ビル・ピンカード
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基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | モンタナ州 |
生年月日 | 1931年1月28日 |
没年月日 | 2018年9月19日(87歳没) |
身長 体重 |
191 cm 88 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 外野手 |
プロ入り | 1947年 |
初出場 | NPB/1955年 |
最終出場 | NPB/1956年 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について
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ウィリアム・ペイトン・ピンカード(William Payton Pinckard[1]、1931年1月28日 - 2018年9月19日)は、アメリカ合衆国モンタナ州出身の元プロ野球選手(外野手)。
経歴
[編集]ロサンゼルス高校を経て、1947年から1952年まで米マイナーリーグでプレー。1950年代前半の朝鮮戦争の時期に米陸軍に勤務したとされる。
1955年ウェストテキサス-ニューメキシコリーグのエルパソテキサスでプレーしていたが、同年8月末に来日して近鉄パールスに入団。日下隆に替わって四番に入ると、43試合の出場で打率.231ながらチームトップの7本塁打を放つ。翌1956年も前半戦は四番を打つが、1割台の低打率に苦しむ。シーズンではチーム全体の約1/3にあたる16本塁打を打ち、安打の半分以上が長打という長打力を見せるも、打率.187という確実性のなさで信頼を失い、後半は七番など下位打線を打つことが多かった[2]。結局この年限りで退団してアメリカへ帰国した。
その後も1960年まで米マイナリーグでプレーした。
2018年9月19日にカリフォルニア州シトラスハイツで死去した。満89歳没
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1955 | 近鉄 | 43 | 140 | 130 | 12 | 30 | 7 | 0 | 7 | 58 | 18 | 4 | 2 | 0 | 2 | 8 | 1 | 0 | 36 | 2 | .231 | .275 | .446 | .722 |
1956 | 94 | 311 | 294 | 28 | 55 | 12 | 2 | 16 | 119 | 43 | 11 | 3 | 0 | 3 | 13 | 5 | 1 | 71 | 10 | .187 | .224 | .405 | .629 | |
NPB:2年 | 137 | 451 | 424 | 40 | 85 | 19 | 2 | 23 | 177 | 61 | 15 | 5 | 0 | 5 | 21 | 6 | 1 | 107 | 12 | .200 | .237 | .417 | .655 |
- 各年度の太字はリーグ最高
- 「-」は記録なし
背番号
[編集]- 66 (1953年)
- 4 (1954年)
脚注
[編集]- ^ https://www.baseball-reference.com/register/player.fcgi?id=pincka001wil
- ^ 『決定版日本プロ野球外国人選手大鑑』122頁
参考文献
[編集]- 『決定版日本プロ野球外国人選手大鑑 (BBmook―スポーツシリーズ 224)』ベースボールマガジン社、2002年
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 選手の通算成績と情報 Baseball-Reference (Register)
- 個人年度別成績 B.ピンカード - NPB.jp 日本野球機構