ビクトル・チーホノフ (1988年生)
ビクトル・チーホノフ | |
---|---|
現役時代 (2014年5月14日) | |
本名 | ビクトル・ワレーリエビッチ・チーホノフ |
原語名 | Виктор Васильевич Тихонов |
国籍 | ロシア アメリカ合衆国 ラトビア (二重国籍)[1] |
生誕 出生地 |
1988年5月12日(36歳) ソビエト連邦 ラトビア・ソビエト社会主義共和国リガ |
身長 体重 |
6 ft 2 in (1.88 m) 183 lb (83 kg; 13 st 1 lb) |
ポジション | ライト・ウィング |
シュート | 右打ち |
所属歴 | セーヴェルスタル・チェレポヴェツ (2006 - 2008) フェニックス・コヨーテズ (2008-09) セーヴェルスタル・チェレポヴェツ (2009-10) SKAサンクトペテルブルク (2011 - 2015) シカゴ・ブラックホークス (2015-16) アリゾナ・コヨーテズ (2015-16) SKAサンクトペテルブルク (2016 - 2019) SKAサンクトペテルブルク (2016 - 2019) アク・バルス・カザン (2019 - 2021) サラヴァト・ユラーエフ・ウファ (2021-22) |
代表 | ロシア |
プロ選手期間 | 2004年 – 2022年 |
獲得メダル | ||
---|---|---|
男子アイスホッケー | ||
ロシア | ||
アイスホッケー世界選手権 | ||
金 | 2014 | |
銀 | 2015 | |
U20アイスホッケー世界選手権 | ||
銅 | 2008 |
ビクトル・チーホノフ(英語: Viktor Tikhonov、1988年5月12日生まれ)は、ソビエト連邦生まれの元プロアイスホッケー選手。ポジションはライト・ウィンガー。
海外を転々とした少年時代
[編集]ビクトルの名前は元アイスホッケーソ連代表のヘッドコーチだった祖父、ビクトル・チーホノフ (1930年生)にちなんでいる。父親のワシーリー・チーホノフもアイスホッケーのコーチだった。 1988年ラトビアがまだソ連だった時代に、父のワシーリーがアイスホッケークラブであるディナモ・リガのコーチをしていたラトビアのリガでで生まれた。 ビクトルが1歳の時にチーホノフ一家はフィンランドに移り、父ワシーリーはフィンランドのアイスホッケークラブであるエッセートのコーチになった。 ビクトルが3歳の時、祖父からアイスホッケー靴をプレゼントしてもらい、アイスホッケーを始める。 1992年、5歳の時に父ワシーリーはNHLに招かれ、カリフォルニアでサンノゼ・シャークスの監督補佐になった。 1999年までチーホノフ一家はアメリカ合衆国で暮らし、ビクトルはサンタ・クララの少年チームで本格的にアイスホッケーを始める。 シャークスの試合を観戦するうちにビクトルはいつかNHLでプレーしたいと思うようになった。 2002年、12歳の時に父ワシーリーはフィンランドのアイスホッケークラブであるルッコからオファーを受け、チーホノフ一家は再度フィンランドに移住。ビクトルもルッコの少年チームでプレーをした。2年後にワシーリーはスイスのアイスホッケークラブであるランガウに招かれ、一家はスイスに移り住む。 ビクトルはランガウの少年チームに加入し、14歳の時にスイスの全国少年アイスホッケー大会で優勝そた[1]。 15歳の時にビクトルは初めてロシアの土を踏んだ。 父ワシーリーは祖父のビクトル・チーホノフとHC CSKAモスクワのコーチを率い、孫のビクトルもCSKAのホッケースクールに加入。後にビクトルはワシーリーと相談して、CSKA以外のクラブでシニアのキャリアを重ねることを決める。この決定について後にビクトルは、 「自分が祖父(ビクトル・チーホノフ (1930年生))に登用されていると思われるだろう、だからセーヴェルスタルに入った。そのことは後悔していない」と述べていた。
三重国籍
[編集]アメリカ合衆国、フィンランド、スイスのクラブでプレーしていたときにそれぞれの国の代表チームに召集を受けていた。ビクトル自身は、「(ソ連代表の監督だった)祖父がいるのにロシア以外の代表チームでプレーするなんて考えたことがない」と後に話している。 ビクトルは出身地であるラトビアと、アメリカ合衆国のパスポートも保有しており、ロシアと合わせて3カ国の国籍を持っている[1]。
国際大会の成績
[編集]2008年にU20世界選手権で銅メダルを獲得。ビクトルは7試合で5ゴール2アシストを決めて大会のベストフォワードに選ばれた。[2] [3] 2014年にソチオリンピックに出場したが、プレー時間はあまりなかった。 同年にミンスクで開かれた世界選手権でビクトルは第1ラインで出場。ロシアは優勝し、ビクトルは10試合で16ポイント(8ゴール8アシスト)を決めて大会のベストフォワード、ベストスコアラーー、ベストゴールスコアラーに選ばれた。 [4], [5] , [6]
クラブの成績
[編集]NHLとAHLではプレーオフに進出することができなかったが、KHLのSKAサンクトペテルブルグに移籍してからはプレーオフに4年連続で出場。2012年と2013年には西部コンファレンスの決勝まで進むものの、2年連続でHC ディナモ・モスクワに阻まれてガガーリン・カップ決勝に進むことができなかった。[7], [8]
2014年-2015年シーズンはクラブは定期試合をリーグ全体の2位で終えプレーオフに進出。西部コンファレンスの第1ラウンドではトルペード・ニージニーノブゴロドを4勝1敗で退け、 第2ラウンドでは2年連続でガガーリン・カップ決勝進出を阻まれた因縁のディナモ・モスクワと対戦する。このシーズンの定期試合でSKAとディナモは4回対戦し、4回ともディナモが勝利していた。 だがSKAは4勝1敗でディナモを破り、西部コンファレンスの決勝に進出。定期試合1位のHC CSKAモスクワと対戦する。 最初の3試合をSKAは0-3、延長1-3、1-3でCSKAに敗れ、あと1敗でプレーオフ敗退の危機に陥った。 だがここからSKAの反撃が始まる。第4戦を4-1、第5戦を6-2、第6戦を延長2-1でCSKAを破り、ガガーリン・カップ決勝進出を決める第7戦にもつれ込む。SKAは第1ピリオドで先制ゴールを決め、第2ピリオドでも追加点を決めて2-0とリードするが、CSKAも2得点を決めて2-2の同点に追いつく。 第3ピリオド51分にSKAのパトリック・トレッセンが勝ち越しゴールを決めるとCSKAは追いつくことができず、SKAは0勝3敗からの大逆転でついにガガーリン・カップの決勝進出を決める。 ガガーリン・カップの決勝でSKAサンクトペテルブルグはアクバルス・カザンと対戦し、4勝1敗でアクバルスを破って初のガガーリン・カップを制した [9],[10]。このプレーオフで15試合に出場し、1ゴール1アシストを決めている[11]。
2015年-2016年シーズンはNHLのシカゴ・ブラックホークスと1年契約で移籍した[12]。SKAサンクトペテルブルクから一緒にブラックホークスに移籍したアルテミー・パナーリンの通訳代わりを当初は勤めていた。だがチームに適応して順調に結果を出していくパナーリンと対照的にチーホノフはまったく結果を出すことができず、出場11試合でポイント0であった。
2015年-2016年シーズン途中でアリゾナ・コヨーテズに移籍した[13],[14]。
2016年7月18日、KHLのSKAサンクトペテルブルクと1年契約を締結したことを発表した[15]。
詳細情報
[編集]レギュラーシーズンとプレーオフでの成績
[編集]定期試合 | プレーオフ | |||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
シーズン | 所属 | リーグ | GP | G | A | Pts | PIM | GP | G | A | Pts | PIM | ||
2004–05 | CSKA-2 モスクワ | RUS-3 | 59 | 21 | 28 | 49 | 24 | — | — | — | — | — | ||
2005–06 | HC ドミトロフ | RUS-2 | 36 | 6 | 8 | 14 | 10 | — | — | — | — | — | ||
2005–06 | HK ドミトロフ2 | RUS-3 | 16 | 5 | 9 | 14 | 6 | — | — | — | — | — | ||
2006–07 | セーヴェルスタル2 チェレポヴェツ | RUS-3 | 21 | 14 | 16 | 30 | 20 | — | — | — | — | — | ||
2006–07 | セーヴェルスタル・チェレポヴェツ | RSL | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | — | — | — | — | — | ||
2007–08 | セーヴェルスタル・チェレポヴェツ | RSL | 43 | 6 | 6 | 12 | 43 | 8 | 0 | 1 | 1 | 4 | ||
2008–09 | フェニックス・コヨーテズ | NHL | 61 | 8 | 8 | 16 | 20 | — | — | — | — | — | ||
2008–09 | サンアントニオ・ランページ | AHL | 4 | 2 | 1 | 3 | 0 | — | — | — | — | — | ||
2009–10 | サンアントニオ・ランページ | AHL | 18 | 2 | 6 | 8 | 12 | — | — | — | — | — | ||
2009–10 | セーヴェルスタル・チェレポヴェツ | KHL | 25 | 14 | 1 | 15 | 12 | — | — | — | — | — | ||
2010–11 | サンアントニオ・ランページ | AHL | 60 | 10 | 23 | 33 | 26 | — | — | — | — | — | ||
2011–12 | SKAサンクトペテルブルグ | KHL | 42 | 17 | 13 | 30 | 18 | 10 | 4 | 2 | 6 | 4 | ||
2012–13 | SKA サンクトペテルブルグ | KHL | 39 | 12 | 15 | 27 | 16 | 15 | 10 | 8 | 18 | 20 | ||
2013–14 | SKA サンクトペテルブルグ | KHL | 52 | 18 | 16 | 34 | 20 | 10 | 2 | 1 | 3 | 2 | ||
2014–15 | SKA サンクトペテルブルグ | KHL | 49 | 8 | 16 | 24 | 29 | 15 | 1 | 1 | 2 | 4 | ||
2015–16 | シカゴ・ブラックホークス | NHL | 11 | 0 | 0 | 0 | 6 | — | — | — | — | — | ||
NHL合計 | 72 | 8 | 8 | 16 | 26 | — | — | — | — | — | ||||
KHL合計 | 207 | 69 | 61 | 130 | 95 | 50 | 17 | 12 | 29 | 30 |
国際大会での成績
[編集]年 | チーム | 大会 | 結果 | GP | G | A | Pts | PIM | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2008 | ロシア代表 | U20世界選手権 | 7 | 5 | 2 | 7 | 6 | ||
2014 | ロシア代表 | ソチオリンピック | 5位 | 2 | 0 | 1 | 1 | 0 | |
2014 | ロシア代表 | 世界選手権 | 10 | 8 | 8 | 16 | 10 | ||
2015 | ロシア | 世界選手権 | 10 | 1 | 2 | 3 | 4 | ||
ジュニア代表合計 | 7 | 5 | 2 | 7 | 6 | ||||
フル代表合計 | 22 | 9 | 11 | 20 | 14 |
脚注
[編集]- ^ a b c http://www.sovsport.ru/gazeta/article-item/279019
- ^ http://stats.iihf.com/Hydra/142/IHM142Z12_85B_1_0.pdf
- ^ http://stats.iihf.com/Hydra/142/IHM142000_85I_1_0.pdf
- ^ http://stats.iihf.com/Hydra/387/IHM387000_85I_1_0.pdf
- ^ http://stats.iihf.com/Hydra/387/IHM387000_85B_17_0.pdf
- ^ http://stats.iihf.com/Hydra/387/IHM387000_85C_16_0.pdf
- ^ http://en.khl.ru/standings/203/playoff/
- ^ http://en.khl.ru/standings/223/playoff/
- ^ http://en.khl.ru/news/2015/04/07/233994.html
- ^ http://en.khl.ru/standings/267/playoff/
- ^ http://en.khl.ru/stat/players/267/forwards/ska/
- ^ http://blackhawks.nhl.com/club/news.htm?id=773459#&navid=CHI-search
- ^ http://coyotes.nhl.com/club/news.htm?id=791298#&navid=ARI-search
- ^ https://www.nhl.com/player/viktor-tikhonov-8474588
- ^ http://en.khl.ru/news/2016/07/18/310469.html
外部リンク
[編集]- NHL.com, or Eliteprospects.com, or Eurohockey.com, or KHL.ru