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バートラム・ブルック

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
バートラム・ブルック
Bertram Brooke
サラワクのトゥアン・ムダ

出生 (1876-08-08) 1876年8月8日
サラワク王国クチン
死亡 1965年9月15日(1965-09-15)(89歳没)
イングランドの旗 イングランド サリー州ウェーブリッジ英語版
実名 Bertram Willes Dayrell
家系 ブルック家英語版
父親 チャールズ・ブルック
母親 マーガレット・ブルック英語版
配偶者
グラディス・ミルトン・パーマー英語版
(結婚 1904年; 死別 1952年)
子女
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バートラム・ワイルズ・ダイレル・ブルック(Bertram Willes Dayrell Brooke, Tuan Muda of Sarawak、1876年8月8日 - 1965年9月15日)は、サラワク王国の元王太子である。

生涯

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バートラムは、サラワク王国の第2代ラージャ白人王英語版)であるチャールズ・ブルックと、その妻のマーガレット・ブルック英語版の次男であり、兄に、後に第3代ラージャとなるヴァイナー・ブルックがいる。

バートラムは、サラワク王国の首都クチンで生まれた後イギリスで育ち、ウィンチェスター・カレッジケンブリッジ大学トリニティ・カレッジを卒業した。大学在学中は同大学のボートクラブ英語版の部長を務め、1900年と1901年のザ・ボート・レースに出場した[1]。また、ユニヴァーシティ・ピット・クラブ英語版の会員でもあった[2]第一次世界大戦中は王立騎馬砲兵英語版に所属し、在英サラワク特別弁務官を務めた。

1904年6月28日にグラディス・ミルトン・パーマー英語版と結婚した。グラディスは、イギリスのビスケットメーカーであるハントレー・アンド・パーマーズ英語版の経営者初代準男爵ウォルター・パーマー英語版の唯一の子供であり、1910年の父の死に伴いその財産を相続した。グラディスとの間に息子アンソニー・ブルックと3人の娘をもうけた。

1917年に父チャールズが死去したことに伴い兄が第3代ラージャとなったが、兄には男性の子供がいなかったため、バートラムが推定相続人となった。しかし、1937年、ヴァイナーはバートラムの息子のアンソニーを後継者(ラージャ・ムダ)に指名し、バートラムはトゥアン・ムダ(「若き領主」の意味)となった。

脚注

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  1. ^ "Brooke, Bertram Willes Darrel (BRK897BW)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
  2. ^ Fletcher, Walter Morley (2011). The University Pitt Club: 1835–1935 (First Paperback ed.). Cambridge: Cambridge University Press. p. 93. ISBN 978-1-107-60006-5 
バートラム・ブルック
ブルック家

1876年8月8日 - 1965年9月15日

先代
ヴァイナー・ブルック
サラワク王国の後継者
1917年5月24日 - 1937年8月25日
次代
アンソニー・ブルック