バートラム・ブルック
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バートラム・ブルック Bertram Brooke | |
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サラワクのトゥアン・ムダ | |
出生 |
1876年8月8日 サラワク王国クチン |
死亡 |
1965年9月15日 (89歳没) イングランド サリー州ウェーブリッジ |
実名 | Bertram Willes Dayrell |
家系 | ブルック家 |
父親 | チャールズ・ブルック |
母親 | マーガレット・ブルック |
配偶者 |
グラディス・ミルトン・パーマー (結婚 1904年、死別 1952年) |
子女
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バートラム・ワイルズ・ダイレル・ブルック(Bertram Willes Dayrell Brooke, Tuan Muda of Sarawak、1876年8月8日 - 1965年9月15日)は、サラワク王国の元王太子である。
生涯
[編集]バートラムは、サラワク王国の第2代ラージャ(白人王)であるチャールズ・ブルックと、その妻のマーガレット・ブルックの次男であり、兄に、後に第3代ラージャとなるヴァイナー・ブルックがいる。
バートラムは、サラワク王国の首都クチンで生まれた後イギリスで育ち、ウィンチェスター・カレッジ、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジを卒業した。大学在学中は同大学のボートクラブの部長を務め、1900年と1901年のザ・ボート・レースに出場した[1]。また、ユニヴァーシティ・ピット・クラブの会員でもあった[2]。第一次世界大戦中は王立騎馬砲兵に所属し、在英サラワク特別弁務官を務めた。
1904年6月28日にグラディス・ミルトン・パーマーと結婚した。グラディスは、イギリスのビスケットメーカーであるハントレー・アンド・パーマーズの経営者初代準男爵ウォルター・パーマーの唯一の子供であり、1910年の父の死に伴いその財産を相続した。グラディスとの間に息子アンソニー・ブルックと3人の娘をもうけた。
1917年に父チャールズが死去したことに伴い兄が第3代ラージャとなったが、兄には男性の子供がいなかったため、バートラムが推定相続人となった。しかし、1937年、ヴァイナーはバートラムの息子のアンソニーを後継者(ラージャ・ムダ)に指名し、バートラムはトゥアン・ムダ(「若き領主」の意味)となった。
脚注
[編集]- ^ "Brooke, Bertram Willes Darrel (BRK897BW)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
- ^ Fletcher, Walter Morley (2011). The University Pitt Club: 1835–1935 (First Paperback ed.). Cambridge: Cambridge University Press. p. 93. ISBN 978-1-107-60006-5
バートラム・ブルック
ブルック家
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先代 ヴァイナー・ブルック |
サラワク王国の後継者 1917年5月24日 - 1937年8月25日 |
次代 アンソニー・ブルック |