バティルディス・フォン・アンハルト=デッサウ
表示
バティルディス Bathildis | |
---|---|
アンハルト=デッサウ家 | |
全名 |
Bathildis Amalgunde バティルディス・アマルグンデ |
出生 |
1837年12月29日 アンハルト=デッサウ公国、デッサウ |
死去 |
1902年2月10日(64歳没) オーストリア=ハンガリー帝国、ナーホト |
配偶者 | ヴィルヘルム |
子女 | |
父親 | フリードリヒ・アウグスト |
母親 | マリー |
バティルディス・フォン・アンハルト=デッサウ(Bathildis Prinzessin von Anhalt-Dessau, 1837年12月29日 - 1902年2月10日)は、ドイツの諸侯家門アンハルト=デッサウ家の公女で、シャウムブルク=リッペ侯子ヴィルヘルムの妻。
生涯
[編集]アンハルト公レオポルト4世の弟フリードリヒ・アウグストと、その妻でヘッセン=カッセル=ルンペンハイム方伯ヴィルヘルム(10世)の娘であるマリーの間の第2子、次女として生まれた[1]。姉はルクセンブルク大公妃アーデルハイト・マリーである。
1862年5月30日にデッサウにおいて、シャウムブルク=リッペ侯ゲオルク・ヴィルヘルムの三男であるヴィルヘルムと結婚し、間に4男4女の8人の子女をもうけた。
1902年2月10日にボヘミアのナーホト城(現在のチェコ共和国、ナーホト)で亡くなった。
子女
[編集]- シャルロッテ・マリー・イーダ・ルイーゼ・ヘルミーネ・マティルデ(1864年 - 1946年) - 1886年、ヴュルテンベルク王ヴィルヘルム2世と結婚
- フランツ・ヨーゼフ・レオポルト・アドルフ・アレクサンダー・アウグスト・ヴィルヘルム(1865年 - 1881年)
- フリードリヒ・ゲオルク・ヴィルヘルム・ブルーノ(1868年 - 1945年) - 1896年、デンマーク王女ルイーセと結婚(1906年死別)1909年、アンハルト公女アントイネッテと再婚
- クリスティアン・アルブレヒト・ガエターノ・カール・ヴィルヘルム(1869年 - 1942年) - 1897年、ヴュルテンベルク公女エルザ[注釈 1]と結婚
- マクシミリアン・アウグスト・ヤロスラフ・アーダルベルト・ヘルマン・ゲオルク(1871年 - 1904年) - 1898年、ヴュルテンベルク公女オルガ[注釈 2]と結婚
- バティルディス・マリー・レオポルディーネ・アンナ・アウグステ(1873年 - 1962年) - 1895年、ヴァルデック=ピルモント侯フリードリヒと結婚
- フリーデリケ・アーデルハイト・マリー・ルイーゼ・ヒルダ・オイゲーニエ(1875年 - 1971年) - 1898年、ザクセン=アルテンブルク公エルンスト2世と結婚(1920年離婚)
- アレクサンドラ・カロリーネ・マリー・イーダ・ヘンリエッテ・ユリアーネ(1879年 - 1949年)
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ Lundy, Darryl. “The Peerage: Bathildis Prinzessin von Anhalt-Dessau”. 19 March 2012閲覧。
関連項目
[編集]ウィキメディア・コモンズには、バティルディス・フォン・アンハルト=デッサウに関するカテゴリがあります。