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ヴィニー・チューク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ビニー・チュークから転送)
ヴィニー・チューク
Vinnie Chulk
広島東洋カープでの現役時代
(2010年9月14日、マツダスタジアム)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 フロリダ州マイアミ
生年月日 (1978-12-19) 1978年12月19日(46歳)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
200 lb =約90.7 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2000年 MLBドラフト12巡目
初出場 MLB / 2003年9月8日
NPB / 2010年8月1日
最終出場 MLB / 2012年5月18日
NPB / 2010年9月14日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ヴィニー・チューク英語: Vinnie Chulk、本名:チャールズ・ヴィンセント・チューク(Charles Vincent Chulk)、1978年12月19日 - )は、アメリカ合衆国フロリダ州マイアミ出身の元プロ野球選手投手)。登録名のヴィニーは愛称である。

経歴

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プロ入りとブルージェイズ時代

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2000年MLBドラフト12巡目でトロント・ブルージェイズから指名され[1]、契約。

2003年9月8日にメジャーデビュー[1]

2004年から中継ぎとしてメジャーに定着した。

2005年には初めてメジャーでフルシーズンを過ごし、62試合に登板[1]。引き継いだランナー37人のうちわずか4人しか生還を許さず、抜群の勝負強さを誇った。

ジャイアンツ時代

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2006年7月21日にシェイ・ヒレンブランドと共にサンフランシスコ・ジャイアンツに移籍。三振を取りにいくピッチングにしようとしたためにコントロールが乱れ、前半戦に5つしか出さなかった四球を後半戦だけで前半戦の三倍の15も出してしまう。

2007年7月9日に忌引リストから復帰した[1]。8月26日に15日間の故障者リスト入りとなった[1]

インディアンス時代

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2009年4月11日に傘下AAA級コロンバス・クリッパーズからメジャーに昇格した[1]。5月7日にDFAとなった[1]。5月14日に傘下AAA級コロンバスへ降格した[1]。6月10日に7日間の故障者リスト入りとなった[1]。10月6日にFAとなった[1]

パイレーツ傘下時代

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2009年12月7日にピッツバーグ・パイレーツとマイナー契約を結び、2010年スプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[1]。4月7日に傘下AAA級インディアナポリス・インディアンズへ配属された[1]。4月20日に7日間の故障者リスト入りとなった[1]。4月27日に復帰した[1]。4月20日にテムポラリリィー・インアクティブ・リスト入りとなった[1]。7月22日に FAとなった[1]

広島東洋カープ時代

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2010年7月27日にNPBの広島東洋カープに入団。8月1日の対読売ジャイアンツ戦(マツダスタジアム)でNPB初登板するも、調整不足もあり3分の2回を投げて被安打5、4失点と苦いデビューとなった。その後も目立った働きは出来ず、シーズン終了後に退団。

アスレチックス傘下時代

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2010年12月11日にオークランド・アスレチックスとマイナー契約を結んだ[1]。12月17日に2011年のスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[1]

2011年は傘下AAA級サクラメント・リバーキャッツでプレーした[1]。11月2日にFAとなった[1]

ブルワーズ時代

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2012年1月27日にミルウォーキー・ブルワーズとマイナー契約を結んだ[1]。4月2日に傘下AAA級ナッシュビル・サウンズへ配属された[1]。4月29日にメジャー契約を結んで、アクティブロースター入りした[1]。3年ぶりのメジャー復帰となった。5月19日にDFAとなった[1]。5月21日に傘下AAA級ナッシュビルへ配属された[1]。8月19日にリハビリのため、傘下ルーキー級アリゾナリーグ・ブルワーズ英語版へ配属された[1]。8月26日に傘下A級ブレバード・カウンティ・マナティーズへ配属された[1]。10月5日にFAとなった[1]。10月13日にメキシコウィンターリーグであるリーガ・メヒカーナ・デル・パシフィコベナドス・デ・マサトランスペイン語版へ配属された[1]。10月25日にリザーブリストに登録された[1]

プレースタイル

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若い頃は最速で90mph台後半をマークする速球を武器としていたが、近年は最速でも95mph(約153km/h)の速球(ツーシーム)を武器としている。決め球は投球割合の2割近くを占めるスライダー。他にもカーブチェンジアップカットボールも投げる。

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
2003 TOR 3 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 25 5.1 6 0 3 0 0 2 0 0 3 3 5.06 1.69
2004 47 0 0 0 0 1 3 2 13 .250 248 56.0 59 6 27 1 1 44 2 0 30 29 4.66 1.54
2005 62 0 0 0 0 0 1 0 13 .000 301 72.0 68 9 26 3 1 39 5 0 33 31 3.88 1.31
2006 20 0 0 0 0 1 0 0 1 1.000 107 24.0 29 4 5 0 2 18 1 0 16 14 5.25 1.42
SF 28 0 0 0 0 0 3 0 5 .000 98 22.1 17 2 15 2 1 25 3 0 13 13 5.24 1.43
'06計 48 0 0 0 0 1 3 0 6 .250 205 46.1 46 6 20 2 3 43 4 0 29 27 5.24 1.42
2007 57 0 0 0 0 5 4 0 9 .556 222 53.0 53 3 14 2 2 41 2 0 22 21 3.57 1.26
2008 27 0 0 0 0 0 3 0 2 .000 139 31.2 33 6 8 2 2 16 1 0 18 17 4.83 1.29
2009 CLE 8 0 0 0 0 0 1 0 0 .000 55 12.0 10 1 10 0 0 4 0 0 6 5 3.75 1.67
2010 広島 16 0 0 0 0 2 0 1 2 1.000 88 18.2 24 0 7 0 1 12 0 3 15 12 5.79 1.66
2012 MIL 7 0 0 0 0 1 0 0 0 1.000 48 9.0 17 0 4 1 0 10 0 0 10 10 10.00 2.33
MLB:8年 259 0 0 0 0 8 15 2 43 .348 1243 285.1 292 31 112 11 9 199 14 0 151 143 4.51 1.42
NPB:1年 16 0 0 0 0 2 0 1 2 1.000 88 18.2 24 0 7 0 1 12 0 3 15 12 5.79 1.66

記録

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NPB
  • 初登板:2010年8月1日、対読売ジャイアンツ14回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、9回表に5番手で救援登板、2/3回5安打4失点
  • 初奪三振:同上、9回表に寺内崇幸から空振り三振
  • 初セーブ:2010年8月10日、対阪神タイガース13回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、9回表に4番手で救援登板・完了、1回無失点
  • 初勝利:2010年8月24日、対阪神タイガース15回戦(京セラドーム大阪)、8回裏に3番手で救援登板、1回無失点
  • 初ホールド:2010年8月28日、対読売ジャイアンツ19回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、7回表に3番手で救援登板、1回無失点

背番号

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  • 50 (2003年 - 2006年途中)
  • 31 (2006年途中 - 2007年)
  • 39 (2008年 - 2009年)
  • 42 (2010年)
  • 54 (2012年)

脚注

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関連項目

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外部リンク

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