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パスカル・ツベルビューラー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
パスカル・ツベルビューラー
名前
愛称 ツビ
ラテン文字 Pascal ZUBERBÜHLER
基本情報
国籍 スイスの旗 スイス
生年月日 (1971-01-08) 1971年1月8日(53歳)
出身地 フラウエンフェルト
身長 197cm
体重 98kg
選手情報
ポジション GK
ユース
1983-1992 スイスの旗 フラウエンフェルト英語版
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1992-1999 スイスの旗 グラスホッパーズ 187 (0)
1999-2006 スイスの旗 バーゼル 178 (0)
2000 スイスの旗 アーラウ (loan) 2 (0)
2000-2001 ドイツの旗 レヴァークーゼン (loan) 13 (0)
2006-2007 イングランドの旗 WBA 15 (0)
2007-2008 スイスの旗 ヌーシャテル 51 (0)
2008-2011 イングランドの旗 フラム 0 (0)
通算 446 (0)
代表歴
1994-2008 スイスの旗 スイス 51 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2013年10月16日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

パスカル・ツベルビューラーPascal Zuberbühler1971年1月8日 - )は、スイストゥールガウ州フラウエンフェルト出身の元同国代表サッカー選手。現役時代のポジションはゴールキーパーズベルビューラーツーバービューラーなどと表記されることもある。

経歴

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1992年にスーパーリーググラスホッパー・クラブ・チューリッヒに入団、2度リーグを制し、UEFAチャンピオンズリーグにも出場、1994年にはスイス代表に初招集された。その後、FCバーゼルを経て、2000年にドイツブンデスリーガバイエル・レバークーゼンに移籍。しかし、正GKの座を射止めることはできず、1年で解雇された。その後、スイスのFCアーラウに移籍したが、加入直後に足を骨折した。

このような状況の中、ツベルビューラーがグラスホッパーに在籍していた頃の監督であったクリスティアン・グロス英語版FCバーゼルの監督に就任。ツベルビューラーを獲得し、正GKに抜擢した。この決断は当初、マスコミや評論家の批判を浴びたものの、ツベルビューラーは見事に骨折から復活し、批判を跳ね返すプレーを披露。2年目の2002年にはリーグを制覇した。そして、チャンピオンズリーグ本戦にも出場をはたし、グループリーグではユヴェントスFCに勝利したほか、マンチェスター・ユナイテッドFCリヴァプールFCと引き分けるなど大健闘した。

このような活躍の一方、スイス代表ではなかなか出番に恵まれなかったものの、EURO2004ののち、当時正GKだったイェルク・シュティールが引退すると、正GKに抜擢された。2006 FIFAワールドカップの予選では当初、ミスを連発したが、その後、本来の安定感を見せ、チームはアイルランドイスラエルを抑えて、フランスに次ぐ予選2位となった。その後、プレーオフでも前回大会3位のトルコを破り、本大会の出場権を獲得した。

そして本大会では、フランス、トーゴ韓国を3戦連続無失点に抑え、スイスの決勝トーナメント進出に貢献した。しかし、決勝トーナメント1回戦でウクライナにPK戦のすえ破れ、スイスはベスト16で姿を消した。なお、スイスはこの試合も無失点で終えたため、史上初めて、大会を通じて1失点も喫することなくワールドカップを敗退するチームとなった。この記録は、守護神ツベルビューラーの存在があったからこそ生まれたものといえる。

その活躍が認められ、2006年7月にイングランドウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンFCへの移籍が決まるが、わずか半年で母国に復帰した。EURO2008では1試合に出場し、これをもって代表から引退した。

2008-09シーズンより、プレミアリーグフラムFCへ移籍する事が決まった。

現役引退後はFIFAにおけるGK育成プロジェクトを担当し、同時にスイスのテレビ局でコメンテーターとして活動している。

所属クラブ

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スイスの旗 FCアーラウ 2000 (loan)
ドイツの旗 バイエル・レバークーゼン 2000-2001 (loan)