ピーター・ジョーンズ (宣教師)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ピーター・ジョーンズ
Peter Jones
William Crubbによる肖像画
生誕 (1802-01-01) 1802年1月1日[1]
アッパー・カナダ植民地,バーリントン・ハイツ[1]
死没

1856年6月29日(1856-06-29)(54歳)

[1]
墓地 ブラントフォード (オンタリオ州)[1]
別名 Kahkewāquonābyオジブワ語
Desagondenstaモホーク語
配偶者 エリザ・フィールド
子供 息子5人[2][3][4][5][6]
Augustus Jones
Tuhbenahneequay
署名
テンプレートを表示

ピーター・ジョーンズ (Peter Jones、1802年1月1日-1856年6月29日)は、アッパー・カナダ植民地バーリントン・ハイツ出身のオジブワ族メソジスト教役者。ほかに翻訳や部族の酋長や文筆業も務めた。彼のオジブワ族での名前はKahkewāquonābyで「(神聖な)羽をはばたかせる者」という意味[7]

彼が若い頃にミシサガ族の結束は崩壊の危機に瀕していた。説教者かつ酋長として、また模範的人物かつ政府との連絡役として、彼の指導力は自分の部族がヨーロッパ人との接触で生き延びる手助けとなった。

概要[編集]

ジョーンズは、母親Tuhbenahneequayによりミシサガ・オジブワ族の伝統文化と宗教の中で14歳まで育てられた[1]。その後は父オーガスタス・ジョーンズ(ウェールズ生まれの英国王党派)と一緒に暮らすようになった[8]。彼はそこでアッパーカナダの白人キリスト教入植者の習慣と言語を学び、農業の仕方を学んだ。ジョーンズは21歳でメソジズムに改宗した[9][10]。アッパーカナダのメソジスト指導者は、彼が白人とインディアンのコミュニティ間における橋渡し役になる可能性があると認識し、彼を説教者に採用した[11][12] [13]。彼が賛美歌や聖書の文章をオジブワ語モホーク語に翻訳したり[14][15][16]、英語を理解できないインディアン達に(現地語で)説教することで、メソジストはアッパーカナダのミシサガ族イロコイ族に入り込めるようになった[17][18]。インディアン達への説教に加えて、彼はカナダのメソジストにとって優れた寄付勧誘者であり[14][19]、米国や英国を巡りつつ説教および講話を行なった。ジョーンズは何千人もの観衆を引き寄せ、彼が法話する建物は多くの人で溢れたが[14]、この観衆達がピーター・ジョーンズ(務めを懸命に果たす立派なキリスト教徒)ではなくKahkewāquonāby(異国風情のインディアン)を物見に来ていると考えるようになり、彼はこの役割に憤慨するようになった。

またジョーンズは政治指導者でもあった。1825年、彼はインディアン省(現在の米国でいうインディアン事務局に相当)に手紙を書いた。彼の手紙は、同省がインディアンから受け取った最初の手紙である。これが彼に同省最高責任者のジェームス・ギビンズや影響力の大きな司教ジョン・ストラカンとの接触をもたらし[20]、彼はクレジット川流域での布教任務 (Credit Missionの資金手配や支援を行なった。そこで彼は説教者かつコミュニティの指導者として暮らしながら[21]、ミシサガ族を農業とキリスト教のヨーロッパ生活様式に転換させることに尽力し、彼らをアッパーカナダの白人入植者と競争できるまでにした。彼は1829年に同布教任務のミシサガ地区長に選出され、植民地政府やその省庁に請願する際には部族の広報役を務めた[22]。イギリス歴訪中に、彼は聴衆のほかウィリアム4世ビクトリア女王を味方につけて、アッパーカナダのミシサガ族の権利証書問題について直接ビクトリアに請願した[23][24]。その生涯で、ジョーンズはクレジット川地域にいるミシサガ族の信託基金を部族の酋長に引き渡すなど、様々な州政府から何とか譲歩を獲得したものの、クレジット川地域入植の権利証書を確保することはできなかった。 1847年にジョーンズは、ミシサガ族に権利証書を与えてくれたシックス・ネーションズから寄贈された土地ニュークレジットに部族を移転させた[25][26]。ニュークレジットのミシサガ族はこの土地の権利証書獲得に成功して以来、現在もそこに住んでいる。ジョーンズの健康状態はニュークレジットに移る数年間前から悪くなっており、彼はそこの入植地に部族と共に行くことができず、カナダ西部のブラントフォード郊外に隠居し、1856年の夏に死去した[14][27]

北米インディアンと白人入植者との橋渡し役をしたオブジワ族宣教師としてカナダでは知られているが、日本だと彼の宣教師や政治家としての側面は言及される機会が少ない。それよりも北米インディアンの信仰するトーテミズムに関して、先住民のニュアンスを世に広めた人物[28][29]として宗教民俗学分野で言及されることが多い。

脚注[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e “Rev. Peter Jones (Kahkewaquonaby)”. Ontario Heritage Trust. https://www.heritagetrust.on.ca/en/index.php/places-of-worship/places-of-worship-database/history/persons-events-and-themes/people?id=18&id=18 2019年12月28日閲覧. "Jones made several journeys to England to raise funds for the Credit River mission, where he was introduced to both King William IV (1765-1837) and Queen Victoria (1819-1901)." 
  2. ^ “Augustus Jones”. Annual Proceedings (Association of Ontario Land Surveyors): 119, 120. (1923). 
  3. ^ Herfst, Ken (2004年11月). “Peter Jones - Sacred Feathers - and the Mississauga Indians (4)”. Free Reformed Churches of North America. 2009年3月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年7月8日閲覧。
  4. ^ Smith, Donald B. (2000年). “Jones, Peter Edmund (Kahkewaquonaby)”. Dictionary of Canadian Biography Online. University of Toronto. 2008年9月1日閲覧。
  5. ^ Smith (1987), 213
  6. ^ Smith (1987), 215
  7. ^ Smith (1987), 7
  8. ^ Smith (1987), 39
  9. ^ Smith (1987), 58
  10. ^ Jones (1860), page 9
  11. ^ MacLean, John (1890). James Evans - Inventor of the Syllabic System of the Cree Language. Toronto: Methodist Mission Rooms. p. 41. ISBN 978-1-4086-2703-7. https://books.google.com/books?id=2ms4Ey3AwY8C 2008年8月8日閲覧。 
  12. ^ Smith (1987), 118
  13. ^ Henry Warner Bowden; Smith, Donald B. (February 1989). “Reviewed Works: Sacred Feathers: The Reverend Peter Jones (Kahkewaquonaby) and the Mississauga Indians by Donald B. Smith”. The Western Historical Quarterly (Utah State University on behalf of The Western History Association) 20 (1): 83?84. doi:10.2307/968504. JSTOR 968504. 
  14. ^ a b c d Smith, Donald B. (2008年). “Jones, Peter”. Dictionary of Canadian Biography Online. Library and Archives Canada. 2008年4月22日閲覧。
  15. ^ Jones (1860), 195
  16. ^ Smith (1987), 128
  17. ^ Smith (1987), 94
  18. ^ Herfst, Ken (2004年9月). “Peter Jones - Sacred Feathers - and the Mississauga Indians (3) Opposition and Challenges”. Free Reformed Churches of North America. 2009年3月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年7月8日閲覧。
  19. ^ Smith (1987), 117
  20. ^ Smith (1987), 72
  21. ^ Smith (1987), 73
  22. ^ Smith (1987), 104
  23. ^ Kroller, Eva-Marie (2004). The Cambridge Companion to Canadian Literature. Cambridge University Press. p. 22. ISBN 0-521-89131-0. https://archive.org/details/cambridgecompani00krol_0 2008年5月6日閲覧。 
  24. ^ Smith (1987), 167
  25. ^ Smith (1987), 208
  26. ^ Smith (1987), 212
  27. ^ Pilling, James Constantine (1887). Bibliography of the Eskimo Language. Smithsonian Institution Bureau of Ethnology. https://archive.org/details/bibliographyesk00unkngoog 2008年6月9日閲覧。 
  28. ^ Haekel, Josef. "Totemism, religion". Encyclopaedia Britannica. 2018年1月1日閲覧
  29. ^ mayonez「トーテムの意味と由来・トーテムポールの意味とモチーフ」2020年07月21日

参考文献[編集]

外部リンク[編集]