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バヤモ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
バヤモ

Bayamo
州都
バヤモのブールバール
バヤモのブールバール
黄:グランマ州 赤:バヤモ
黄:グランマ州
赤:バヤモ
北緯20度22分54秒 西経76度38分34秒 / 北緯20.38167度 西経76.64278度 / 20.38167; -76.64278座標: 北緯20度22分54秒 西経76度38分34秒 / 北緯20.38167度 西経76.64278度 / 20.38167; -76.64278
キューバの旗 キューバ
グランマ州
建設 1513年11月15日[1]
市制 1827年
面積
 • 合計 918 km2
標高
55 m
人口
 • 合計 158,905人
 • 密度 173.1人/km2
等時帯 UTC-5 (東部標準時)
郵便番号
85100
市外局番 +53 23
ナンバープレート G
バヤモの近郊農業

バヤモ(スペイン語:Bayamo)は、キューバグランマ州の州都。 2015年の人口は15万8905人[2]で、国内8位。 キューバ国歌の「バヤモの歌」で歌われている。

地理

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バヤモ川に面しており、激しいバヤモ風英語版が吹く。

歴史

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1513年11月15日に建設された。 これは、スペインコンキスタドールであるディエゴ・ベラスケス・デ・クエリャルが建設した7つの都市の内2つ目である[3]

1540年バスク人地主のFrancisco Iznaga[4]が市長に就任した。

16世紀には、島の農業と商業で最重要拠点の1つだった。 内陸にある事でカリブ海の海賊の脅威が少なく、海沿いのサンティアーゴ・デ・クーバが襲われた事で、バヤモの重要性は更に高まった。

17世紀初頭には、カウト川を通じて200t級の貨物船が通行する事でバヤモは栄えた[3]

1616年、大洪水が起き、カウト川が航行不能になった。 しかし、マンザニロ英語版を通じたキュラソー島ジャマイカとの貿易は、18世紀まで続いた[3]

1827年、市に昇格した。

1868年1878年第一次キューバ独立戦争では、強固な要塞が築かれた。

交通

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通勤者の15%のみが自動車やバイクを用い、39%が免許制の馬車を利用する。 残りは自転車や自転車タクシーを用いる[5][6]

教育

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著名人

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カルロス・マヌエル・デ・セスペデス
トマス・エストラーダ・パルマ
パブロ・ミラネス
ペルチョ・フィゲレド

脚注

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  1. ^ Guije.com. “Bayamo” (スペイン語). 13 October 2007時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年10月6日閲覧。
  2. ^ City Population閲覧日:2017年2月23日
  3. ^ a b c  この記述にはアメリカ合衆国内で著作権が消滅した次の百科事典本文を含む: Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Bayamo". Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 3 (11th ed.). Cambridge University Press. pp. 553–554.
  4. ^ Jorge Iznaga. FRANCISCO IZNAGA Iznaga Genealogy (IZNAGA - 1420 - Present), Retrieved 5 December 2012.
  5. ^ Getting the carriages out, Cuban-style” (2004年). 2011年6月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年5月24日閲覧。
  6. ^ Bayamo, an unacknowledged leader in horse dependent/ ecological transport”. 2011年6月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年12月1日閲覧。