パラツキー大学オロモウツ
Univerzita Palackého v Olomouci | |
ラテン語: Universitas Palackiana Olomucencis | |
種別 | 公立 |
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設立年 | 1573年 |
予算 | 1,029,436,000 CZK (42,381,062 €)[1] |
学長 | Martin Procházka |
教員数 |
4,022(2020年) [2] |
学生総数 |
21,824 (2020年) |
所在地 |
チェコ共和国 オロモウツ 北緯49度35分42秒 東経17度15分33秒 / 北緯49.59508度 東経17.25914度座標: 北緯49度35分42秒 東経17度15分33秒 / 北緯49.59508度 東経17.25914度 |
スクールカラー |
コバルトブルーと金[4] |
ヨーロッパ大学協会 | |
公式サイト | 建築物詳細 |
大学長棟 | |
パラツキー大学オロモウツ(チェコ語: Univerzita Palackého v Olomouci、ラテン語: Universitas Palackiana Olomucencis、英語: Palacký University Olomouc)はモラヴィアにある最古の大学であり、プラハ・カレル大学に次いでチェコ共和国の二番目に古い大学である。1946年まではオロモウツ大学という名称であった。1573年、当時モラヴィアの首都であり監督制の本拠であったオロモウツに、イエズス会の命によって公立大学として設立された。当初は神学だけが教授されていたが、すぐに、哲学、法学、そして医学が加わった。
ボヘミア王ヨーゼフ2世による1770年の改革以降、オロモウツ大学の国家主導的性格はますます増してゆき、現在では公立大学となっている。1848年の革命の間、大学の学生と教授らは民主化に積極的な役割を果たした。1850年代に保守的な王フランツ・ヨーゼフ1世によって殆どの学部が閉鎖されたが、1946年2月21日に可決された暫定議会の法律によって再開された。この法律によって大学の名称が「オロモウツ大学」から「パラツキー大学オロモウツ」へと変更された。これは19世紀のモラヴィア人歴史家であり政治家であるフランティシェク・パラツキーに因む。
オロモウツの市街は中央ヨーロッパの中では学生の人口密度が最も大きく、人口10万人に対し、約25000人の学生(Moravian College Olomoucの学生を含む)が住んでいる(郊外にも同じくらい多くいる)。この大学で教授、勤務ないし学んだ特筆すべき人物としては、アルブレヒト・フォン・ヴァレンシュタインとグレゴール・ヨハン・メンデルがいる。
歴史
[編集]この大学はモラヴィアにおいて最古、ボヘミア王冠領において二番目に古い。
脚注
[編集]- ^ “Skončilo rozpočtové provizorium. AS UP schválil rozpočet na rok 2010” (チェコ語). zurnal.upol.cz. 17 August 2010時点のオリジナルよりアーカイブ。23 January 2011閲覧。
- ^ “Basic Information: Palacky University Olomouc”. Palacky University Olomouc. 11 November 2021閲覧。
- ^ “Universities: students by city / town of study; academic year 2007/08; 31 December 2007”. czso.cz. 19 June 2010閲覧。
- ^ “Směrnice rektorky UP č. B3-02/7:7 – Užívání znaku, loga a razidla Univerzity Palackého v Olomouci” (チェコ語). upol.cz. 16 July 2011時点のオリジナルよりアーカイブ。23 August 2010閲覧。