フィリップ・シェラード (第2代ハーバラ伯爵)
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第2代ハーバラ伯爵フィリップ・シェラード(英語: Philip Sherard, 2nd Earl of Harborough、1680年頃 – 1750年7月20日)は、イギリスの貴族、政治家。
生涯
[編集]フィリップ・シェラード(Philip Sherard、1695年没、初代シェラード男爵ウィリアム・シェラードの次男)とドロシー・フェアファクス(Dorothy Fairfax、第4代キャメロンのフェアファクス卿ヘンリー・フェアファクスの娘)の息子として、1680年頃に生まれた[1]。1695年に父の遺産を継承した[1][注釈 1]。
1705年から1714年までアン女王の女王私室侍従を務め、1714年にジョージ1世が即位した後も留任して1727年まで務めた[1]。1708年イギリス総選挙でラトランド選挙区から出馬して当選、議会でホイッグ党の一員として行動して、1710年にはヘンリー・サシェヴェレルの弾劾に賛成票を投じた[2]。その後、1710年イギリス総選挙で敗北を喫して議席を失い、1722年イギリス総選挙で再び出馬したものの敗れ、返り咲きとはならなかった[2]。
1732年10月16日に親族の初代ハーバラ伯爵ベネット・シェラードが死去すると、ハーバラ伯爵の爵位を継承[1]、翌年にラトランド統監に任命された(1750年に死去するまで在任)[2]。
1750年7月20日にステイプルフォードで死去、長男ベネットが爵位を継承した[1]。
家族
[編集]1703年3月12日[2]、アン・ペッドリー(Anne Pedley、1750年2月16日没、ニコラス・ペッドリーの娘)と結婚、6男8女を儲けた[1]。
- ベネット(1709年 – 1770年) - 第3代ハーバラ伯爵
- ジョン(1746年8月27日没) - 生涯未婚
- ロバート(1719年 – 1799年) - 第4代ハーバラ伯爵
- ダニエル(1722年6月17日 – 1744年6月) - 海軍軍人
- フィリップ(1727年3月1日 – 1790年9月14日) - 陸軍軍人、生涯未婚
- ドロシー - ジェームズ・トーキントン(James Torkington)と結婚、子供あり
- ルーシー(1781年4月29日没) - 生涯未婚
- スーザン(1765年12月没) - 生涯未婚
- アーシュラ(1745年9月没) - 生涯未婚
注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f Cokayne, George Edward, ed. (1892). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (G to K) (英語). Vol. 4 (1st ed.). London: George Bell & Sons. pp. 159–160.
- ^ a b c d e Hanham, Andrew A. (2002). "SHERARD, Philip (c.1680-1750), of Whissendine, Rutland". In Hayton, David; Cruickshanks, Eveline; Handley, Stuart (eds.). The House of Commons 1690-1715 (英語). The History of Parliament Trust. 2019年7月22日閲覧。
グレートブリテン議会 | ||
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先代 リチャード・ハルフォード サー・トマス・マックワース準男爵 |
庶民院議員(ラトランド選挙区選出) 1708年 – 1710年 同職:リチャード・ハルフォード |
次代 フィンチ卿 ジョン・ノエル |
名誉職 | ||
先代 ハーバラ伯爵 |
ラトランド統監 1733年 – 1750年 |
次代 バーグリー子爵 |
グレートブリテンの爵位 | ||
先代 ベネット・シェラード |
ハーバラ伯爵 1732年 – 1750年 |
次代 ベネット・シェラード |