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ハーバート・サミュエル (初代サミュエル子爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
初代サミュエル子爵
ハーバート・サミュエル
Herbert Samuel, 1st Viscount Samuel
生年月日 1870年11月6日
出生地 イギリスの旗 イギリスランカシャー州、リヴァプールトックステス
没年月日 1963年2月5日
出身校 ユニヴァーシティ・カレッジ・スクール
オックスフォード大学ベリオール・カレッジ
所属政党 自由党
称号 一等バス勲章勲爵士 (GCB)
メリット勲章勲爵士 (OM)
一等大英帝国勲章勲爵士 (GBE)
枢密顧問官 (PC)
配偶者 ベアトリス・フランクリン
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初代サミュエル子爵ハーバート・ルイス・サミュエルHerbert Louis Samuel, 1st Viscount Samuel, GCB, OM, GBE, PC1870年11月6日 - 1963年2月5日[1])は、イギリスの政治家・外交官・思想家・貴族。

自由党の政治家で自由党政権(あるいは自由党参加政権)で閣僚職、イギリス委任統治領パレスチナ高等弁務官(初代)、自由党党首を歴任した。

経歴

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リヴァプールトックステス英語版に生まれる。祖先はポーランド系で、サミュエル・モンタギューに始まるスウェイスリング男爵家は親戚である。父エドウィンはユダヤ人銀行家だった[2]

1902年クリーヴランド選挙区英語版から選出されて自由党の庶民院議員となり、1918年まで務めた[3]

1905年から1909年にかけてキャンベル=バナマン内閣とアスキス内閣で内務省政務次官英語版を務めた。1909年からランカスター公領大臣、1910年〜1914年・1914年〜1916年にかけて郵政長官英語版)、1916年には内務大臣を務めた[3][4]。郵政長官在職中の1912年に発生したマルコニ事件英語版ではロイド・ジョージルーファス・アイザックスとともにインサイダー取引を疑われた閣僚の一人だったが、失脚は免れた[5]

エドモン・バンジャマン・ド・ロチルド(右)とともに、1920年

第一次世界大戦後の1920年から1925年にかけてはイギリス委任統治領となったパレスチナ高等弁務官英語版を務め、約二千年ぶりにパレスチナを統治するユダヤ人とも評された[6]。サミュエルは大戦中からサミュエル覚書英語版で精力的にシオニズムの支持を閣内で先駆けて訴えており[7][8][9]、ロイド・ジョージから初代高等弁務官に相応しい人物と認められ[10]、その就任はユダヤ人に歓迎された一方でイギリス陸軍のエドモンド・アレンビーは現地のアラブ人住民との摩擦などを危惧した[11][12]。在任中のサミュエルはシオニストとそれに不満を募らせるアラブ民族主義者の仲裁に尽力し[13][14][15]、アラブ人の歓心を買うために反英・反シオニズムの急先鋒で暴動の罪に問われていたアミーン・フサイニー恩赦を与えてエルサレムの大ムフティーに任じており[16][17]、これはサミュエルがムフティー選挙で最も支持を集めていたフサム・アッディーン・ジャーラッラー英語版を説得したことで実現した[18]

ハイム・ヴァイツマン(中央左)、ロイド・ジョージ(中央右)とともに
エドムンド・アレンビー将軍(左)、アーサー・バルフォア伯(中央)とともにヘブライ大学にて、1925年1月

1925年には政府の石炭業調査のための王立委員会の委員長に就任し、翌1926年5月に「炭鉱の統合を進めて巨大化させる合理化によって坑外浴場設置等の労働条件改善を改善しつつ、労働賃金は切り下げざるをえない」とする政府への報告書をまとめた[19][20]。しかし炭坑労働者はこの報告に強く反発し、労働組合会議(TUC)はその声に押されてゼネストに入った。しかしTUCがゼネストに消極的なことに目を付けたサミュエルは彼らに妥協案を突き付けた。この狙いは当たり、TUCは炭坑労働者を見捨ててサミュエルの妥協案に飛びつき、これによりゼネストを終息させることに成功している[21]

1929年から1935年にかけてはダーウェン選挙区英語版から選出されて再び庶民院議員となる[3][4]

1929年から自由党の副党首を務め、1931年にロイド・ジョージの後継者として自由党党首に就任[2]。同年8月にマクドナルド挙国一致内閣を支持して同内閣の内務大臣に就任した。閣内では自由貿易主義の閣僚であったため、その翌年には政府が保護貿易主義に傾いたことに反発して下野した[2][22]。下野後も1935年まで自由党党首を務め、内閣に残留するジョン・サイモンの指導する分派挙国自由党英語版と対立した[2]

1937年連合王国貴族爵位サミュエル子爵に叙され、貴族院議員に列した[23]

1944年から1955年にかけて貴族院自由党院内総務を務めた[2]

1963年2月5日に死去した[3]

栄典

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爵位

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1937年6月8日に以下の爵位を新規に叙される[3]

勲章

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家族

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1897年にベアトリス・フランクリンと結婚し、彼女との間に以下の3男1女を儲けた[3][4]

  • 長男エドウィン・ハーバート・サミュエル英語版 (1898-1978) - 第2代サミュエル子爵を継承
  • 次男フィリップ・エリス・ハーバート・サミュエル (1900-1996)
  • 三男ゴドフリー・ハーバート・サミュエル (1904-1982)
  • 長女ナンシー・アデレード・サミュエル(生没年不詳) - アーサー・サラマンと結婚

著書

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  • The war and liberty and an address on reconstruction(1917年) Hodder and Stoughton, NCID BA83972138
  • Free trade or food taxes? : an examination of the fiscal question(1930年)Liberal Publication Department, NCID BA23462428.
  • British Institute of Philosophy(編纂) Philosophy and the ordinary man : the presidential address (1932) to the British Institute of philosophy.(1932年) Kegan Paul, Trench, Trubner, 1932. NCID BA81508504. 英国哲学会の会長挨拶
  • Great Britain and Palestine : delivered in the Great hall of University college, London.(1935年)The Jewish historical society of England "The Lucien Wolf memorial lecture; 2". NCID BA89004719. ロンドン・ユニバーシティ・カレッジで行った演説。イギリス - パレスチナ関係を取り上げた。
  • "Practical Ethics"(1937年)
    • 西村光治(訳) 『実践倫理学』洛陽書院、1941年。NCID BA3140917X
  • Belief and action : an everyday philosophy.(1937年)Bobbs-Merrill, NCID BA19233471
  • Anti-slavery and Aborigines Protection Society, London(編纂) The British colonial system and its future : an address (1943年)The Anti-slavery and Aborigines Protection Society 1943, NCID BA84336030.
  • Creative man (1947) The Clarendon Press, NCID BA16452344
  • Leisure in a democracy (1949) Published for the National Book League by the Cambridge University Press "National Book League annual lectures series 6th", NCID BA54174541
  • Building research congress 1951 ; papers presented in devision(1951年)Building Research Congress, NCID BA42814362.
    • Building Research Congress(編纂)Building Research Congress 1951 : papers presented in division 私家版複製。
  • Religion in the modern world(1952年)George Allen, NCID BA59071761.
  • In Search of Reality (1957年)Blackwell, NCID BA25933434.
  • Dingle, Herbert(共著)A threefold cord : philosophy, science, religion(1961年頃) Allen & Unwin, NCID BA4287334X.
    • Dingle, Herbert(共著)A threefold cord : philosophy, science, religion : a discussion between Viscount Samuel and Professor Herbert Dingle(2013年)Routledge "Routledge library editions : Philosophy of religion"(第32巻)ISBN 9780415829359, NCID BB17949593.

脚注

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出典

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  1. ^ Jewish Virtual Library Herbert Louis Samuel (1870 - 1963)
  2. ^ a b c d e 松村赳 & 富田虎男 2000, p. 664.
  3. ^ a b c d e f g Heraldic Media Limited. “Samuel, Viscount (UK, 1937)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年8月13日閲覧。
  4. ^ a b c d e f Lundy, Darryl. “Herbert Louis Samuel, 1st Viscount Samuel” (英語). thepeerage.com. 2016年8月13日閲覧。
  5. ^ 吉沢英成 1989, p. 40-224.
  6. ^ Jewish Virtual Library Herbert Louis Samuel (1870–1963)
  7. ^ Weizmann, Chaim (1983). The Letters and Papers of Chaim Weizmann: August 1898 – July 1931. Transaction Publishers. p. 122–124. ISBN 978-0-87855-279-5.
  8. ^ C.D. Smith, 2001, Palestine and the Arab-Israeli conflict, 4th ed., ISBN 0-312-20828-6, pp. 60, 112.
  9. ^ Schneer, Jonathan (2011). The Balfour Declaration: The Origins of the Arab-Israeli Conflict. A&C Black. pp. 144–. ISBN 978-1-4088-0970-9.
  10. ^ Samuel, Memoirs, pp. 149-50.
  11. ^ Vital, Zionism, p. 83. Also Knox, The Making of a New Eastern Question, p. 153, and Ingrams, Palestine Papers, p. 105.
  12. ^ Henry Laurens, La Question de Palestine, Fayard, Paris 1999 vol.1 p.523
  13. ^ クラーク 2004, p. 129.
  14. ^ C.D. Smith, 2001, Palestine and the Arab-Israeli conflict, 4th ed., ISBN 0-312-20828-6, pp. 110–112
  15. ^ B. Wasserstein, 1978, British in Palestine, p. 92
  16. ^ Horovitz, Ahron (2000). Jerusalem, Footsteps Through Time. Feldheim. pp. 171–174. ISBN 1583303987.
  17. ^ Elpeleg, Zvi (2007) [1993]. Himmelstein, Shmuel (ed.). The Grand Mufti: Haj Amin Al-Hussaini, Founder of the Palestinian National Movement. (trans. David Harvey). Routledge. pp. 7–10. ISBN 978-0-714-63432-6.
  18. ^ Martin Sicker, Pangs of the Messiah: The Troubled Birth of the Jewish State (Praeger 2000) p. 32f.
  19. ^ 坂井秀夫 1974, p. 63.
  20. ^ クラーク 2004, p. 133.
  21. ^ クラーク 2004, p. 134.
  22. ^ クラーク 2004, p. 167.
  23. ^ UK Parliament. “Mr Herbert Samuel” (英語). HANSARD 1803-2005. 2016年8月13日閲覧。

参考文献

[編集]

外部リンク

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ウィキメディア・コモンズには、初代サミュエル子爵ハーバート・サミュエルに関するカテゴリがあります。

グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国議会
先代
アルフレッド・ピース英語版
クリーヴランド選挙区英語版選出庶民院議員
1902年英語版1918年
次代
サー・パーク・ゴフ準男爵英語版
先代
サー・フランク・サンダーソン準男爵英語版
ダーウェン選挙区英語版選出庶民院議員
1929年1935年
次代
ステュアート・ラッセル英語版
公職
先代
トマス・コクラン英語版
内務省政務次官英語版
1905年–1909年
次代
チャールズ・マスターマン英語版
先代
初代フィッツモーリス男爵英語版
ランカスター公領大臣
1909年–1910年
次代
ジャック・ピース英語版
先代
シドニー・バクストン英語版
郵政長官英語版
1910年–1914年
次代
チャールズ・ホブハウス英語版
先代
ジョン・バーンズ英語版
自治長官英語版
1914年–1915年
次代
ウォルター・ロング英語版
先代
チャールズ・ホブハウス英語版
郵政長官英語版
1915年–1916年
次代
ジャック・ピース英語版
先代
ウィンストン・チャーチル
ランカスター公領大臣
1915年–1916年
次代
エドウィン・サミュエル・モンタギュー英語版
先代
サー・ジョン・サイモン
内務大臣
1916年1月-12月
次代
サー・ジョージ・ケイヴ英語版
先代
ジョン・ロバート・クラインス
内務大臣
1931年–1932年
次代
サー・ジョン・ギルモア準男爵英語版
外交職
先代
サー・ルイス・ボルス英語版
パレスチナ行政長官
パレスチナ高等弁務官英語版
1920年–1925年
次代
初代プルーマー男爵英語版
党職
先代
不明
自由党副党首
1929年–1931年
次代
サー・アーチボルド・シンクレア準男爵英語版
先代
デビッド・ロイド・ジョージ
自由党党首英語版
1931年–1935年
次代
サー・アーチボルド・シンクレア準男爵英語版
先代
初代クルー侯爵
自由党貴族院院内総務英語版
1944年–1955年
次代
第2代レア男爵英語版
イギリスの爵位
爵位創設 初代サミュエル子爵
1937年–1963年
次代
エドウィン・サミュエル英語版