ファイト・シュトース
ファイト・シュトース Veit Stoss | |
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1860年に描かれた肖像画 | |
生誕 | 1447年ころ |
死没 |
1533年 ニュルンベルク |
ファイト・シュトース(Veit Stoss、姓はStoß とも、ポーランダでの表記: Wit Stwosz、1447年ころ - 1533年)は、後期ゴシック期のドイツの彫刻家である。1477年から1496年の間はポーランドで働き[1] 、クラクフなどで活動した。クラクフの聖マリア教会の「ファイト・シュトースの祭壇画」などで知られている。
略歴
[編集]生年や生誕地にはいろいろな説があり、1447年にドイツ南部バーデン=ヴュルテンベルクのHorb am Neckarやスイスのアーラウ近くの Horben[2]、またはニュルンベルクの生まれだとされている。ニュルンベルクで働き1476年以前に結婚し、子供が生まれていた。1477年にクラクフの聖マリア教会の祭壇画の制作を行うためにポーランド国王に招かれるが、クラクフに移るまでの作品は知られていない。1485年まで「ファイト・シュトースの祭壇画」の制作に従事し、13mを越える高さの祭壇画は同時代のミカエル・パッヒャー(Michael Pacher: 1435-1498)作のザルツブルク近くの聖ウォルフガング教会の祭壇画と並んで、後期ゴシック期を代表する彩色木彫祭壇画である。ポーランドではクラクフや他の都市の墓標なども彫刻し、1496年にニュルンベルクに戻った。
ニュルンベルクで妻が亡くなり、1500年より前にシュトスは、投機に失敗し、それを取り戻すために文書を偽造したため逮捕、投獄され、1503年顔に焼き印を押される罰を受けた。しばらく芸術活動から離れた後、1516年ころからにニュルンベルクの聖ローレンツ教会に残っているような作品の制作を再開した。
1533年にニュルンベルクで亡くなった。
作品
[編集]-
『大天使ラファエルとトビアス』
ゲルマン国立博物館 -
ニュルンベルクの聖ローレンツ教会の「受胎告知」
-
三日月の聖母子
脚注
[編集]- ^ Życie i twórczość Wita Stwosza (Life and Art of Wit Stwosz.) Jagiellonian University
- ^ Kępiński, Zbigniew (1981). Wit Stwosz. Auriga. pp. 7–9
参考文献
[編集]- Max Lossnitzer, Veit Stoss, Lipsia 1912;
- Engelbert Baumeister, Veit Stoss: Nachbildungen seiner Kupferstiche, Graphische Gesellschaft, XVII. Veröffentlichung, Berlino 1913;
- Luigi Dami, Un San Rocco di Veit Stoss, in Dedalo, I (1920-21), pp. 418-20;
- Katalog der Veit Stoss Ausstellung im Germanischen Museum, Norimberga 1933.