、この動きを見てメリルはその部隊を直接ハートビルに向かわせ、郡庁舎の西にあり遮蔽のある高台で強固な防御陣地を布かせた。シェルビーとポーターの部隊はメリルの部隊を追い落とそうとしたが、そこはあまりに強固な陣地になっていた。4時間の間に南軍が何度か突撃を繰り返したが、そのたびに撃退された。最終的にメリルの方がその部隊の大半を引かせたが。ダンラップ中佐が指揮する部隊の3分の1には命令が届かず、夜になるまで戦場を守り続けた。

戦闘の後

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夜が近づくに従い、両軍とも敵部隊が戦場から退くのを見守っており、その結果両軍が勝利を主張した。実際の結果は複雑だった。北軍指揮層の観点からは、マーマデューク隊に大きな損失を与えて撃退したが、北軍も戦場からの撤退を強いられた。南軍の観点からすれば、マーマデュークはその軍を統合して、撤退の経路を確保した。町では野戦病院を設置し、短期間戦場を支配したと主張できた。しかし、アーカンソー州への急な撤退を強いられ、冬季宿営地まで大変な行程があった。さらに正面攻撃を掛けたことで、旅団長のジョセフ・C・ポーター大佐、エメット・マクドナルド大佐、ジョン・ワイマー中佐、ジョージ・R・カートリー少佐など上級士官数人を戦死あるいは致命傷を負わせてしまった[1]

この襲撃自体はこの地域の北軍に大きな混乱を生じさせており、多くの小さな前進基地が侵略、破壊、あるいは放棄された。もう一つの大きな目標だったスプリングフィールドの補給所は北軍が保持した。襲撃隊が逃亡に成功したことは、ミズーリ州の北軍が速い動きの遠征に弱いことを示していた。

対戦した部隊

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北軍: サミュエル・メリル大佐

  • 第99イリノイ歩兵連隊 - レミュエル・パーク中佐
  • 第21アイオワ歩兵連隊 - C・W・ダンラップ中佐(負傷)
  • 第3アイオワ騎兵隊(分遣隊) - ジョージ・ダフィールド少佐
  • 第3ミズーリ騎兵隊(分遣隊) - トマス・G・ブラック大尉
  • 第2ミズーリ砲兵隊、L大隊(部分) - ウィリアム・ウォルトシュミット中尉

南軍: ジョン・マーマデューク准将

シェルビー旅団 - ジョセフ・オービル・シェルビー大佐
  • 第1ミズーリ騎兵隊 - B・F・ゴードン中佐 - Maj. ジョージ・R・カートリー少佐(戦死)[2]
  • 第2ミズーリ騎兵隊 - C・A・ギルキー中佐
  • 第3ミズーリ騎兵隊 - ギデオン・W・トンプソン大佐
  • 第1ミズーリ騎兵大隊 - ベン・エリオット少佐
  • クァントリルのパルティザン・レンジャーズ - ウィリアム・H・グレッグ中尉
ポーター旅団 - ジョセフ・C・ポーター大佐(致命傷)[3]
  • バーブリッジズ連隊 - ジョン・M・ワイマー中佐(戦死)[4]
  • グリーン連隊 - L・C・キャンベル中佐
  • ジェファーズ連隊 - ウィリアム・M・ジェファーズ大佐
旅団外
  • マクドナルドのミズーリ連隊 - エメット・マクドナルド大佐(戦死)[5]
砲兵
  • ブラウン大尉のアーカンソー大隊 - ルイス・T・ブラウン大尉[6]
  • コリンズ中尉のブレッドソー大隊(部分、後にコリンズ大隊) - リチャード・A・コリンズ中尉[7]

上記の情報は、特記されているもの以外、フレデリック・ゴーマンの資料に基づいている[8]

脚注

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  1. ^ “Marmaduke’s Expedition into Missouri”. Index to the Miscellaneous Documents of the House of Representatives. Congressional edition, Volume 2580. United States Congress. U.S. Government Printing Office, 1889, p. 197. [1]
  2. ^ “Marmaduke’s Expedition into Missouri”. Index to the Miscellaneous Documents of the House of Representatives. Congressional edition, Volume 2580. United States Congress. U.S. Government Printing Office, 1889,p. 188. https://books.google.co.jp/books/about/Congressional_edition.html?id=bEBHAQAAIAAJ&redir_esc=y&hl=ja
  3. ^ “Marmaduke’s Expedition into Missouri”. Index to the Miscellaneous Documents of the House of Representatives. Congressional edition, Volume 2580. United States Congress. U.S. Government Printing Office, 1889, p. 188. https://books.google.co.jp/books/about/Congressional_edition.html?id=bEBHAQAAIAAJ&redir_esc=y&hl=ja
  4. ^ “Marmaduke’s Expedition into Missouri”. Index to the Miscellaneous Documents of the House of Representatives. Congressional edition, Volume 2580. United States Congress. U.S. Government Printing Office, 1889, p. 207 https://books.google.co.jp/books/about/Congressional_edition.html?id=bEBHAQAAIAAJ&redir_esc=y&hl=ja
  5. ^ “Marmaduke’s Expedition into Missouri”. Index to the Miscellaneous Documents of the House of Representatives. Congressional edition, Volume 2580. United States Congress. U.S. Government Printing Office, 1889, p. 190. https://books.google.co.jp/books/about/Congressional_edition.html?id=bEBHAQAAIAAJ&redir_esc=y&hl=ja
  6. ^ McGhee, James E., Guide to Missouri Confederate Units, 1861-1865, University of Arkansas, 2010, p. 69
  7. ^ McGhee, James E., Guide to Missouri Confederate Units, 1861-1865, University of Arkansas, 2010, pp. 7-8
  8. ^ Goman, Frederick W., Up From Arkansas: Marmaduke's First Missouri Raid Including the Battles of Springfield and Hartville, 1999, pp. 93-94

参考文献

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  • National Park Service battle description
  • Goman, Frederick W., Up From Arkansas: Marmaduke's First Missouri Raid Including the Battles of Springfield and Hartville, 1999
  • Historical Society of Wright County, Missouri, The Civil War Battle of Hartville and Related Events, 1997
  • Mudd, Joseph A., With Porter In North Missouri, 1904
  • Robinett, Paul M., Marmaduke's Expedition into Missouri: The Battles of Springfield and Hartville, January, 1863, Missouri Historical Review, January 1964
  • “Marmaduke’s Expedition into Missouri”. Index to the Miscellaneous Documents of the House of Representatives. Congressional edition, Volume 2580. United States Congress. U.S. Government Printing Office, 1889. https://books.google.co.jp/books/about/Congressional_edition.html?id=bEBHAQAAIAAJ&redir_esc=y&hl=ja

座標: 北緯37度15分04秒 西経92度30分40秒 / 北緯37.2511度 西経92.5111度 / 37.2511; -92.5111