フィリッポ2世 (ターラント公)
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フィリッポ2世 Filippo II | |
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アカイア公 ターラント公 | |
フィリッポ2世の紋章。兄ルイージと同じものである[1]。 | |
在位 | 1364年 - 1373年 |
出生 |
1329年 |
死去 |
1373年11月25日 ターラント |
配偶者 | マリア・ディ・カラブリア |
アンジュ・エルジェーベト | |
子女 |
フィリッポ カルロ フィリッポ フィリッポ |
家名 | アンジュー=ターラント家 |
父親 | ターラント公フィリッポ1世 |
母親 | カトリーヌ・ド・ヴァロワ |
フィリッポ2世(イタリア語:Filippo II, 1329年 - 1373年11月25日)は、アカイア公、ターラント公および名目上のラテン皇帝(在位:1364年 - 1373年)。
生涯
[編集]フィリッポ2世はターラント公フィリッポ1世とカトリーヌ・ド・ヴァロワの息子である[2]。従兄弟ドゥラッツォ公カルロが1348年に処刑され、フィリッポ2世はアルバニア王位を継承した。その後まもなくして、兄ルイージがナポリ女王ジョヴァンナ1世と結婚し、ナポリ王となった。1355年4月、フィリッポ2世はジョヴァンナ1世の妹マリア・ディ・カラブリアと結婚した。
1364年、長兄ロベルトが死去し、フィリッポ2世が名目上のラテン皇帝位、アカイア公位およびターラント公位を継承した。
妃マリアは1366年に死去した。1370年10月20日、フィリッポ2世はアンジュー=ハンガリー家出身で、かつてハンガリーの推定王位継承者であったエルジェーベトと結婚した。フィリッポ2世は1373年11月25日にターラントで死去した[3][4]。
子供たちはみな早世していたため、姉マルゲリータの子ジャック・デ・ボーが公位および名目上のラテン皇帝位を継承した。
家族
[編集]最初の妃マリア・ディ・カラブリアとの間に、以下の早世した3男をもうけた。また、マリアは1362年と1366年に死産をしている。
- フィリッポ(1356年)
- カルロ(1358年)
- フィリッポ(1360年)
2番目の妃エルジェーベトとの間に、1男をもうけた。
- フィリッポ(1371年)
また、何人かの庶子がいる。
脚注
[編集]- ^ giornale-araldico, p. 276, quote: "Filippo II d'Anjou-Taranto (death: 1374), arma del padre"
- ^ Nicol 1984, p. 257.
- ^ Longnon 1947, p. 332.
- ^ Kiesewetter 2001.
参考文献
[編集]- Nicol, Donald M. (1984). The Despotate of Epiros, 1267-1479. Cambridge University Press
- Longnon, Jean (1947). L'Empire Latin de Constantinople et la Principauté de Morée. Paris
- Kiesewetter, Andreas (2001). “Giovanna I d'Angiò, regina di Sicilia”. Dizionario Biografico degli Italiani. volume 55
- Giornale araldico-genealogico-diplomatico dell'Accademia araldica italiana. 4. Pisa: La direzione del giornale araldico. (1877)
- Giuseppe Pupillo; Operatori C.R.S.E.C. BA/7 (2017). Altamura, immagini e descrizioni storiche. Matera: Antezza Tipografi. ISBN 9788889313282. オリジナルの21 October 2018時点におけるアーカイブ。 30 October 2018閲覧。
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