コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ピコンゼー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ピコンゼー
Piconzé
監督 中島逸平
脚本 中島逸平
原案 中島逸平
製作 T. Watanabe
製作総指揮 João Luiz Araújo
音楽
  • Damiano Cozzella
  • Décio Pignatari
編集 Sylvio Renoldi
製作会社 Telstar Filmes
配給 Distar Filmes
公開 ブラジルの旗1973年
上映時間 80分
製作国 ブラジルの旗 ブラジル
言語 ポルトガル語
テンプレートを表示

ピコンゼー(Piconzé)は、日本人のアニメーター中島逸平が制作したブラジルのアニメ映画である。1973年の公開時にはブラジル初の本格長編動画として各紙に取り上げられ、リオデジャネイロでは一週間で10万人の観客を集めている[1][注 1]

物語

[編集]

ブラジル北東部の典型的な村を舞台に、山賊ビゴドンにさらわれたガールフレンドのマリアを助け出そうとする主人公ピコンゼーの活躍を描く。ピコンゼーはブタやオウムを仲間に連れ、道中では魔女、ブラジル伝説の妖怪サシなどと出会う[2]

制作

[編集]

中島逸平は戦時中に京都の美術学校に学び、新聞や雑誌に漫画を描く仕事をしていた[4]。1956年、中島は妻と息子の逸生を伴いブラジルに移住した。移住後は現地の日本人社会で出版に関わり、記事や漫画を書いて働いていた。アニメーションに興味を持った中島は、「パパパポ(Papa-Papo)」という名のオウムのキャラクターを考案し[5]、1959年から1963年までの間に12作品を制作した。

1966年、映画『ピコンゼー』の制作を始めた中島は、『サンパウロ新聞』に求人広告を出して作業者を集めた。人手は不足しており、絵の好きな日系人を集めては、作業を一から教えながら作っていくことの繰り返しであった[6]。後に画家となったアヤオ・オカモトもこの作業に参加しており、3年間『ピコンゼー』に関わったという[7]。『ピコンゼー』は1972年に完成した。公開されると、サンパウロカンピーナスなど各都市で映画館の前に行列ができるほどの人気を集めた[1]

第二作制作の構想はあったものの[4]、中島は長期にわたる『ピコンゼー』制作の影響で肩を痛めており、実現しなかった[7]。息子の逸生も父の影響でアニメーターとなり、ブラジルアニメ『モニカと仲間たち』にも参加している[8]

評価

[編集]

『ピコンゼー』は1973年、Instituto Nacional do Cinema(INC)からコルージャ・デ・オウロ賞を受賞した[5]。1984年には手塚治虫がブラジルを訪問し、国際交流基金とブラジル・マンガ・イラスト作家協会(ABRADEMI)がサンパウロ美術館で開催した行事において上映された『ピコンゼー』を鑑賞した[9]。2002年には広島国際アニメーションフェスティバルで上映された[10][11]

日本人ブラジル移住100周年にあたる2008年、2月に開催されたブラジルの漫画賞アンジェロ・アゴスティーニ賞の第24回式典では『ピコンゼー』が上映され、中島逸生が父の創作活動を語った[12][13]。ブラジルの漫画賞Troféu HQ Mixでは、中島逸平が"Grande Mestre"の一人に選ばれた[14]。2009年、国際交流基金はサンパウロで『ピコンゼー』を上映するとともに、中島逸平を取り上げたドキュメンタリーを一般公開した[8][15][16]。ドキュメンタリーはこの年に行われたブラジルアニメのイベント、アニマ・ムンディでも上映されている[17]

注釈

[編集]
  1. ^ ブラジル何番目のアニメかについては文献によりまちまちであり、「ブラジルの長編アニメとしては2番目」[2]とするものや、3番目[3]とするものがある。

出典

[編集]
  1. ^ a b 内山 1975, p. 16.
  2. ^ a b Traços incertos
  3. ^ Bendazzi, Giannalberto (1978). Topolino e poi: cinema d'animazione dal 1888 ai giorni nostri. Milano: Il formichiere. p. 140 
  4. ^ a b 内山 1975, p. 18.
  5. ^ a b Quem foi Ypê, オリジナルの2010-01-06時点におけるアーカイブ。, https://web.archive.org/web/20100106163228/http://www.nucleovirgulino.com.br/ypenakashima/ype_quem.htm 
  6. ^ 内山 1975, p. 17.
  7. ^ a b Minatogawa, Henrique (2012/08/07), Estreia de ‘Piconzé’, de Ypê Nakashima, completa 40 anos, Editora JBC, オリジナルの2012-08-14時点におけるアーカイブ。, https://web.archive.org/web/20120814120323/http://madeinjapan.uol.com.br/2012/08/07/estreia-de-piconze-de-ype-nakashima-completa-40-anos/ 
  8. ^ a b Antonio Gonçalves Filho (02 de junho de 2009), “Um tributo ao pioneiro do desenho”, O Estado de S. Paulo, http://cultura.estadao.com.br/noticias/artes,um-tributo-ao-pioneiro-do-desenho,380750 
  9. ^ Francisco Noriyuki Sato, ABRADEMI e a visita de Osamu Tezuka ao Brasil, ABRADEMI, http://www.abrademi.com/?page_id=101 
  10. ^ 「ブラジル移住のアニメ作家・故中島逸平氏 異国で奮闘 映画史に足跡 話題をさらった長編 広島であす上映」『中国新聞』2002年8月25日付朝刊。
  11. ^ Ilustrador japonês Ypê Nakashima recebe homenagem em São Paulo, Editora JBC, (2009-05-26), http://madeinjapan.uol.com.br/2009/05/26/ilustrador-japones-ype-nakashima-recebe-homenagem-em-sao-paulo/ 
  12. ^ Senac Lapa Faustolo sedia 24º Prêmio Angelo Agostini
  13. ^ Andréa Pereira (2008/01/16), Veja os vencedores do 24º Prêmio Angelo Agostini, オリジナルの2015-04-12時点におけるアーカイブ。, https://web.archive.org/web/20150412223159/http://hqmaniacs.uol.com.br/Veja_os_vencedores_do_24_Premio_Angelo_Agostini_14425.html 
  14. ^ Universo HQ é octacampeão do HQ Mix; confira todos os premiados
  15. ^ サンパウロ:サンパウロ日本文化センター上半期の活動報告
  16. ^ 国際交流基金=中島逸平ドキュメンタリー上映=映画「ピコンゼー」、座談会も」『ニッケイ新聞』2009年5月30日付。
  17. ^ As Cores de Nakashima, Anime Mundi, (2012), http://www.animamundi.com.br/as-cores-de-nakashima/ 

参考文献

[編集]
  • 内山勝男「ブラジル最優秀動画賞を獲得した、中島逸平さん」『海外で活躍する日本人の姿』その三、外務省領事移住部、1975年。

外部リンク

[編集]