パパ・ウェンバ
パパ・ウェンバ | |
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2009年 | |
基本情報 | |
出生名 | Jules Shungu Wembadio Pene Kikumba |
生誕 | |
死没 |
2016年4月24日 コートジボワール アビジャン |
ジャンル |
スークース ルンバ・ロック |
担当楽器 | ボーカル |
共同作業者 |
Zaiko Langa Langa Isifi Lokole Yoka Lokole Viva la Musica |
パパ・ウェンバ(Papa Wemba)は、ベルギー領コンゴ(ザイール、コンゴ民主共和国)出身のミュージシャン。
来歴
[編集]1969年、コンゴ民主共和国(当時はザイール)・キンシャサにて、Zaiko Langa Langa(ザイコ・ランガ・ランガ)の結成に参加。このバンドはキューバ音楽の影響を残していたフランコ&OKジャズ、タブ・レイ・ロシュロー、ドクトゥール・ニコなどの第二世代に対し、ロックの影響を受けた第三世代として、新しいリンガラ・ミュージック(スークース)を始めたと評され、一躍国民的な人気者となる。
1974年、Isifi Lokole(イシフィ・ロコレ)を結成。
1975年、Yoka Lokole(ヨカ・ロコレ)を結成。
1977年、自らのバンド、Viva La Musica(ヴィヴァ・ラ・ムジカ)を結成。このバンドは、才能に恵まれているが、まだ知られていない若いアーティストを中心にメンバーを構成した。すぐにヒット曲を連発して、若い世代を中心に圧倒的な支持を得る。また、映画にも主演して、幅広い活動を続けた。
1986年、活動の中心をパリに移し、ワールド・ミュージック・ブームの仕掛け人と言われたフランス人プロデューサー、マルタン・メソニエが手掛けた、初めて世界中に向けたアルバム『Papa Wemba』を発売。ユッスー・ンドゥール、サリフ・ケイタと並び、アフリカ音楽シーンから世界へと進出して、その名を轟かせた。同年に初来日公演を行う。
1991年『Le Voyageur』、1995年『Emotion』、1998年『Molokai』と、ピーター・ガブリエルのレーベル「リアル・ワールド・レコード」から3枚のアルバムをリリースし、その後もヨーロッパを中心に世界とコンゴを股に掛けて活動。
2003年、コンゴ人のEUへの密入国に関与したとして有罪判決を受け、3年余り収監されていたが、2010年より音楽活動を再開。
2016年4月24日、コートジボワール・アビジャンの音楽祭の出演中に倒れ、死去。66歳没[1]。
ディスコグラフィ
[編集]出典・脚注
[編集]関連項目
[編集]- サップ - パパ・ウェンバが一流ブランドのスーツと帽子を身に着けてステージに上がったことにより、若者たちに浸透し復活、一世風靡したファッション・スタイル。