バレエの情景
『バレエの情景』(仏:Scènes de ballet)は、イーゴリ・ストラヴィンスキーが作曲したバレエ音楽、およびその音楽を用いたバレエ作品。
舞台装置の移動などを伴わない抽象バレエであり、最初に振付をしたのはアントン・ドーリン(1944年11月初演)。その後フレデリック・アシュトンによる振付(1948年2月初演)で知られるようになった。
コンサートとしての全曲の初演は、1945年の冬にストラヴィンスキー指揮のニューヨーク・フィルハーモニックによって行なわれた。曲はブロードウェイを意識してジャズやブルースの要素が取り入れられており、トランペットとホルンによる応酬など新古典主義的な彩りが強いものとなっている。
作曲の経緯
[編集]1944年に、ニューヨークの劇場支配人ビリー・ローズの依頼を受けて、「7つの活気ある芸術」[1]と題するブロードウェイ・レヴューの中の一曲としてハリウッドで作曲された。このレヴューはジャズやコメディー、ミュージカル、バレエ作品など雑多なジャンルをひとまとめに上演するもので、プログラム後半の冒頭を飾るバレエ小作品として、ストラヴィンスキー作曲、元バレエ・リュスのアントン・ドーリンによる振付、ドーリン自身とアリシア・マルコワが主役を踊るというものであった。
ローズは最初に聴いたピアノ編曲版を気に入ったものの、オーケストラ版には違和感を抱き、ブロードウェイでは全曲ではなく親しみやすい一部のみが上演された。しかし観客の反応は芳しいものではなかった[2]。レヴューは数か月間上演されたが、ドーリンは自らの振付にも満足できず、1945年になってからジョージ・バランシンに再振付を依頼することまで検討された。しかしそれも資金難などの理由で実現せずに終わった[3]。
バレエ作品としての開花
[編集]出足は成功とはいえなかった『バレエの情景』をバレエ作品として完成させたのは英国ロイヤル・バレエ団[4]のフレデリック・アシュトンである。
アシュトンは以前からストラヴィンスキーのバレエ音楽にひそかな憧憬を抱いており、1946年から1947年頃ラジオでこの曲を聴いてから振付を思い立ったという。当初は曲が短すぎると判断し、米国にいたストラヴィンスキーに改作を依頼したが、これを断られたため、様々な工夫をこらすことになる。
まず無機質な旋律しかない中で、どのようにして観客を惹きつけるかを考えなければならなかった。しかし曲が同時にロマンティック・バレエの特徴を備えている[5]ことに気がついたアシュトンは、『眠れる森の美女』薔薇のアダージョ[6]と同様の動きを第5曲目パ・ド・ドゥ・アダージョに採用する。またアシュトンにしては異例なほど曲の拍子を読みこんで[7]、シンコペーションを重視することになった。ダンサーの感情が表出する箇所はごくわずかしかないものの、その分コール・ド・バレエを3層に分けて展開したり、幾何学的に散開させるなどして魅力を持たせている。
アシュトン版はM・ソムズとマーゴ・フォンテインを主役として1948年2月11日にロンドンで初演された。これも初めは批評家から厳しい目で見られたが、回を重ねるごとに評価が高まり、現在ではロイヤル・バレエ団が誇るレパートリーの一つになっている。
出演
[編集]編成
[編集]構成
[編集]全11曲のシーンからなる。演奏時間はオリジナルのスコアで16分強、アシュトン版バレエ上演時は序奏の一部が繰り返される[9]ためやや長めの18分程度となっている。
- 第1曲 序奏
- 第2曲 群舞
- 第3曲 ヴァリアシオン(バレリーナ)
- 第4曲 パントマイム
- 第5曲 パ・ド・ドゥ・アダージョ
- 第6曲 パントマイム
- 第7曲 ヴァリアシオン(ダンサー)
- 第8曲 ヴァリアシオン(バレリーナ)
- 第9曲 パントマイム
- 第10曲 群舞
- 第11曲 アポテオーズ
脚注
[編集]- ^ レヴューの詳細は、cf. Seven Lively Arts - Original Broadway Production
- ^ 初演後、ローズとストラヴィンスキーとの間で電報のやり取りがあり、ローズが送った電文には、「あなたの音楽は大成功だったが、もしあなたがロバート・ラッセル・ベネットにオーケストレーションを改訂する権限を与えるならば、センセーショナルな成功を収めるでしょう」と送ったが、対してストラヴィンスキーは、「大成功で満足だ」とだけ。木で鼻をくくったように返信したという。この話は有名だが、Walsh(2006) pp.165-166によると事実が大きく歪められており、実際にはローズはオーケストラの費用を節約するためにベネットに再編曲させようとした。ストラヴィンスキーはその案に反対し、結局一部の楽器を抜くことで妥協が得られた。
- ^ Jordan, p.46
- ^ 当時の名称はサドラーズ・ウェルズ・バレエ団。
- ^ スタッカートの多用、最初のヴァリアシオンにヘミオラが使用されている、パ・ド・ドゥのバレリーナのソロ部分にヴァイオリンの独奏があることなどが挙げられている。Jordan, p.50
- ^ 『眠れる森の美女』第1幕において、オーロラ姫役のバレリーナが片足のみポワントの状態で4人の求婚者に一人一人手をとられる有名なシーン。
- ^ 拍子を重視して振付けるのはバランシンが得意とする手法で、アシュトンに対抗意識があったのではないかとも見られている。cf. Jordan, p.64
- ^ Stravinsky, Igor: Scenes de Ballet, Boosey & Hawkes
- ^ Jordan, p.48
参考文献
[編集]- Stephanie Jordan, "Scènes de ballet - Ashton and Stravinsky Modernism", Dance Research, Vol.18, pp.44-67, April 2000.
- Walsh, Stephen (2006). Stravinsky: The Second Exile: France and America, 1934-1971. University of California Press. ISBN 9780520256156