フィクレト・アミロフ

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フィクレト・アミロフ
生誕 (1922-11-22) 1922年11月22日
出身地 ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦ギャンジャ
死没 (1984-02-20) 1984年2月20日(61歳没)
学歴 バクー音楽院
ジャンル クラシック音楽
職業 作曲家

フィクレト・アミロフ(Fikret Amirov , Fikrət Əmirov、1922年11月22日 - 1984年2月20日)は、アゼルバイジャン作曲家日本語では「アミーロフ」とも呼ばれる。

生涯[編集]

アゼルバイジャンのギャンジャ出身。民謡にあふれた環境で育つ。父親のメシェディ・ジャミル・アミロフシュシャ出身の有名な「ハナンデ」(ムガーム歌手)で、タールの作曲家・演奏家であった。

子どもの頃よりピアノ曲の作曲を始め、ギャンジャの音楽学校を卒業した後、バクー音楽院に入り、ボリス・ザイドマンウゼイル・ハジベヨフに作曲を師事するかたわら、民族音楽の研究にもたずさわる。

1941年第二次世界大戦の勃発で徴兵され、音楽院での研究は中断された。ヴォロネジ近郊で負傷し入院した。やがて兵役から復員し音楽院での研究を再開するためにバクーに戻った。

アミロフの音楽はアゼルバイジャン民謡に強く影響されており、「交響的ムガーム」という新たなジャンルを作り出した。交響的ムガームは古典的な民謡に基づいており、レオポルド・ストコフスキー指揮のヒューストン交響楽団など世界中の多くのオーケストラで演奏された。

1965年ソ連人民芸術家の称号を受け、1949年1980年にはソビエト連邦国家賞を受賞している。

1984年にバクーにて死去。

作品[編集]

多作家で、有名な作品には交響的ムガームの「シュール」(1946年)や「クルド・アフシャリ」(1949年)のほかに、「アゼルバイジャン奇想曲」(1961年)、「バヤーティ・シラーズの花の庭」(1968年)、「大祖国戦争の英雄の思い出に」(1944年)、「弦楽のための交響曲 - ニザーミーの追悼のために - 」(1941年[1])、「交響曲 - ニザーミー - 」(1947年)、「ヴァイオリン・ピアノのための二重協奏曲」(1948年)などがある。

バレエには「ニザーミー」(1947年)、「千夜一夜物語」に題材をとった「千夜一夜物語」(1979年)があり、オペラには「セヴィル」(1953年)がある。

さらに「バラード」「アシュングの歌」「ノクターン」「ユーモレスク」「感傷的なダンス」「ワルツ」「子守唄」「トッカータ」などの作品がある。また映画音楽も多数作曲した。

文献[編集]

  • Караев К. Симфонические мугамы Фикрета Амирова. — «Советская музыка» № 3, 1949.(カラエフ K. 1949「フィクレト・アミロフの交響曲」『ソビエト音楽』1949年3号)
  • Данилов Д. Фикрет Амиров. — Баку, 1956.(ダニロフ D. 1956『フィクレト・アミロフ』バクー)
  • Амиров Ф. В мире музыки (Musiqi aləmində). — Баку, 1983. (アミロフ F. 1983『世界の中の音楽』バクー)

外部リンク[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Fikret Amirov”. artsandculture.google.com. artsandculture.google.com. 2020年9月29日閲覧。