パール (蒸気コルベット)
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パール | |
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HMSパール、1856年頃 | |
基本情報 | |
建造所 | ウーリッジ海軍工廠(Woolwich Dockyard) |
運用者 | イギリス海軍 |
級名 | パール級コルベット |
艦歴 | |
進水 | 1855年9月13日 |
最期 | 1884年8月、解体のため売却 |
要目 | |
排水量 | 2,115ロングトン (2,149 t)[1] |
トン数 | 1469 bmトン[1] |
長さ |
225 ft 3 in (68.66 m)(全長) 200 ft (61 m)(砲列甲板) |
幅 | 40 ft 4 in (12.29 m) |
深さ | 23 ft 11 in (7.29 m) (庫内) |
吃水 |
16 ft 2 in (4.93 m)(船首) 19 ft 9 in (6.02 m)(船尾) |
推進 |
2気筒トランクエンジン[1] 単軸スクリュー 帆走 (3本マスト・横帆) |
出力 | 400馬力(定格馬力)[1] |
速力 | 11.3ノット(機走時) |
兵装 |
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艦歴
[編集]パールはパール級コルベットの1番艦として1855年に進水した。排水量は2187トン、21門の砲を搭載していた。
インド大反乱中の1857年9月、175人の乗員による「パール海軍旅団」が組織された。兵員はライフルを装備している程度であったが、いくつかの作戦に参加している。これら作戦の多くはHMSシャノン(HMS Shannon)の乗員からなる同様の旅団と共同で行われた。
1855年から1859年にインドから戻るまで、艦長はエドワード・サウスウェル・サザビー(Edward Southwell Sotheby)が務めていたが、1859年8月23日から1864年6月18日まで、ジョン・ボーラス(John Borlase)が第二代の艦長を務めた。その後プリマスに戻り係留された。この間、パールは東インド及び中国に派遣され、太平天国の乱や薩英戦争に参加している。
ノーススター 事件
[編集]1861年5月、パールはノーススター事件(North Star Affair)に遭遇した。英国の客船ノーススターは香港から長崎に向かって出帆したが、船は非武装で何丁かの銃があるのみであった。5月13日、ジャンクに乗った中国の海賊がノーススターを襲った。彼らは少なくとも船員の5人を殺害し、4000ドル相当の金を奪って逃走した。襲撃中に隠れていた2人の乗員によって、ノーススターは香港に戻ることができた。パールは青洲(Green Island)沖に停泊していたが、報告を受けて出港した。まもなく、海に飛び込んで逃げていたノーススターの生存者を発見して救出した[2]。
参考資料
[編集]- 脚注
- ^ a b c d Winfield (2004) p.209
- ^ A Sydney Man (23 July 1861). “News and Notes CLXIV”. The Courier (ブリスベーン): p. 3 3 January 2012閲覧。
- 文献
- Colledge, J. J.; Warlow, Ben (2006) [1969]. Ships of the Royal Navy: The Complete Record of all Fighting Ships of the Royal Navy (Rev. ed.). London: Chatham Publishing. ISBN 978-1-86176-281-8. OCLC 67375475。
- Winfield, Rif; Lyon, David (2004). The Sail and Steam Navy List: All the Ships of the Royal Navy 1815–1889. London: Chatham Publishing. ISBN 978-1-86176-032-6. OCLC 52620555