ピエール・カルロ・パドアン
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ピエール・カルロ・パドアン Pier Carlo Padoan | |
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生年月日 | 1950年1月19日(74歳) |
出生地 | ラツィオ州ローマ |
出身校 | ローマ・ラ・サピエンツァ大学 |
所属政党 | 無所属 |
内閣 |
レンツィ内閣 ジェンティローニ内閣 |
在任期間 | 2014年2月22日 - 2018年6月1日 |
ピエール・カルロ・パドアン(イタリア語: Pier Carlo Padoan、1950年1月19日 - )は、イタリアの経済学者、政治家。レンツィ内閣、ジェンティローニ内閣において同国の経済財務大臣を務めた。
経歴
[編集]ローマ・ラ・サピエンツァ大学で経済学を学び、卒業。大学時代には「マルクス主義批判」という雑誌でジョン・メイナード・ケインズの経済理論を痛烈に批判した事もあった[1]。
その後はローマ・ラ・サピエンツァ大学の経済学の教授となり、2007年までその職に就いた。1992年から2001年までは欧州大学院大学の教授としても教鞭をとる。その他、ブリュッセル自由大学、ウルビーノ大学、東京大学などで客員教授を務めた[2]。
1998年からイタリアの首相を務めたマッシモ・ダレマやジュリアーノ・アマートの経済顧問として、アジェンダ2000やリスボン条約、G8などの各種国際会議で交渉責任者を務める。2001年にはIMFの理事に就任[3]。
2007年、OECD(経済協力開発機構)の副事務総長に就任し、2009年にはOECD総局長(チーフ・エコノミスト)に昇進した。
2013年にイタリア国家統計局(ISTAT)の局長に就く事が内定していたが、2014年2月、イタリアの首相に任命されたマッテオ・レンツィからの指名を受け、レンツィ内閣の経済財務大臣に就任[4]。2016年12月に発足したジェンティローニ内閣でも留任した。2018年6月に退任。
脚注
[編集]- ^ Il ministro Padoan oltre Keynes. Nel ’75 il manifesto 2014年2月26日
- ^ Pier Carlo Padoan European Commission 2011年5月7日
- ^ 改革のスピードアップへ、レンツィ新政権が始動(イタリア) JETRO 2014年3月3日
- ^ 伊レンツィ新内閣発足へ、経済相はOECDのパドアン氏 ロイター 2014年2月22日