バスティノ
バスティノ | |
---|---|
欧字表記 | Bustino |
品種 | サラブレッド |
性別 | 牡 |
毛色 | 鹿毛 |
生誕 | 1971年 |
死没 | 1997年10月2日(26歳没) |
父 | Busted |
母 | Ship Yard |
母の父 | Doutelle |
生国 | イギリス |
生産者 | Edgar Cooper Bland |
馬主 | Lady Beaverbrook |
調教師 | Major William R. Dick Hern |
競走成績 | |
生涯成績 | 9戦5勝 |
獲得賞金 | 335,030ドル(換算) |
バスティノ(欧字名:Bustino、1971年 - 1997年)は、イギリス産のサラブレッド。チャンピオン競走馬、種牡馬。
1973年8月から1975年7月に9戦5勝。 クラシック競走のセントレジャーおよびサンダウンクラシックトライアル、ダービートライアルステークス、グレートヴォルティジュールステークスに勝利し1974年イギリス最優秀3歳馬。4歳時にはコロネーションカップをレコードタイムで勝ち、「世紀のレース」とうたわれたキングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスで*グランディの2着となった。1975年イギリス古馬チャンピオン。
背景
[編集]バスティノはエドガー・クーパー・ブランドにより、1967年イギリス年度代表馬バステッド Busted (GB) と繁殖牝馬シップヤード Ship Yard (GB) から生まれた。母系はローズレッド Rose Red (GB) (1924年産、F-No.1-w、父: スウィンフォード Swynford (GB) )に遡る名牝系で、このファミリーにはエプソムダービー馬*ラークスパー (競馬) 、アリシドン Alycidon (GB) 、マイバブー My Babu (FR) 、ベルモントステークス勝馬*セルティックアッシュなどが出ていた [1]。
1歳馬としてニューマーケットのセールに送られたバスティノは、ビーヴァーブルック夫人 (英語版) の代理人で彼女のレーシングマネジャーを務めていたゴードン・リチャーズとディック・ハーン調教師によって21,000ギニーで購買された [2]。ビーヴァーブルック夫人は、1語7文字からなる名前を与える一風変わったネーミング(バスティノ [† 1]、*テリモン Terimon (GB) 、ボールドボーイ Boldboy (GB) 、ニニスキ (英語版) Niniski (USA) 、ミスティコ (英語版) Mystiko (GB) 、ペトスキ (英語版) Petoski (GB) )で知られていた [3] [† 2] 。
バスティノは、トレーニングのためにウェストアイズレー(バークシャー州)のディック・ハーン調教師の元へ送られた。
競走経歴
[編集]1973年: 2歳シーズン
[編集]ハーン調教師の最高の馬の多くがそうであるように、バスティノは2歳時多くは試されなかった。唯一8月ヨークのエーコムステークスに出走し3着となった [5]。
1974年: 3歳シーズン
[編集]4月のサンダウンクラシックトライアル(G3)に出走すると2番人気となり、5ポンド多く背負った後のダービー馬スノーナイト (英語版) Snow Knight (GB) [† 3] を破り初勝利を重賞勝ちで収めた。次走のリングフィールドダービートライアル(G3)でもスノーナイトを降し、このときは同斤量だった [5]。
ダービー(G1)( 1 1/2 マイル = 12ハロン)は、ブライアン・テイラー騎手の好判断により6ハロン手前で先頭に立ったスノーナイトが逃げ切り、インペリアルプリンス Imperial Prince (GB) 、ジャコメッティ Giacometti (IRE) [† 4] に続く4着に終わった [† 5]。1~3着はタッテナムコーナーの通過順通りに決まり、先行できなかったバスティノは後方から最後の直線でジャコメッティを首差まで追い詰めたが、それは既に遅すぎた [7][† 6]。その後バスティノはロンシャン競馬場のパリ大賞典(G1)のためにフランスへ送られ、サガロ (競走馬) Sagaro (IRE) から2馬身差で18頭立ての2着となった。イギリスに戻ると8月にグレートヴォルティジュールステークス(G2)に勝ち、アイルランドダービー馬*イングリッシュプリンスを4馬身差で破った [5]。
9月のドンカスターでバスティノはセントレジャー(G1)の11対10(2.1倍)の本命となった。ハイペースをつくりだした同厩舎のラビット、リボソン Riboson (GB) [† 7] のアシストを受けたバスティノは、直線でリードを広げジャコメッティに3馬身の差を付け優勝した [9]。
1975年: 4歳シーズン
[編集]4歳シーズンを迎え再び競馬場に送り返されたバスティノは、エプソム競馬場のコロネーションカップ(G1)でダービーコースのレコードタイムを書き換えて勝利し [† 8]、後にイギリスの競馬界や主要紙が「世紀のレース」と名付けた舞台に臨んだ。
イギリスの「世紀のレース」
[編集]バスティノは、古馬に開放されているキングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークス(G1)で強敵に直面していた。 出走馬には、ネルソン・バンカー・ハントの世界の競馬史上最も偉大な牝馬の1頭ダリア Dahlia (GB) 、ミラノ大賞(G1)でダリアを破り、前走のエクリプスステークス(G1)も勝って3連勝中のシュターアピール [† 9]、エプソムダービー、アイルランドダービー(G1)を制した3歳のグランディらがいた。
バスティノの 1 1/2 マイルにおける持久力に自信を持っていたディック・ハーン調教師は、グランディを消耗させるべく2頭のラビットを出走させた。猛烈なハイペースでレースは進み、残り半マイルでバスティノとジョー・マーサー騎手が先頭に立った。すぐ後ろでバスティノをマークしていたグランディのパット・エデリー騎手も後を追い、シュターアピールを交わして2番手に上がって行った。しかし直線入り口に差し掛かる頃には3馬身以上の差が付けられており、逆転はほとんど不可能なように見えた。懸命に鞭を入れるエデリー(9回に及んだ)に答えてグランディは少しずつ差を詰め始め、2頭は他の馬を引き離した。残り1ハロンで遂にグランディがバスティノを捕らえ、勝負は決したかに見えた。が、バスティノはすぐに先頭を奪い返した。息詰まる競り合いは半ハロン続いたが、決勝線から100ヤードでグランディが前に出て、最後の数完歩で半馬身の差を付けバスティノの驚異的な走りを退けた [† 10] 。更に5馬身遅れて3連覇の懸かっていたダリアは3着だった。2分26秒98の勝ちタイムはそれまでのレコードを約2秒半破り、6着までがダリアの記録した2分30秒43のレコードを更新していた。これはイギリスで記録された 1 1/2 マイルにおける最速の電気計測タイムだった [11]。このような稀なレースは両方の馬に代償を要求した。グランディは成功せずに一度だけ走り [† 11]、バスティノは二度と出走することはなかった。マーサーは後のインタビューでこう振り返っている。
「もちろん、そのとき我々は最終的には負けてしまったけれども、それは非常に刺激的だった。私の馬はこのレースで故障してしまったので二度と出走することは無かった。それが無ければ、恐らく我々は勝っていただろうと思う。グランディが我々に良く追いついて来たところまでは、彼はレースで勝っていたと思うが、その後彼は手前を変えて勢いをやや失い、グランディは彼を挫くために優位に立った。しかしそれは視聴者や観客に愛された偉大なレースで、2頭は偉大な馬だった。」 [12]
オブザーバー紙による「最も偉大な競馬オールタイム10選」のリストでは、1975年7月26日アスコット競馬場のキングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスにおけるバスティノとグランディの戦いが第2位にランクされた。1位は1936年のアスコットゴールドカップにおけるオークス馬クワッシュド Quashed (GB) とアメリカ合衆国三冠馬オマハ Omaha (USA) の戦いだった [13]。
1週間後、バスティノにレース後初めて強めの調教を行うと、前足の腱に熱を持っているのが発見された。これは関係者以外には伏せられ、調教は乗り運動 [† 12] だけに制限された。しかし強めの調教を再開すると、すぐに熱が再発した。バスティノは凱旋門賞(G1)の出走確定前投票で4対1(5倍)の本命となっていたが、8月31日、腱の故障により競走馬を引退し、ロイヤルスタッドで種牡馬入りすることが正式に発表された [15][† 13][† 14]。
評価
[編集]バスティノは、タイムフォームのレーティングで136の評価を与えられた。レート130は平均を上回るグループ1優勝馬と見なされている。ジョン・ランドールとトニー・モリスによる著作 A Century of Champions では、バスティノを20世紀最高の競走馬で87位、イギリス馬では38位に評価した [16]。
種牡馬経歴
[編集]競走馬を引退したバスティノは、種牡馬としてもバステッドの最良の産駒となり [17]、大いに成功した種牡馬であることを証明した。主な産駒:
- イースターサン Easter Sun (GB) - 牡、鹿毛、1977年、デイスプリング Dayspring Co. Ltd 産。母: マジカル Magical (GB) (F-No.3-j)、母の父: アグレッサー (英語版) Aggressor (GB) (バーラム系)。2~6歳時27戦5勝、コロネーションカップ(G1)、2着: ミラノ大賞典(G1)。種牡馬 [18]。
- バストミ Bustomi (GB) - 牡、鹿毛、1978年、デイスプリング産。母: マインオウン Mineown (GB) (F-No.16-h)、母の父: ローンロケット Roan Rocket (GB)(レリック系)。2~3歳時7戦3勝、キングエドワード7世ステークス(G2)、ゴードンステークス(G3)、3着: セントレジャー(G1)。種牡馬 [19]。
- アルマアタ Alma Ata (IRE) - 牝、1978年、キルカーンスタッド Kilcarn Stud 産。母: アーマンディア Armandia (GB) (F-No.1-l)、母の父: アルサイド Alcide (GB) (ドナテッロ系)。3歳時13戦6勝、パークヒルステークス(G2) [20]。
- キティホーク Kittyhawk (GB) - 牝、鹿毛、1978年、ポーチェスター卿 Lord Porchester 産。母: スカイフェヴァー Sky Fever (GB) (F-No.1-e)、母の父: *スカイマスター Skymaster (GB) (ザボス系)。2~3歳時9戦2勝、ロウザーステークス(G3)、2着: クイーンエリザベス2世ステークス(G2) [21]。
- ハイトオブファッション Height of Fashion (FR) - 牝、鹿毛、1979年、エリザベス2世産。母: ハイクレア Highclere (GB) (F-No.2-f)、母の父: クイーンズハッサー Queens Hussar (GB)(ペティション系)。2~3歳時7戦5勝。2歳時は不敗。エーコムステークス、メイヒルステークス(G3)、フィリーズマイル(G3)に勝ちイギリス2歳牝馬チャンピオン。3歳時ループステークス(ハイトオブファッションステークス (英語版) )(LR)、プリンセスオブウェールズステークス(G2)に勝ち、後者ではアードロス Ardross (IRE) をコースレコードで破った。彼女はまた、クラシック二冠馬ナシュワン Nashwan (USA) や、ネイエフ Nayef (USA) 、複数のグループ競走に勝ち、2000年のイギリス繋養リーディングサイアー(Leading British-based stallion)となったアンフワイン Unfuwain (USA) [22] の母である(詳細はハイトオブファッション参照)。
- ディッシュダッシュ Dish Dash (GB) - 牝、鹿毛、1979年、モインスパークスタッド Moyns Park Stud 産。母: ルーズカバー Loose Cover (GB) (F-No.1-k)、母の父: ヴェンチア Venture (GB) (レリック系)。2~3歳時10戦3勝、リブルスデイルステークス(G2)、3着: ヨークシャーオークス(G1)。産駒: マルーフ Maroof (USA) (牡、鹿毛、1990年、シャドウェルファーム Shadwell Farm & Shadwell Estate Co Ltd 産。父: ダンジグ Danzig (USA) (ノーザンダンサー系)。2~4歳時13戦4勝、クイーンエリザベス2世ステークス(G1)、ヴィンテージステークス(G3)、2着:アイルランドナショナルステークス(G1)、1994年ヨーロッパ古馬チャンピオン。種牡馬) [23][24]。
- *ベッドタイム Bedtime (GB) - 騸、栗毛、1980年、ハリファックス卿 Lord Halifax 産。母: スウィートアワー Sweet Hour (GB) (F-No.22-a)、母の父: *プリメラ Primera (GB) (トウルビヨン系)。3~6歳時16戦10勝、ゴントービロン賞(G3)、カンバーランドロッジステークス(G3)、セプテンバーステークス(G3)、ブリガディアジェラードステークス(G3)、2着:ジャパンカップ(GI)、プリンスオブウェールズステークス(G2) [25]。
- ストゥフィダ Stufida (GB) - 牝、鹿毛、1981年、ラックマンズファーム Ruckmans Farm 産。母: ザービネッタ Zerbinetta (GB) (F-No.7)、母の父: ヘンリーザセブンス Henry the Seventh (GB) (オーエンテューダー系)。2~4歳時23戦8勝、リディアテシオ賞(G1)、ロイヤルメアズ賞(G3) [26]。
- ボルシュカ Borushka (IRE) - 牝、鹿毛、1981年、アーガー・ハーン4世産、母: ヴァルダヴィア Valdavia (FR) (F-No.9-e)、母の父: リボー Ribot (GB) (セントサイモン系ラブレー分枝)。3歳時11戦4勝、パークヒルステークス(G2) [27]。産駒: ベヘーラ Behera (IRE) (牝、鹿毛、1986年、アーガー・ハーン4世産。父: ミルリーフ Mill Reef (USA) (ネヴァーベンド系)。2~3歳時7戦3勝、サンタラリ賞(G1)、ペネロープ賞(G3)、2着: 凱旋門賞(G1)、1989年ヨーロッパ3歳牝馬チャンピオン) [28]。
- ラカポシキング Rakaposhi King (GB) - 牡、鹿毛、1982年、エドガー・クーパー・ブランド産。母: サパータイム Supper Time (GB) (F-No.1-w)、母の父: シャンタン Shantung (FR) (プリンスビオ系)。3~5歳時22戦8勝、ジョンポーターステークス(G3)、オーモンドステークス(G3)、2着: コロネーションカップ(G1)。種牡馬 [29]。
- シュプリームリーダー Supreme Leader (GB) - 牡、鹿毛、1982年、ウォーレンヒルスタッド Warren Hill Stud 産。母: プリンセスゼナ Princess Zena (GB) (F-No.2-f)、母の父: ハビタット Habitat (USA) (サーゲイロード系)。3~4歳時16戦3勝、アールオブセフトンステークス(G3)、ウエストベリーステークス(G3)、3着: 2000ギニー(G1) [30]。クールモアスタッドの旗艦ナショナルハント種牡馬として、1987年から2001年に3,416頭(非サラブレッド除く)に種付けした [31]。
- ピーアン (英語版) Paean (GB) - 牡、鹿毛、1983年、ロン・ショウ Ron Shaw 産。母: ミックスドアプローズ Mixed Applause (USA) (F-No.14-c)、母の父: ニジンスキー Nijinsky (CAN) (ノーザンダンサー系)。2~4歳時11戦6勝、アスコットゴールドカップ(G1)。種牡馬 [32]。
- *テリモン (英語版) Terimon (GB) - 牡、芦毛、1986年、ヘズモンズスタッド Hesmonds Stud 産。母: ニコラスグレイ Nicholas Grey (GB) (F-No.7-a)、母の父: トラックスペア Track Spare (GB) (ザボス系)。2~6歳時31戦4勝、インターナショナルステークス(G1)、アールオブセフトンステークス(G3)2回、2着: ダービー(G1)、エクリプスステークス(G1)、コロネーションカップ(G1)、グレートヴォルティジュールステークス(G2)。3着: コロネーションカップ(G1)。種牡馬 [33]。
- ブロケット Brockette (GB) - 牝、鹿毛、1988年、マールボロー公爵 The Duke Of Marlborough 産。母: エクスプロシヴァ Explosiva (USA) (F-No.1-n)、母の父: エクスプロデント Explodent (USA) (ニアークティック系)。2~4歳時11戦2勝、ドルメロ賞(G3)、3着: オークスディターリア [34]。
- カニング Cunning (GB) - 牝、栗毛、1989年、R・G・ストークス、フィトックススタッド R G Stokes and Fittocks Stud 産。母: ヴァイスヴィクセン Vice Vixen (CAN) (F-No.14-c)、母の父: ヴァイスリージェント Vice Regent (CAN) (ノーザンダンサー系)。3歳時6戦4勝、プリンセスロイヤルステークス(ブリティッシュ・チャンピオンズ・フィリーズ&メアズステークス(G3)、2着: ヴェルメイユ賞(G2) [35]。
- タレンティド Talented (GB) - 牝、鹿毛、1990年、ヘズモンズスタッド産。母: トリプルリーフ Triple Reef (GB) (F-No.1-n)、母の父: ミルリーフ。2~4歳時13戦3勝、サンチャリオットステークス(G2) [36]。
- バラクシー Bulaxie (GB) - 牝、鹿毛、1991年、ヘズモンズスタッド産。母: ギャラクシーダスト Galaxie Dust (USA) (F-No.1-c)、母の父: ブラッシンググルーム Blushing Groom (FR) (レッドゴッド系)。2~3歳時9戦3勝、フレッドダーリンステークス(G3)、2着: リディアテシオ賞(G2) [37]。
バスティノは、ナシュワンやヴィンテージクロップ Vintage Crop (GB) 、デザートプリンス (英語版) Desert Prince (GB) を始めとする多くの成功馬の母の父となり、1989年イギリス・アイルランドのリーディングブルードメアサイアーとなった。
血統
[編集]バスティノの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | (ブレニム系/ブランドフォード系) |
[§ 2] | ||
父 Busted (GB) 1963 鹿毛 |
父の父 Crepello (GB)1954 栗毛 |
Donatello (FR) | Blenheim (GB) | |
Delleana (ITA) | ||||
Crepuscule (GB) | Mieuxce (FR) | |||
Red Sunset (GB) | ||||
父の母 Sans le Sou (GB)1957 鹿毛 |
*ヴィミー Vimy (FR) | Wild Risk (FR) | ||
Mimi (FR) | ||||
Martial Loan (GB) | Court Martial (GB) | |||
Loan (GB) | ||||
母 Ship Yard (GB) 1963 栗毛 |
Doutelle (GB) 1954 栗毛 |
Prince Chevalier (FR) | Prince Rose (GB) | |
Chevalerie (FR) | ||||
Above Board (GB) | Straight Deal (GB) | |||
Feola (GB) | ||||
母の母 Paving Stone (GB)1946 鹿毛 |
Fairway (GB) | Phalaris (GB) | ||
Scapa Flow (GB) | ||||
Rosetta (GB) | Kantar (FR) | |||
Rose Red (GB) | ||||
母系(F-No.) | (FN:1-w) | [§ 3] | ||
5代内の近親交配 | Solario5×5=6.25% | [§ 4] | ||
出典 |
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 伊: bustino はビスチェ(仏: bustier)の意。父 Busted (バスト-ed 、バースト(burst)-ed)から女性用矯正下着へつなぐユーモラスなネーミング(Christopher 1976 p.28)。
- ^ 1語7文字の名前はダービー馬に多い [4]。本人によれば7が彼女のラッキーナンバーのためで、夫のビーヴァーブルック卿が所有していたデイリー・エクスプレス紙の“Express”も7文字だった(Christopher 1976 p.28)。
- ^ ダービー(G1)に勝つと、ノーザンダンサーやニジンスキーの生産者として知られるE. P. テイラーにより520,000ポンドのシンジケートが組まれ購買された。その後キングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークス(G1)、ベンソン&ヘッジズゴールドカップ(インターナショナルステークス)(G1)ではダリアに敗れたが、翌1975年には北米でカナディアンインターナショナルチャンピオンシップ(G1)、マンノウォーステークス(G1)、マンハッタンハンデキャップ(G2)などに勝ちアメリカ合衆国最優秀芝馬となる(Mortimer 1978 p.579)。
- ^ *ファバージのヨーロッパにおける代表産駒の一頭で、このシーズンのクラシック三冠で2、3、2着した。主な勝鞍にチャンピオンステークス(G1)、シャンペンステークス (イギリス)(G2)、ジムクラックステークス(G2)。北米で種牡馬 [6]。
- ^ *ノーザンテーストと、2000ギニー(G1)でノーザンテーストを4着に退けていた*ノノアルコ(1番人気)も出走しており、それぞれ5、7着(Christopher 1976 p.149)。
- ^ Mortimer 1978 p.92 は当日の堅良(firm)の馬場状態が、このときのバスティノには速すぎたと指摘している。
- ^ *リベロ産駒。セントレジャー(G1)ではラビットを務めながら3着に粘った。翌年、馬場状態の悪化によりバスティノが回避したヨークシャーカップ(G2)にそのまま出走して勝利を収めた後、コロネーションカップ(G1)でもラビットを務め、バスティノのレコードタイム勝ちを演出した。キングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスでもラビットを予定されていたが、故障により出走できず引退した(Christopher 1976 pp.94-95,113-114)。ブラジルで種牡馬 [8]。
- ^ 20年後ダービーで*ラムタラが更新するまで保持された(『優駿』1995年8月号 p.115)。
- ^ この年の凱旋門賞(G1)に勝利する。
- ^ 7月の馬齢重量により、9ストーン7ポンド(60.2kg)のバスティノは、8ストーン7ポンド(54.0kg)のグランディに14ポンド(6.4kg)のハンデキャップを与えていた。これは翌年13ポンド(5.9kg)に改められる(Christopher 1976 p.128)。なお、その後1990年には12ポンドに引き下げられた [10] (古馬9ストーン7ポンド(60.2kg)、3歳馬8ストーン9ポンド(54.9kg)、牝馬 -3ポンド(-1.4kg))。
- ^ 8月19日のベンソン&ヘッジズゴールドカップでダリアの4着。2着にカードキング Kard King (GB) 、3着シュターアピール。いずれも前走のキングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスでは離された3、5、9着に敗れていた(Christopher 1976 pp.134,147,159)。
- ^ 厩舎の周りを馬を歩かせて行なうトレーニング [14]。
- ^ 既にコロネーションカップの勝利後、6月に12,500ギニーで40株、500,000ポンドの種牡馬シンジケートが組まれていた(Christopher 1976 p.139)。
- ^ この一ヶ月後、グランディの引退も発表された(Christopher 1976 p.140)。
出典
[編集]- ^ “Queen Bertha - Family 1-w” (英語). Bloodlines.net. 2014年5月24日閲覧。
- ^ Christopher 1976 p.28.
- ^ Twiston-Davies 1996 p.157.
- ^ Montgomery, Sue (2006年6月3日). “Searching for the big-race winner: Just pick a name that will look right on the roll of honour” (英語). The Independent 2014年8月14日閲覧。
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- ^ “Giacometti Horse Pedigree” (英語). pedigreequery.com. 2014年5月24日閲覧。
- ^ Christopher 1976 p.40.
- ^ “Riboson Horse Pedigree” (英語). pedigreequery.com. 2014年5月24日閲覧。
- ^ Christopher 1976 p.56.
- ^ Cunningham, Graham (2001年7月30日). “King George: Weight-for-age a necessary leveller; ExpertView” (英語). racingpost.com. 2014年5月24日閲覧。(ニュースアグリゲーター(TheFreeLibrary.com (英語版) ))。
- ^ Christopher 1976 pp.123-127.
- ^ Wood, Greg (2000年7月27日). “Enduring greatness of Grundy v Bustino” (英語). The Independent. 2014年8月14日閲覧。
- ^ “The 10 greatest horse races of all time | Sport | The Observer” (英語). Observer.guardian.co.uk. 2014年5月24日閲覧。
- ^ “乗り運動”. JRA競馬用語辞典. 日本中央競馬会. 2014年8月14日閲覧。
- ^ Christopher 1976 pp.137-139.
- ^ Morris, Randall 1999.
- ^ Miller, Steve; Roman, Steve (2001年2月). “Chef-de-Race: Busted” (英語). chef-de-race.com. 2014年5月24日閲覧。
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- ^ a b c “Bustinoの血統表”. netkeiba.com. 株式会社ネットドリーマーズ. 2019年6月2日閲覧。
参考文献
[編集]- Hawkins, Christopher (1976). The Lace of the Century - Grundy vs Bustino at Ascot. George Allen & Unwin Ltd. ISBN 0-04-796046-9
- Twiston-Davies, David, ed (1996). Canada from Afar: The Daily Telegraph Book of Canadian Obituaries. Dundurn,. pp. 157-158. ISBN 1-55002252-0
- Mortimer, Roger; Onslow, Richard; Willett, Peter (1978). Biographical Encyclopedia of British Flat Racing. Macdonald and Jane's. pp. 91-92. ISBN 0-354-08536-0
- 石川ワタル「海外ニュース」『優駿』1995年8月号、中央競馬ピーアール・センター、1995年。
- Morris, Tony; Randall, John (1999). A Century of Champions. Portway Press,. ISBN 1-90157015-0
外部リンク
[編集]- 競走馬成績と情報 netkeiba、JBISサーチ、Racing Post
- “King George VI and Queen Elizabeth Stakes 1975 (Part Two)” (英語). The official YouTube channel. At the Races (英語版) (2012年7月19日). 2014年8月14日閲覧。 - YouTube。