ビリー・マレー (ボクサー)
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ジョージ・チップ(左)とマレー(右)、1914年。 | |
基本情報 | |
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本名 | ジョン・H・マークス |
階級 | ミドル級 |
国籍 | アメリカ合衆国 |
誕生日 | 1892年4月18日 |
出身地 | カリフォルニア州ペタルーマ |
死没日 | 1926年3月4日(33歳没) |
ビリー・マレー(Billy Murray、本名:ジョン・H・マークス、John H. Marques、1892年4月18日 - 1926年3月4日)は、20世紀はじめのアメリカ合衆国のミドル級のプロボクサー[1]。カリフォルニア州ペタルーマ生まれ[1]。ポルトガル系とされる[2]。
ボクシング戦績
[編集]1910年5月のデビュー戦は、TKO勝利を果たしたが、ボクシングを始めた初期には、成績は芳しいものではなく、戦績は3勝2敗1引き分けであったが、その後、信じられないような連勝が続くことになった。7戦目以降は、アントン・ラグラーヴ (Anton LaGrave)、ジョニー・マッカーシー (Johnny McCarthy)、ジミー・クラビー (Jimmy Clabby)、その他のボクサーたちを相手に、49戦無敗を記録した。しかし、この連勝の後、マレーはジョージ・チップに2連敗を喫した。これに続いて2連勝したが、直後には9連敗を喫した。その後も、1918年まではコンスタントに戦い続け、最後は1920年と1922年に1回ずつリングに上がって、のべ23戦を戦い、生涯で61勝(44KO)20敗、9引き分けの記録を残した[1]。
1922年の時点で、健康を害してロサンゼルスのサナトリウムに入っていたが、1926年にアリゾナ州ツーソンで、結核により死去した[2]。
出典・脚注
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