ビオランテ・デ・アラゴン
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ビオランテ・デ・アラゴン Violante de Aragón | |
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カスティーリャ王妃 | |
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在位 | 1252年 - 1284年 |
出生 |
1236年6月8日 アラゴン王国、サラゴサ |
死去 |
1301年 ナバラ王国、ロンセスバーリェス |
埋葬 | ナバラ王国、ロンセスバーリェス、サンタ・マリーア教会 |
結婚 | 1249年1月29日 バリャドリッド、サンタ・マリーア・マヨール教会 |
配偶者 | カスティーリャ王アルフォンソ10世 |
子女 | 一覧参照 |
家名 | バルセロナ家 |
父親 | アラゴン王ハイメ1世 |
母親 | ビオランテ・デ・ウングリア |
宗教 | ローマ・カトリック |
ビオランテ・デ・アラゴン・イ・ウングリア(Violante de Aragón y Hungría, 1236年6月8日 - 1301年)は、カスティーリャ王アルフォンソ10世の王妃。名前はヨランダ(Yolanda)とも。父はアラゴン王ハイメ1世、母はハンガリー王アンドラーシュ2世の娘ビオランテ・デ・ウングリア。
1246年に王太子であったアルフォンソと婚約し、1249年に結婚した。結婚から数年間は子供ができず、一時アルフォンソは離婚も企てていたが、その後は夭逝した2人を除いても、早世した王太子フェルナンド・デ・ラ・セルダ、その弟で王位を継いだサンチョ4世ら10人の子供をもうけている。
子女
[編集]- フェルナンド(生没年未詳) - 夭逝
- ベレンゲーラ(1253年 - 1284年以降) - ラス・ウエルガス修道院の修道女
- ベアトリス(1254年 - 1280年) - 1271年、ムルシアでモンフェラート侯グリエルモ7世と結婚。
- フェルナンド・デ・ラ・セルダ(1255年 - 1275年) - 王太子であったが父より先に死去し、遺児たちを退けて弟サンチョが父から王位を奪った。
- レオノール(1257年 - 1275年)
- サンチョ4世(1258年 - 1295年) - カスティーリャ王
- コンスタンサ(1258年 - 1280年) - ラス・ウエルガス修道院の修道女
- ペドロ(1260年 - 1283年)
- フアン(1262年 - 1319年) - バレンシア・デ・カンポス領主
- イサベル(生没年未詳) - 夭逝
- ビオランテ(1265年 - 1296年) - ビスカヤの領主ディエゴ・ロペス・デ・アロと結婚。
- ハイメ(1266年 - 1284年)