コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ビテュニアのマリーナ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
修道士聖マリーナ
死没 750年
崇敬する教派 マロン典礼カトリック教会
正教会
コプト正教会
記念日 6月18日(カトリック教会)
2月8日または2月12日(正教会)
テンプレートを表示

聖マリーナまたはビテュニアのマリーナ: Santa Marina della Bitinia、? - 750年頃)は、8世紀頃のキリスト教の聖人である。聖マリナとも。ヴェネツィアカトリック教会などで崇敬されている。同名の聖人にアレクサンドリアのマリーナが存在し、混同される場合がある。

人物

[編集]

マリーナは8世紀のビテュニアの聖女とされる[注 1]。マリーナは『ローマ殉教史』に記載されており、カトリック教会では6月18日が記念日であるが[2]、正教会では2月8日または、2月12日。東方諸教会では2月8日である[1]。また、ヴェネツィアに聖遺物が移された日である7月17日は移居記念日とされている[1][3]。マリーナにまつわる伝説は修道士処女伝説の一つとされ、聖マルガリタ聖ペラギアとしばしば同一視される[注 2]

聖人伝

[編集]

マリーナの父親が修道院に入ることになった為、父親はマリーナを男装させ一人息子として一緒に修道院に入った。以降、マリーナはマリノスとして修道生活を送るようになった。マリノスが17歳の時、父親は死期を悟り、誰にも女であることを明かさないように命じた。

マリノスは修道院での仕事の為に、ある人物の家に泊まることが多かった。ある日、その家の娘がとある騎士の子供を宿したが、困った娘はマリノスに犯されたからだと嘘を言った。しかし問い詰められたマリノスは罪を認め、慈悲を願った。このために修道院の外に追放されることになった。マリノスは修道院の門の近くに住み、パン屑を拾って暮らすようになった。娘の子が生まれるとその子を引き取り、さらに2年ほど暮らしたのちに修道院に戻され、下働きをして暮らした。

マリノスの死後、修道士たちが遺体を洗おうとしたときに、マリノスが女性であったことが判明した。修道士たちは許しを請い、マリーナの遺体は礼拝堂内に葬られた。嘘をついた娘は悪霊に取りつかれ、罪を白状することとなったが、娘がマリーナの墓前に近づくと悪霊は去った[5]

聖遺物

[編集]

マリーナの聖遺物は1230年にコンスタンティノープルからヴェネツィアの聖マリーナ教会に移された。のちにいくつかの聖遺物はパリ教区の教会に移され、保管されている[2][3]

文化

[編集]
聖マリナの祭壇画

イコノグラフ

[編集]

マリーナを描いた祭壇画はいくつか存在し、修道女の服装で赤ん坊を抱いている姿で描かれる場合が多い[1]

文芸

[編集]

芥川龍之介黄金伝説の聖マリーナの聖人伝を下敷きに『奉教人の死』を執筆した[1]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 5世紀頃とも[1]
  2. ^ 助祭ヤコボスの『ペラギア伝』ではペラギアはマルガリタまたはマリナと名乗っていた踊り子とされている[4]

出典

[編集]
  1. ^ a b c d e 黄金伝説2, p 330
  2. ^ a b Catholic Online, St. Marina
  3. ^ a b Catholic Saints Info, Saint Marina of Bithynia
  4. ^ 黄金伝説4, p 75
  5. ^ 黄金伝説2, p 328-329

参考文献

[編集]
  • ヤコブス・デ・ウォラギネ、前田 敬作(訳)、山口 裕(訳)、2006、『黄金伝説2』、平凡社〈平凡社ライブラリー〉 ISBN 978-4582765786
  • ヤコブス・デ・ウォラギネ、前田 敬作(訳)、山中 知子(訳)、2006、『黄金伝説4』、平凡社〈平凡社ライブラリー〉 ISBN 978-4582765922
  • St. Marina - Saints & Angels - Catholic Online”. 2015年11月4日閲覧。
  • Saint Marina of Bithynia, CatholicSaints.Info”. 2015年11月4日閲覧。

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]