パーミャチ・エフスターフィヤ
パーミャチ・エフスターフィヤ(ロシア語: Па́мять Евста́фія, Па́мять Евста́фия )は、ロシア語で「エフスターフィイの記憶」という意味の名称である[1]。専ら、露土戦争中のヒオスの海戦で敵艦諸共爆沈したロシア帝国艦隊旗艦、 66 門級戦列艦「聖エフスターフィイ・プラーキダ」を追悼して、ロシア帝国海軍の配備した歴代の軍艦の艦名として使用された。
戦列艦
[編集]初代
[編集]「スラーヴァ・ロシーイ」級 66 門級戦列艦。名の由来となっている「聖エフスターフィイ・プラーキダ」の同型艦で、この艦名を持つ最初の艦。
1769年9月29日[暦 1]起工、1770年5月3日[暦 2]進水、バルト艦隊に配備。第一次ロシア・スウェーデン戦争に参加。1791年解体。
2 代
[編集]1790年7月14日[暦 3]起工、1791年5月24日[暦 4]進水、バルト艦隊に配備。フランス革命戦争に参加。1817年解体。
3 代
[編集]1809年1月15日[暦 5]起工、1810年9月30日[暦 6]進水、バルト艦隊に配備。1812年の祖国戦争と1813年から1814年の対フランス戦争に参加。1828年解体。
4 代
[編集]同型艦のない 84 門級戦列艦。
1829年5月11日[暦 7]起工、1830年8月24日[暦 8]進水、黒海艦隊に配備。 M・P・ラーザレフの艦隊に参加。1850年解体。
蒸気軍艦の時代になって、艦名は同じ由来でも「エフスターフィイ」が用いられた。
脚注
[編集]暦
[編集]ロシア帝国では、正教会の祭事に合わせてユリウス暦を使用していた。そのため、このページではユリウス暦に準拠した年月日を記載する。以下に記載するのは、当時の大日本帝国や今日の日本、ロシア連邦などで使用されているグレゴリオ暦に換算した年月日である。