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ビン姫(びんひめ、慶長12年(1607年) - 慶安5年(1652年)[1])は、松江藩第3代藩主堀尾忠晴の正室。奥平家昌の娘。母は本多忠勝の次女・法明院。
慶長15年(1610年)6月12日、第2代将軍徳川秀忠(大叔父に当たる)の養女となり、雲州松江城へ輿入れした。
寛永10年(1633年)に夫が死去し、堀尾宗家が断絶した以後は実家へ戻った。
慶安5年(1652年)死去。東海寺に葬られた。法名は雲松院長天正久大姉。
- ^ 『幕府祚胤伝』では慶安3年閏10月26日(1650年12月19日)死去。
- 工藤寛正『徳川・松平一族の事典』
- 「幕府祚胤伝」(『徳川諸家系譜』第二巻)