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パーヴェル・アンネンコフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
パーヴェル・アンネンコフ
パーヴェル・アンネンコフ
誕生 Па́вел Васи́льевич А́нненков
(1813-07-01) 1813年7月1日
ロシア帝国の旗 ロシア帝国モスクワ
死没 (1887-03-20) 1887年3月20日(73歳没)
ドイツの旗 ドイツ帝国ドレスデン
職業 批評家文芸評論家伝記作家
言語 ロシア語
国籍 ロシアの旗 ロシア
ジャンル 評論伝記回想記
文学活動 自由主義西欧派
代表作 『すばらしい10年間』(1880年)、『同時代人の肖像』
親族 イヴァン・アンネンコフロシア語版(兄、軍人)
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パーヴェル・アンネンコフ

パーヴェル・ヴァシリエヴィチ・アンネンコフロシア語:Па́вел Васи́льевич А́нненковラテン文字表記例:Pavel Vasilyevich Annenkov1813年7月1日 - 1887年3月20日)は、ロシア帝国モスクワ出身の文芸評論家

月刊誌祖国の記録英語版』や『同時代人』の同人として文を寄稿[1]回想録作家として『すばらしい10年間』や『文学的回想』などの著作を残したことや、西欧主義者を率いて同国の評論家ヴィッサリオン・ベリンスキーらと共に1840年代のロシアの文壇を支えた[2]。また、伝記作家としても作家アレクサンドル・プーシキンの著作を纏め、初めて『プーシキン全集』を刊行したことで知られる[3]

軍人イヴァン・アンネンコフロシア語版がいる。

生涯

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1813年7月1日に、ロシア帝国のモスクワに裕福な地主のもとに生まれた。評論家になる前はサンクトペテルブルク大学歴史言語学教員として教鞭を執っていた。

1840年の前半にヨーロッパを旅行し、イタリアローマに滞在していた小説家ニコライ・ゴーゴリと知り合う。

1846年から1848年にかけて再びヨーロッパを旅行し、ベルギーブリュッセルドイツ思想家カール・マルクスと、フランスパリ哲学者アレクサンドル・ゲルツェンと、オーストリアザルツブルクで同国の評論家ベリンスキーと知り合い[1]、哲学者のミハイル・バクーニン小説家イワン・ツルゲーネフとも交流を深めた[2]

1840年代は月刊誌の『祖国の記録』や『同時代人』の雑誌に文を寄稿した。この頃よりドイツ思想家カール・マルクスとも知り合い、文通も行っていた[4]。特に『同時代人』ではプーシキンやゴーゴリなど自然主義者を支持したが、1850年代に入ると急進的な思想家ニコライ・チェルヌイシェフスキーが台頭してきたため、まもなく『同時代人』を去ってしまうことになる[1]

1880年には1838年から1848年の10年間を纏めた回想録『すばらしい10年間』を著し、同年にプーシキンの作品を纏めたことや、文芸評論家としての業績が評価されモスクワ大学から名誉博士号が授与された。

1887年3月20日にドイツのドレスデンで亡くなる。73歳であった。後の1909年には『文学的回想』が出版された[注釈 1]

注釈

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  1. ^ 日本ではロシア文学者青山太郎翻訳した『同時代人の肖像』がロシア群書により出版されているが、これは子孫で画家のユーリイ・アンネンコフによる回想録である。

脚注・参考文献

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脚注

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  1. ^ a b c アンネンコフとは - コトバンク、2016年10月17日閲覧。
  2. ^ a b 北垣 1973, p. 36.
  3. ^ 山本 1983, p. 172.
  4. ^ 工藤 1971, p. 56.

参考文献

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  • 北垣信行文章著『万有百科大事典 1 文学』(小学館、1973年)
  • 工藤精一郎文章著『新潮 世界文学小辞典』(新潮社、1971年)
  • 山本俊朗文章著『グランド現代百科事典 2 アメリカシーイチノタ』(学習研究社、1983年)