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フィリピンのファーストレディ・ファーストジェントルマン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
フィリピン
ファーストレディ・ファーストジェントルマン
呼称Unang Ginang o Unang Ginoó ng Pilipinas
庁舎マラカニアン宮殿
初代就任ヒラリア・アギナルド英語版
創設1899年2月23日

フィリピンファーストレディフィリピン語: Unang Ginang)またはファーストジェントルマンフィリピン語: Unang Ginoó)は、大統領の配偶者(妻または夫)を指す。

現在の存命中のファーストレディ経験者

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2024年11月28日現在、存命中のフィリピンファーストレディ経験者は以下の4人。

歴代ファーストレディ

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* — 事実上のファーストレディを務めたが、正式なファーストレディとして認められていない女性。

‡ — ファーストレディを務めたが、大統領と結婚していなかった女性。

公式代数 画像 ファーストレディ 大統領
(記載の無い限り夫)
生誕・死没年月日 任務期間
1 ヒラリア・アギナルド英語版
旧姓デル・ロサリオ
エミリオ・アギナルド 1877年2月17日-
1921年3月6日
1899年1月23日-
1901年3月23日
2 アウロラ・ケソン
(旧姓アラゴン
マニュエル・ケソン 1888年2月19日-
1949年4月28日
1935年11月15日-
1944年8月1日
3 パセンシア・ラウレル英語版
(旧姓イダルゴ
ホセ・ラウレル 1889年4月30日-
1963年1月1日
1943年10月14日-
1945年8月17日
4 エスペランサ・オスメニャ英語版
(旧姓リムハップ
セルヒオ・オスメニャ 1894年12月18日-
1978年4月4日
1944年8月1日-
1946年5月28日
5 トリニダード・デ・レオン=ロハス英語版
(旧姓デ・レオン
マニュエル・ロハス 1900年10月4日-
1995年6月20日
1946年5月28日-
1948年4月15日
6‡ ビクトリア・キリノ=ゴンザレス英語版
(旧姓キリノ
エルピディオ・キリノ 1931年5月18日-
2006年11月29日
1948年4月15日-
1953年12月30日
7 ルス・マグサイサイ英語版
(旧姓バンソン
ラモン・マグサイサイ 1914年6月25日-
2004年8月17日
1953年12月30日-
1957年3月17日
8 レオニラ・ガルシア英語版
(旧姓ディマタガ
カルロス・ガルシア 1906年7月17日-
1994年5月17日
1957年3月18日-
1961年12月30日
9 エバ・マカパガル英語版
(旧姓マカレイグ
ディオスダド・マカパガル 1915年11月1日-
1999年5月16日
1961年12月30日-
1965年12月30日
10 イメルダ・マルコス
(旧姓ロムアルデス
フェルディナンド・マルコス 1929年7月2日-
存命中
1965年12月30日-
1986年2月25日
11 空席 コラソン・アキノ 1986年2月25日-
1992年6月30日
12 アメリタ・ラモス英語版
(旧姓マルティネス
フィデル・ラモス 1926年12月29日-
存命中
1992年6月30日-
1998年6月30日
13 ロイ・エヘルシト英語版
(旧姓ピメンテル
ジョセフ・エストラーダ 1930年6月2日-
存命中
1998年6月30日-
2001年1月20日
14 ホセ・ミゲル・アロヨ英語版 グロリア・アロヨ 1945年6月27日-
存命中
2001年1月20日-
2010年6月30日
15 空席 ベニグノ・アキノ3世 2010年6月30日-
2016年6月30日
16* ハニーレット・アバンセーニャ英語版 ロドリゴ・ドゥテルテ 1970年2月17日-
存命中
2016年6月30日-
2022年6月30日
17 ルイーズ・アラネタ・マルコス
(旧姓アラネタ
ボンボン・マルコス 1959年8月21日-
存命中
2022年6月30日-
在任中

その他の大統領の夫人

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エルピディオ・キリノは、アリシア・シキアと結婚していたが、大統領就任前の1945年に死別したため、自身の娘であるビクトリア・キリノ・ゴンザレス英語版がファーストレディを務めた。

コラソン・アキノは、ベニグノ・アキノ・ジュニアと結婚していたが、大統領就任前の1983年にアキノが暗殺されたため死別しており、生涯のうちに再婚することはなかった。

ベニグノ・アキノ3世は、生涯にわたって配偶者がおらず、パサイにて開催された2015年フィリピンAPEC英語版には、自身の末妹であるクリス・アキノ英語版がファーストレディとして出席した。

ロドリゴ・ドゥテルテは、エリザベス・ジマーマン英語版と結婚していたが[1]2000年に婚姻無効となっている。1996年より、ハニーレット・アバンセーニャ英語版という事実上の配偶者がいたが、ファーストレディに任命されることはなく、逆にドゥテルテは自身の娘であるサラ・ドゥテルテをファーストレディにすると宣言したが、ダバオ市長に選出されていたために拒否されている。しかしアバンセーニャは在任中、本来ファーストレディが行うべき役割を果たしている[2]

脚注

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  1. ^ Vanzi, Sol (26 June 2016). “Duterte's women”. Manila Bulletin. オリジナルの2 July 2016時点におけるアーカイブ。. https://archive.today/20160702095612/http://www.mb.com.ph/dutertes-women/ 29 June 2016閲覧. "Although Duterte has announced that his official First Lady will be his daughter Sara, Honeylet will be keeping house for the President, wherever he decides to stay." 
  2. ^ Ranada, Pia (1 July 2017). “The evolution of Duterte's First Lady: Honeylet Avanceña”. Rappler. https://www.rappler.com/nation/evolution-honeylet-avancena-first-lady. "Avanceña has been taking on so many tasks usually given to first ladies that even Palace photographers and captioners mistakenly called her “First Lady” in a photo release. Within hours, the Palace sent an email correcting the caption, replacing the title with “longtime partner.”"