ピーター・コスグローブ
ピーター・コスグローブ Peter Cosgrove | |
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生年月日 | 1947年7月28日(77歳) |
出生地 |
オーストラリア ニューサウスウェールズ州シドニー |
出身校 | 王立ダントルーン陸軍士官学校 |
称号 |
オーストラリア勲章 ミリタリー・クロス |
配偶者 |
リン・ペイン レディ・コスグローブ |
子女 | 3人 |
在任期間 | 2014年3月28日 - 2019年7月1日 |
国王 首相 |
エリザベス2世 トニー・アボット マルコム・ターンブル スコット・モリソン |
ピーター・コスグローブ Peter Cosgrove | |
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所属組織 | オーストラリア陸軍 |
軍歴 | 1965-2005 |
最終階級 | 大将 |
除隊後 | オーストラリア総督 |
サー・ピーター・ジョン・コスグローブ(Sir Peter John Cosgrove AK CVO MC、1947年7月28日 - )は、オーストラリアの陸軍軍人。26代目オーストラリア総督を務めた。
経歴
[編集]陸軍准士官の子としてニューサウスウェールズ州シドニーに生まれる。1968年に王立ダントルーン陸軍士官学校を卒業し、ベトナム戦争に参加する。1971年には功績顕著によりミリタリー・クロスを授与される。その後、ロイヤルオーストラリア連隊第1大隊長、第6旅団長、ダントルーン士官学校校長、第1師団長を歴任する[1]。
1999年、東ティモール紛争収拾のため、国連安保理決議1264に基づきオーストラリアを中心として東ティモール国際軍 (INTERFET) が結成される。陸軍少将のコスグローブは司令官としてINTERFETを率い、東ティモールの治安回復、民兵の武装解除にあたった[2]。コスグローブは単に治安維持にあたるのみならず、自らスポークスマンとなってメディアへ柔軟に対応し、東ティモール平和維持活動への国民の関心・支持を大いに高めた。INTERFETは大きな犠牲を出すことなく任務を遂行し、コスグローブは一躍国民的英雄となった。
2000年、陸軍中将に昇進し、陸軍参謀長に就任する。次いで2002年には、陸軍大将・オーストラリア国防軍司令官に就任する。2005年に退役する。
退役後、カンタス航空の社外取締役、オーストラリア・ウォー・メモリアルの理事長を務めた。
2006年3月、クイーンズランド州政府は、サイクロンラリーにより甚大な被害を受けた州の復旧復興活動タスクフォースの長にコスグローブを任命する[3]。コスグローブは期待通りリーダーシップを発揮し、復興活動を推進した。
2014年1月、トニー・アボット首相は、クエンティン・ブライス総督の後任にコスグローブを指名し、女王エリザベス2世はコスグローブを次期総督に任命した[4]。総督交代直前の3月25日、アボットはオーストラリア勲章のナイトを復活し、総督は就任と同時にオーストラリア勲章のナイトまたはデイムに叙せられ、現総督ブライス閣下はデイムの称号を、次期総督コスグローブ将軍は就任と同時にサーの称号を与えられる」と発表した[5][6][7]。3日後の3月28日、コスグローブは総督に正式に就任し、サー・ピーター・コスグローブと名乗ることになった[8]。2019年7月1日に総督を退任。
脚注
[編集]- ^ General Cosgrove - Australian War Memorial
- ^ 東ティモールにおけるオーストラリアの経験―軍事上の教訓と安全保障上のジレンマ
- ^ GENERAL COSGROVE TO LEAD CYCLONE LARRY TASKFORCE - The Queensland Cabinet and Ministerial Directory
- ^ コスグローブ元司令官、新連邦総督に任命- 駐日オーストラリア大使館プレスリリース
- ^ A new honour for pre-eminent Australians | Prime Minister of Australia
- ^ 'Pre-eminent' Australians to be made knights or dames under a new award, PM Tony Abbott says
- ^ 「デーム、ナイトの称号を復活」 - 日豪プレス
- ^ 元国防軍最高司令官、連邦総督就任 - 日豪プレス
外部リンク
[編集]先代 クエンティン・ブライス |
オーストラリア総督 第26代:2014年 - 2019年 |
次代 デイヴィッド・ハーレイ |