パット・ドッドソン
表示
ボストン・レッドソックス時代 (1986年) | |
基本情報 | |
---|---|
国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | カリフォルニア州 |
生年月日 | 1959年10月11日(65歳) |
身長 体重 |
192 cm 100 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 一塁手 |
プロ入り | 1980年 MLBドラフト6巡目 |
初出場 |
MLB / 1986年9月5日 NPB / 1989年4月9日 |
最終出場 |
MLB / 1988年6月22日 NPB / 1989年4月15日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| |
この表について
|
パトリック・ニール・ドッドソン(Patrick Neal Dodson、1959年10月11日 - )は、アメリカ合衆国・カリフォルニア州出身の元プロ野球選手(内野手)。1989年に近鉄バファローズに所属した。
来歴・人物
[編集]1980年のMLBドラフト6巡目でボストン・レッドソックスに入団。1986年、メジャー初昇格。かつてカールトン・フィスクが付けていた背番号27を与えられ期待されていたが、メジャーでは3年で52試合の出場にとどまった。
1989年、近鉄バファローズに入団。前年に退団したベン・オグリビーの後釜として期待されたが、いざ来日すると192cm・100kgの巨体に似合わず左右に打ち分ける柔らかいバッティングで、大砲を欲しがっていた球団の思惑とは違う形となり、また金村義明の怪我の回復が思わしくなく、代わりとなる三塁手を求めていた球団は、シーズン開幕前に新外国人の獲得に動き出した。
開幕後、6~7番を打っていたドッドソンの成績は決して悪くなかったが、4月12日にハーマン・リベラが来日すると即二軍落ち。それでも退団せず、一軍からお呼びがかかるのを待ち続けていたが、チームが三つ巴の優勝争いを展開する中、ラルフ・ブライアントが本塁打を量産し、リベラも4番打者として勝負強さを発揮し続け、ドッドソンも二軍で48試合で打率.276、7本塁打と目立った成績を残せず、一軍登録が再度来ることのないままシーズンは終了し、同年限りで退団、帰国した。
引退後は教育者に転身し、オクラホマ州デラウェア郡グローブ市の中学校の校長を経て現在は同校の教育長を務めている。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1986 | BOS | 9 | 15 | 12 | 3 | 5 | 2 | 0 | 1 | 10 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 3 | 0 | .417 | .533 | .833 | 1.367 |
1987 | 26 | 52 | 42 | 4 | 7 | 3 | 0 | 2 | 16 | 6 | 0 | 0 | 0 | 2 | 8 | 1 | 0 | 13 | 0 | .167 | .288 | .381 | .669 | |
1988 | 17 | 51 | 45 | 5 | 8 | 3 | 1 | 1 | 16 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 0 | 0 | 17 | 0 | .178 | .275 | .356 | .630 | |
1989 | 近鉄 | 6 | 21 | 16 | 1 | 5 | 1 | 0 | 0 | 6 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | 1 | 4 | 0 | .313 | .476 | .375 | .851 |
MLB:3年 | 52 | 118 | 99 | 12 | 20 | 8 | 1 | 4 | 42 | 10 | 0 | 0 | 0 | 2 | 17 | 1 | 0 | 33 | 0 | .202 | .314 | .424 | .738 | |
NPB:1年 | 6 | 21 | 16 | 1 | 5 | 1 | 0 | 0 | 6 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | 1 | 4 | 0 | .313 | .476 | .375 | .851 |
記録
[編集]- NPB
- 初出場・初先発出場:1989年4月9日、対オリックス・ブレーブス1回戦(藤井寺球場)、6番・一塁手として先発出場、4打数2安打
- 初打席・初安打:同上、2回裏に佐藤義則から単打
- 初打点:1989年4月13日、対福岡ダイエーホークス3回戦(大阪スタヂアム)、4回裏に村田勝喜から右前適時打
背番号
[編集]- 27 (1986年 - 1988年)
- 25 (1989年)