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フィリップ・シェラード (第2代ハーバラ伯爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
フランス・ファン・スタンパルト英語版による肖像画

第2代ハーバラ伯爵フィリップ・シェラード英語: Philip Sherard, 2nd Earl of Harborough1680年頃 – 1750年7月20日)は、イギリスの貴族、政治家。

生涯

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フィリップ・シェラード(Philip Sherard、1695年没、初代シェラード男爵ウィリアム・シェラードの次男)とドロシー・フェアファクス(Dorothy Fairfax第4代キャメロンのフェアファクス卿ヘンリー・フェアファクス英語版の娘)の息子として、1680年頃に生まれた[1]。1695年に父の遺産を継承した[1][注釈 1]

1705年から1714年までアン女王女王私室英語版侍従を務め、1714年にジョージ1世が即位した後も留任して1727年まで務めた[1]1708年イギリス総選挙ラトランド選挙区英語版から出馬して当選、議会でホイッグ党の一員として行動して、1710年にはヘンリー・サシェヴェレル英語版の弾劾に賛成票を投じた[2]。その後、1710年イギリス総選挙で敗北を喫して議席を失い、1722年イギリス総選挙で再び出馬したものの敗れ、返り咲きとはならなかった[2]

1732年10月16日に親族の初代ハーバラ伯爵ベネット・シェラードが死去すると、ハーバラ伯爵の爵位を継承[1]、翌年にラトランド統監英語版に任命された(1750年に死去するまで在任)[2]

1750年7月20日にステイプルフォードで死去、長男ベネットが爵位を継承した[1]

家族

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1703年3月12日[2]、アン・ペッドリー(Anne Pedley、1750年2月16日没、ニコラス・ペッドリーの娘)と結婚、6男8女を儲けた[1]

  • ベネット(1709年 – 1770年) - 第3代ハーバラ伯爵
  • ジョン(1746年8月27日没) - 生涯未婚
  • ロバート(1719年 – 1799年) - 第4代ハーバラ伯爵
  • ダニエル(1722年6月17日 – 1744年6月) - 海軍軍人
  • フィリップ(1727年3月1日 – 1790年9月14日) - 陸軍軍人、生涯未婚
  • ドロシー - ジェームズ・トーキントン(James Torkington)と結婚、子供あり
  • ルーシー(1781年4月29日没) - 生涯未婚
  • スーザン(1765年12月没) - 生涯未婚
  • アーシュラ(1745年9月没) - 生涯未婚

注釈

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  1. ^ 英国下院史英語版』では父をベネット・シェラード(1701年没)とした[2]

出典

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  1. ^ a b c d e f Cokayne, George Edward, ed. (1892). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (G to K) (英語). Vol. 4 (1st ed.). London: George Bell & Sons. pp. 159–160.
  2. ^ a b c d e Hanham, Andrew A. (2002). "SHERARD, Philip (c.1680-1750), of Whissendine, Rutland". In Hayton, David; Cruickshanks, Eveline; Handley, Stuart (eds.). The House of Commons 1690-1715 (英語). The History of Parliament Trust. 2019年7月22日閲覧
グレートブリテン議会英語版
先代
リチャード・ハルフォード英語版
サー・トマス・マックワース準男爵英語版
庶民院議員(ラトランド選挙区英語版選出)
1708年 – 1710年
同職:リチャード・ハルフォード英語版
次代
フィンチ卿
ジョン・ノエル英語版
名誉職
先代
ハーバラ伯爵
ラトランド統監英語版
1733年 – 1750年
次代
バーグリー子爵
グレートブリテンの爵位
先代
ベネット・シェラード
ハーバラ伯爵
1732年 – 1750年
次代
ベネット・シェラード