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フィリップ・シェラード (第5代ハーバラ伯爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

第5代ハーバラ伯爵フィリップ・シェラード英語: Philip Sherard, 5th Earl of Harborough1767年10月10日1807年12月10日)は、イギリスの貴族。1770年から1799年までシェラード卿儀礼称号を使用した。

生涯

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第4代ハーバラ伯爵ロバート・シェラードと2人目の妻ジェーン・リーヴ(Jane Reeve、1770年11月9日没、ウィリアム・リーヴの娘)の息子として、1767年10月10日にラトランドテイ英語版で生まれた[1]。1780年にハーロー校で教育を受けた後[2]、1786年1月25日にケンブリッジ大学クレア・カレッジに入学した[3]

1795年9月にラトランド選挙区英語版庶民院議員に当選したものの、目立った議会活動はなく、1796年イギリス総選挙で出馬しなかった[2]。1799年4月21日に父が死去すると、ハーバラ伯爵の爵位を継承したが[1]貴族院でも目立った活動はみられなかった[2]

1807年12月10日に死去、息子ロバートが爵位を継承した[1]

家族

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1791年7月4日、エレノア・モンクトン(Eleanor Monckton、1772年1月7日 – 1809年10月9日、ジョン・モンクトンの娘)と結婚[1]、1男6女を儲けた[4]

出典

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  1. ^ a b c d Cokayne, George Edward, ed. (1892). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (G to K) (英語). Vol. 4 (1st ed.). London: George Bell & Sons. p. 160.
  2. ^ a b c Thorne, R. G. (1986). "SHERARD, Philip, Lord Sherard (1767-1807), of Stapleford, Leics.". In Thorne, R. G. (ed.). The House of Commons 1790-1820 (英語). The History of Parliament Trust. 2019年7月23日閲覧
  3. ^ "Sherard, Philip, Viscount. (SHRT786P)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
  4. ^ "Harborough, Earl of (GB, 1719 - 1859)". Cracroft's Peerage (英語). 22 November 2005. 2019年7月23日閲覧
グレートブリテン議会英語版
先代
ジェラード・エドワーズ英語版
ジョン・ヒースコート英語版
庶民院議員(ラトランド選挙区英語版選出)
1795年 – 1796年
同職:ジェラード・エドワーズ英語版
次代
ジェラード・エドワーズ英語版
サー・ウィリアム・ラウザー準男爵英語版
グレートブリテンの爵位
先代
ロバート・シェラード
ハーバラ伯爵
1799年 – 1807年
次代
ロバート・シェラード