バリー・ディラー
バリー・ディラー(Barry Diller、1942年2月2日 - )は、アメリカ合衆国の実業家。
人物
[編集]パラマウント映画・20世紀フォックスの会長兼CEOを歴任、フォックス放送創設に携わるなど、メディア界の大物として知られる。テレビ映画の製作面での才能と、企業経営と統率に手腕を発揮した。現在は、メディア・インターネット企業のIAC/InterActiveCorpと、オンライン旅行会社のエクスペディア・グループで、それぞれ会長職を務めている。
経歴
[編集]芸能エージェンシー
[編集]カリフォルニア州サンフランシスコ出身。父親はビバリーヒルズの不動産開発業者。ショービジネスに入りたくて、UCLAを中退すると近所のコネを使い大手の芸能エージェンシーであるウィリアム・モリス・エージェンシーの面接を受けて入社。メッセンジャーボーイからキャリアを積んだ。ディラーはここで多くを学んだとしている[1]。
テレビネットワーク
[編集]創業者のゴールデンソンは20代半ばのディラーを信頼し、映画の買い付けと放映計画の策定では業界の大物と直接交渉させた。この点にディラーは感謝している。69年には映画部門の責任者として、テレビ映画のレギュラー番組「ABC Movie of the Week」を創設、テレビミニシリーズも立ち上げた。
ディラーが辞めた後の77年シーズンにABC はプライムタイム視聴率で初めて首位を獲得した。しかし70年代後半から独立局、ケーブルテレビ局、衛星通信[3]が視聴者を侵食していき、三大ネットワークも経営環境は変化した。
パラマウント
[編集]1974年、パラマウント映画の会長兼CEOに就任。パラマウントは1966年にガルフ&ウェスタン(以下、ガ社)に買収されていた。ディラーはガ社を経営するチャールズ・ブルードーンとABC時代に知遇を得た。[4]
パラマウント時代の部下にマイケル・アイズナー、ジェフリー・カッツェンバーグがいた。1983年、ガ社のチャールズ・ブルードーンが急死、経営がマーティン・デイビスに代わった。デイビスはディラーとアイズナーを追い出そうとした。嫌気が差した彼等にフォックス、ディズニーは手を伸ばした。
70年代から80年代のパラマウントの経営が安定した一方[5]、映画産業をめぐる環境は変化した。ビデオセル及びレンタル市場は映画会社の収益構造を変化させた。
もうひとつの変化はケーブルテレビの契約世帯数の飛躍的増加だった。独自の番組編成、多チャンネルが人気を集めた。視聴者が映画やスポーツ、ニュースといった番組を選択する習慣を身につけ、映画はコンテンツの一つになった。
フォックス
[編集]フォックスのマーヴィン・デイビス(前者と血縁関係はない)は、ディラーに破格の優遇を約束して自社へ誘った。
1984年、Fox, Inc.(20世紀フォックスの親会社)会長兼CEOに転じた。しかし業績の悪化していたフォックスは借金が膨れ上がり、デイビスとディラーの仲も最悪になった。
85年、ルパート・マードックのニューズ・コープがフォックスを買収した。ディラーは引き続きマードックの下で経営に当たった。
80年代半ばには、恩師でもあるゴールデンソンがABCをキャピタル・シティズに売却したように巨大な三大ネットワークにも陰りが出た。マードックは、独立系のテレビ局を買収、第4のテレビネットワークを発足させようとした。
フォックス放送は若者向けの番組を作り人気を集めた。中でもカウンターカルチャーのアニメ「ザ・シンプソンズ」は人気を得た。
1992年、Foxを去る。辞職前にディラーは自分をニューズ・コーポレーションの会長にしてほしいと申し込んだ。マードックは冷静に断った。辞めた理由は「自分の会社ではないからだ」としている。
QVC から現在まで
[編集]次にディラーが手を組んだのは、加入世帯数1000万という当時、全米最大のケーブルテレビ局TCIのジョン・マローンだった。アクセス・フリーを唱える政府の方針を無視した態度、最低な顧客満足度、杜撰な管理体制、古い設備はそのままに買収を繰り返したところから『ケーブルテレビ界のダース・ベイダー』と呼ばれたが、この時代の通信から放送を含めたメディア界では海を超えた日本も含めて、誰もが認める中心人物だった。
マローンは当時は20億ドル規模だったテレビショッピング市場をHSNと2分していたQVCの経営権をディラーに譲り、ディラーは会長に就任した。
1994年、念願のメジャー会社買収を狙い、自分を追い出したマーティン・デイビスのパラマウント映画を買収しようとする。競争相手になったのが『バイアコム』[6]。ディラーは敗れた。更にCBSの買収を企むが失敗に終わり、コムキャストとリバティ・メディアがQVC を完全子会社化。職を失った。
1995年、HSNを自らの会社(独立局を運営する「Silver King」)と合併。
1997年にはUSAネットワークを買収。同年にはオンラインチケット業者「チケットマスター」を買収、以後数多くのインターネット関連会社を傘下に収める。
2002年、USAネットワークの娯楽部門をヴィヴェンディ・ユニバーサルに売却、会社名を「USA Interactive」(現IAC Inc.)に変更、自らの事業をショッピング部門に特化する。
2005年、当時IAC/InterActiveCorp傘下にあった、オンライン旅行会社のエクスペディア・グループを独立させるが、両社の会長職を兼任する体制とし、現在に至っている。
脚注
[編集]- ^ 1950年代半ば以降、映画会社の撮影所の権力は芸能エージェンシー、労働組合、銀行の前に弱体化した。エージェンシーは企画を立ち上げ脚本家、監督、俳優を揃えた。映画会社がこの「パッケージ」を実現するか否かは、銀行が融資をするかどうかにかかっていた。それまでは固まり(block)として半ば強制的に撮影所から割り当てて配給していた複数の映画が、反トラスト法による判決により、個別の商品として自由に(free)契約が成立した。慎重な銀行を納得させるには集客力のあるスターが出演する必要があり、肝心のスターはエージェンシーと契約するか独立プロを運営していた。
- ^ 当時のABC は三大テレビネットワークのなかでは加盟局は一番少なく、プライムタイム視聴率競争でも常に最下位にあった。ABC は1953年に、NBC から当時としては巨額の2500万ドルでレナード・ゴールデンソンが買収して発足、ゴールデンソンは30年以上経営に携わった。キャピタル・シティズのABC 買収には企業評価に厳しいウォーレン・バフェットも投資をした。
- ^ アトランタのテッド・ターナーは自社であるTBSの放送番組を衛星により全国のケーブルテレビ局に提供するスーパーステーションといわれる方式を採用。1980年に24時間ニュース専門チャンネル当時のCNNを創設した。
- ^ 60年代に株式市場で人気を集めたのはガ社のようなコングロマリットだった。自社よりPERの低い企業を買収し、一株当たりの価値を上げ買収合併を繰り返した。ガ社が買収した企業は世界各地の自動車部品、楽器、シガー、ロケット工学、保険、農業用飼料、軍用機部品、化学薬品、靴、競走馬、スーツおよびドレス、油井削掘、レース場、原子力発電所、ランジェリー、マイクロプロセッサ、靴下、ローン会社、石油及びガスタンカー、家具、亜鉛工場、テレビ製品、原子力廃棄物の運搬車、キャンディ、タバコ、スポーツチーム、製鉄所、パンティストッキング、鉱業、ミサイル部品にジェットエンジンと多種多様。ブルードーンは傘下のパラマウント映画のテコ入れに人材を集めた。ロバート・エヴァンズはチャーリーのお気に入りだった。
- ^ ディラーが辞めた後だが、1986年にパラマウントは全米市場のシェア22%を占め、その年の興行収入ベスト10にパラマウント配給の五本が入った。
- ^ 弁護士出身。野外映画館を稼業とするナショナル・アミューズメンツを経営する家に生まれたサムナー・レッドストーン(1923~2020)が1986年に買収して以降、強い統率力により形成した企業集団。その戦略の柱はエンターテイメント重視にあり、ブランドイメージが確立したメディア企業を次々に買収し、相互を補完する形でコンテンツを様々なセグメントに伝送、配信している。80年代の米国ケーブルテレビ発展に貢献したバイアコムはラジオ、出版も含めるが、テレビ放送と番組の製作流通が中心事業。大原通郎『テレビ最終戦争』(2018年朝日新聞出版)では、レッドストーンも現在は90を過ぎて一線を退き、業績低迷、売上も大手メジャー最下位で、更にハリウッドのスタジオという既存メディアは傘下のケーブルテレビがネット配信事業者のため影響を受けているとしている。大戦中の兵役時代から評判の頭脳だったが晩年は痴呆の症状を呈していると噂があった