フィリッポ・ポッツァート
表示
| ||||
---|---|---|---|---|
基本情報 | ||||
本名 |
フィリッポ・ポッツァート Filippo Pozzato | |||
生年月日 | 1981年9月10日(43歳) | |||
国籍 | イタリア | |||
身長 | 183cm | |||
体重 | 73kg | |||
選手情報 | ||||
所属 | ウィリエール・トリエスティーナ=サウスイースト | |||
分野 | ロードレース | |||
役割 | 選手 | |||
特徴 | クラシックハンター | |||
プロ経歴 | ||||
2000–2002 2003–2004 2005–2006 2007–2008 2009–2011 2012 2013–2015 2016 |
マペイ ファッサ・ボルトロ クイックステップ リクィガス カチューシャ ファルネーゼ・ヴィーニ ランプレ・メリダ サウスイースト | |||
主要レース勝利 | ||||
ツール・ド・フランス ステージ通算2勝 ジロ・デ・イタリア 区間1勝 ティレーノ〜アドリアティコ 2003 HEWサイクラシックス 2005 ミラノ〜サンレモ 2006 イタリア選手権・ロード 2009 オムロープ・ヘット・フォルク 2007 E3プライス・フラーンデレン 2009 ジロ・デル・ヴェネト 2009 | ||||
最終更新日 2016年5月7日 |
フィリッポ・ポッツァート(Filippo Pozzato、1981年9月10日 - )は、イタリアのヴェネト州・ヴィチェンツァ県のサンドリーゴ出身の自転車プロロードレース選手。
2000年プロデビュー。若くしてHEWサイクラシックスやミラノ〜サンレモで優勝を飾っているクラシックハンターである。
経歴
[編集]アマチュア時代の1998年のU-19世界選手権個人ロードレース2位などの実績をあげ、2000年にマペイ・クイックステップでプロデビューする。同期入団にファビアン・カンチェラーラ (トレーニー) 、マイケル・ロジャース (トレーニー) 、ルカ・パオリーニがいる。以後2002年にマペイが解散するまでは特別な成績をあげることはなかった。
2003年、マペイ解散にともないファッサボルトロに移籍。
- 22歳でティレーノ〜アドリアティコ総合優勝を果たし、にわかに注目を集めるようになる。
- ツール・ド・フランス第7ステージで勝利
- クラシックのHEWサイクラシックスで優勝、クラシックレースでも初勝利をあげた。
- 春のミラノ〜サンレモではクイックステップチームのダブルエースであるトム・ボーネンとパオロ・ベッティーニのアシストを務める予定だったが、逃げ切り目的でアタックをかけた小集団に牽制のため入っていたポッツァートが、ゴール手前で集団に飲み込まれるのを覚悟でアタックを仕掛けて飛び出したところ、幸運にもそのままアレサンドロ・ペタッキをわずかにかわして優勝。思わぬビッグタイトル獲得となった。
- ツール・ド・フランス 第5ステージ勝利
- オムロープ・ヘット・フォルク 優勝
- ツール・ド・ポローニュ ステージ優勝
- E3プライス・フラーンデレン 優勝
- ジロ・デル・ヴェネト 優勝
- 国内選手権・ロードレース優勝
- パリ〜ルーベ 2位
- ジロ・デ・イタリア 第12ステージ勝利
- ミラノ〜サンレモ 5位
2012年、ファルネーゼ・ヴィーニ=セッレ・イタリアに移籍。
- ミラノ〜サンレモ 6位
- ヘント〜ウェヴェルヘム 9位
- ロンド・ファン・フラーンデレン 2位
- グラン・プレミオ・インドゥストリア・エ・アルティジャナート 優勝
- 当年6月13日に合衆国アンチドーピング機関(USADA)より告発を受けたランス・アームストロングのドーピング疑惑に関連して、イタリアオリンピック委員会(CONI)は、ポッツァートが自転車チームのコンサルタント医師を務めていたミケーレ・フェッラーリに4万~5万ユーロを支払っていたという、当月16日付のラ・レプッブリカの報道を受け、当日聴聞した[1][2]。
- 9月11日、イタリアオリンピック委員会(CONI)は、2005年から2009年までの間、フェッラーリにドーピング指南を受けていたして、ポッツァートに対し、当年6月19日から9月18日まで、3か月の出場停止処分を科した[3]。
- ツアー・オブ・ジャパンにランプレの若手5人を引き連れて参戦したが、最終日前日の伊豆ステージでグルペット(メイン集団よりさらに後方の「完走を目指す」グループ)での走行中に先頭の選手に周回遅れにされリタイアの憂き目にあい、東京ステージを走ることはできなかった。
2016年、ウィリエール・トリエスティーナ=サウスイーストに移籍。
脚質
[編集]タイプとしてはスプリンター扱いもされるが、2006年のミラノ~サンレモもスプリント移行前の先行アタックで物にしている事を考えると、どちらかと言えばパンチャーの方が当てはまる。
エピソード
[編集]所属チーム
[編集]- 2000–2002年 マペイ・クイックステップ
- 2003–2004年 ファッサボルトロ
- 2005–2006年 クイックステップ・イネルゲリック
- 2007-2008年 リクイガス
- 2009-2011年 チーム・カチューシャ
- 2012年 ファルネーゼ・ヴィーニ=セッレ・イタリア
- 2013-2015年 ランプレ・メリダ
- 2016年 ウィリエール・トリエスティーナ=サウスイースト
主な成績
[編集]獲得メダル | ||
---|---|---|
銀 | 1998 ファルケンブルフ | U-19個人ロードレース |
銀 | 1998 ファルケンブルフ | U-19チームパーシュート |
銅 | 1999 ヴェローナ | U-19チームパーシュート |
銅 | 1998 ファルケンブルフ | U-19チームタイムトライアル |
グランツール
[編集]- ツール・ド・フランス 通算2勝
- 2004年 ツール・ド・フランス 1勝
- 2007年 ツール・ド・フランス 1勝
ステージレース
[編集]- ティレーノ~アドリアティコ 総合優勝(2003年)
- 2005年 ドイツ・ツアー 1勝
- 2007年 ツール・ド・ポローニュ 1勝
ワンデーレース
[編集]- 2005年 HEWサイクラシックス 優勝
- 2007年 ミラノ〜サンレモ 優勝
脚注
[編集]- ^ Pozzato to front CONI anti-doping prosecutor today - cyclingnews.com 2012年6月19日付
- ^ Pozzato questioned by CONI in Rome- cyclingnews.com 2012年6月19日付
- ^ Pozzato handed three-month ban from CONI - cyclingnews.com 9月11日付
- ^ 2006年ミラノ〜サンレモのゴールシーン 腕に「キアラ」の文字が確認できる
- ^ 中野喜文公式サイト過去ログ 2004年2月7日の日記を参照
外部リンク
[編集]- フィリッポ・ポッツァート公式サイト(イタリア語)
- フィリッポ・ポッツァート - サイクリングアーカイヴス
- フィリッポ・ポッツァート - Olympedia