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パンリマ・ポレム9世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ムハンマド・ダウド

Muhammad Daud
生誕 不明
アチェ王国
死没 1940年
オランダ領東インドの旗 オランダ領東インド
別名 Panglima Polem IX
パンリマ・ポレム9世
肩書き パンリマ(司令官)
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トゥク・パンリマ・ポレム・スリ・ムダ・ペルカサ・ムハンマド・ダウドTeuku Panglima Polem Sri Muda Perkasa Muhammad Daud、生年不明 - 1940年)は、アチェ王国のパンリマ(司令官)。アチェ戦争におけるアチェ軍指導者の一人。

生涯

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生い立ち

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パンリマ・ポレム8世の息子として生まれる。彼の家は祖父パンリマ・ポレム7世の代にアチェ・ベサールインドネシア語版の領主となっている[1]。成長後は有力貴族トゥアンク・ハーシム・バンタムダの娘と結婚し、1891年1月に父の死去によりパンリマの地位を受け継ぎ「パンリマ・ポレム9世」を名乗る。同時期に「スリ・ムダ・ペルカサ・ワズィルム・アズミ」の称号を得た[1]

アチェ戦争

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アチェ博物館英語版のオランダ人キュレーターとパンリマ・ポレム9世(1910年)

アチェ戦争の勃発後は、ウラマーたちと協力してオランダ領東インド軍との戦闘を指揮した[1]。1893年9月15日、トゥク・ウマールら15人の軍事指導者がオランダ軍に降伏を装い潜入し、オランダ軍の警備隊として雇用されたが、1896年3月30日にウマールたちは武器・弾薬を強奪してオランダ軍から逃亡した。その後、パンリマ・ポレム9世は400人の部隊を引き連れてウマールと合流し、オランダ兵25人を殺害し、190人を負傷させた[1]

しかし、グレ・ユエングの戦闘では27人が戦死、47人が負傷するなど損害を受け、1897年10月にはオランダ軍に各地を攻略され、ピディインドネシア語版に撤退した[1]。11月にピディに到着したパンリマ・ポレム9世は、スルターンムハンマド・ダウド・シャーの主催する軍議に出席した[1]。1898年2月にはウマールがピディに到着してパンリマ・ポレム9世の指揮下に入り、4月1日にウラマーやウレーバランインドネシア語版(領主)と共にムハンマド・ダウド・シャーへの忠誠を宣誓した[1]。しかし、翌1899年2月にウマールが戦死し、アチェ軍は劣勢に追い込まれる。

1901年初頭、パンリマ・ポレム9世はムハンマド・ダウド・シャーを護衛してガヨ英語版山地に撤退し、オランダ軍迎撃の準備を進める[1]。1902年1月21日、ユルゲン・ウェッブ大尉のオランダ植民地軍保安隊英語版がパンリマ・ポレム9世を捕縛するため進軍するが、パンリマ・ポレム9世が仕掛けた罠にかかり、大木の下敷きとなって戦死した。オランダ軍は増援部隊を派遣し、1月30日から2月13日にかけて周囲を捜索するが、パンリマ・ポレム9世は既にガヨ英語版山地の陣地に撤退した後だった。

パンリマ・ポレム9世の一族

二人の捕縛に失敗したオランダ軍はガヨ英語版山地への攻撃を停止し、ムハンマド・ダウド・シャーの家族を捕縛する方針に切り替え、1902年に王妃ガディン、第二王妃ムロン、息子トゥアンク・パジャ・イブラヒムが相次いで捕縛された。家族を人質にしたオランダ軍は、「1か月以内に降伏しなければ家族を処刑する」と脅迫する[1]。これを受け、ムハンマド・ダウド・シャーは1903年1月10日にオランダ軍に降伏する。パンリマ・ポレム9世はムハンマド・ダウド・シャーから抵抗を続けるように命令されるが、1月24日にハンス・クリストフェルオランダ語版中尉の部隊に隠れ家を襲撃される。パンリマ・ポレム9世は脱出に成功するが、5月22日に家族がオランダ軍に捕縛される。これを受けて、パンリマ・ポレム9世はヘンドリクス・コレインオランダ語版との間で降伏交渉を始め、9月7日に150人の部下と共にロークスマウェでオランダ軍のヨハネス・ファン・ヘウツオランダ語版に降伏した。

晩年

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パンリマ・ポレム9世の墓

オランダ軍に降伏した後、パンリマ・ポレム9世は領地を安堵され、植民地政庁の協力者となった。彼は1940年に死去するまで、忠実なオランダ植民地支配の協力者として活動した。パンリマ・ポレム9世の死後、彼の息子は日本軍による蘭印作戦の開始に呼応して、オランダ軍に対するゲリラ運動を主導した。

出典

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参考文献

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  • 1913. Atjeh 1896 – deel 2, A. Kruisheer. Weltevreden 1913. Blz. 80
  • Gedenkboek 40-jarig bestaan Korps Marechaussee, blz 65-79, blz. 108
  • De Atjeh Oorlog, van 't Veer.
  • De soldatenpastoor Verbraak, blz 101