バルトロメウス・スプランヘル
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バルトロメウス・スプランヘル | |
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『自画像』 | |
生誕 |
1546年3月21日 アントウェルペン |
死没 |
1611年9月17日 (65歳没) プラハ |
バルトロメウス・スプランヘル(Bartholomäus(Bartholomeus)Spranger 1546年 ‐1611年[1][2])は、ブラバント公国(現在のベルギー)の画家。北方マニエリスムの代表的な美術家。
生涯
[編集]生地のアントウェルペンでコルネリス・ファン・ダレム等の元で画家としての修業を積み、1565年にローマに出る。ここでマニエリスムの様式を身に付け、ローマ教皇のための仕事に従事し、神聖ローマ皇帝マクシミリアン2世に招かれてウィーンへ赴き、宮廷画家となる。後にルドルフ2世に従ってプラハに移り、以降は没するまで彼の地を本拠とした。
彼の作品で特徴的なのは裸婦像の描写である。神話を主題に採りながらも、体の線を曲げて男性キャラクターを誘惑する女性像は、優美さと妖艶さで他の追随を許さない。また晩年にかけては、皇帝のコレクションに収まっていたカラッチの影響や、巧みな色彩効果でその座を掴んだ新進の宮廷画家、ハンス・フォン・アーヘンとヨーゼフ・ハインツの追い上げもあって、バロック絵画に接近した様式に画風が移っている。その意味では、マニエリスムとバロックの過渡期を生きた画家であったと言える。
参照
[編集]- ^ “Bartholomeus Spranger”. The Metropolitan Museum of Art. 2024年6月15日閲覧。
- ^ “Bartholomaeus Spranger”. The National Gallery. 2024年6月15日閲覧。