フィリピンのファーストレディ・ファーストジェントルマン
表示
フィリピン ファーストレディ・ファーストジェントルマン | |
---|---|
呼称 | Unang Ginang o Unang Ginoó ng Pilipinas |
庁舎 | マラカニアン宮殿 |
初代就任 | ヒラリア・アギナルド |
創設 | 1899年2月23日 |
フィリピンのファーストレディ(フィリピン語: Unang Ginang)またはファーストジェントルマン(フィリピン語: Unang Ginoó)は、大統領の配偶者(妻または夫)を指す。
現在の存命中のファーストレディ経験者
[編集]2024年11月28日現在、存命中のフィリピンファーストレディ経験者は以下の4人。
歴代ファーストレディ
[編集]* — 事実上のファーストレディを務めたが、正式なファーストレディとして認められていない女性。
‡ — ファーストレディを務めたが、大統領と結婚していなかった女性。
公式代数 | 画像 | ファーストレディ | 大統領 (記載の無い限り夫) |
生誕・死没年月日 | 任務期間 |
---|---|---|---|---|---|
1 | ヒラリア・アギナルド (旧姓:デル・ロサリオ) |
エミリオ・アギナルド | 1877年2月17日- 1921年3月6日 |
1899年1月23日- 1901年3月23日 | |
2 | アウロラ・ケソン (旧姓アラゴン) |
マニュエル・ケソン | 1888年2月19日- 1949年4月28日 |
1935年11月15日- 1944年8月1日 | |
3 | パセンシア・ラウレル (旧姓イダルゴ) |
ホセ・ラウレル | 1889年4月30日- 1963年1月1日 |
1943年10月14日- 1945年8月17日 | |
4 | エスペランサ・オスメニャ (旧姓リムハップ) |
セルヒオ・オスメニャ | 1894年12月18日- 1978年4月4日 |
1944年8月1日- 1946年5月28日 | |
5 | トリニダード・デ・レオン=ロハス (旧姓デ・レオン) |
マニュエル・ロハス | 1900年10月4日- 1995年6月20日 |
1946年5月28日- 1948年4月15日 | |
6‡ | ビクトリア・キリノ=ゴンザレス (旧姓キリノ) |
エルピディオ・キリノ | 1931年5月18日- 2006年11月29日 |
1948年4月15日- 1953年12月30日 | |
7 | ルス・マグサイサイ (旧姓バンソン) |
ラモン・マグサイサイ | 1914年6月25日- 2004年8月17日 |
1953年12月30日- 1957年3月17日 | |
8 | レオニラ・ガルシア (旧姓ディマタガ) |
カルロス・ガルシア | 1906年7月17日- 1994年5月17日 |
1957年3月18日- 1961年12月30日 | |
9 | エバ・マカパガル (旧姓マカレイグ) |
ディオスダド・マカパガル | 1915年11月1日- 1999年5月16日 |
1961年12月30日- 1965年12月30日 | |
10 | イメルダ・マルコス (旧姓ロムアルデス) |
フェルディナンド・マルコス | 1929年7月2日- 存命中 |
1965年12月30日- 1986年2月25日 | |
11 | 空席 | コラソン・アキノ | 1986年2月25日- 1992年6月30日 | ||
12 | アメリタ・ラモス (旧姓マルティネス) |
フィデル・ラモス | 1926年12月29日- 存命中 |
1992年6月30日- 1998年6月30日 | |
13 | ロイ・エヘルシト (旧姓ピメンテル) |
ジョセフ・エストラーダ | 1930年6月2日- 存命中 |
1998年6月30日- 2001年1月20日 | |
14 | ホセ・ミゲル・アロヨ | グロリア・アロヨ | 1945年6月27日- 存命中 |
2001年1月20日- 2010年6月30日 | |
15 | 空席 | ベニグノ・アキノ3世 | 2010年6月30日- 2016年6月30日 | ||
16* | ハニーレット・アバンセーニャ | ロドリゴ・ドゥテルテ | 1970年2月17日- 存命中 |
2016年6月30日- 2022年6月30日 | |
17 | ルイーズ・アラネタ・マルコス (旧姓アラネタ) |
ボンボン・マルコス | 1959年8月21日- 存命中 |
2022年6月30日- 在任中 |
その他の大統領の夫人
[編集]・エルピディオ・キリノは、アリシア・シキアと結婚していたが、大統領就任前の1945年に死別したため、自身の娘であるビクトリア・キリノ・ゴンザレスがファーストレディを務めた。
・コラソン・アキノは、ベニグノ・アキノ・ジュニアと結婚していたが、大統領就任前の1983年にアキノが暗殺されたため死別しており、生涯のうちに再婚することはなかった。
・ベニグノ・アキノ3世は、生涯にわたって配偶者がおらず、パサイにて開催された2015年フィリピンAPECには、自身の末妹であるクリス・アキノがファーストレディとして出席した。
・ロドリゴ・ドゥテルテは、エリザベス・ジマーマンと結婚していたが[1]、2000年に婚姻無効となっている。1996年より、ハニーレット・アバンセーニャという事実上の配偶者がいたが、ファーストレディに任命されることはなく、逆にドゥテルテは自身の娘であるサラ・ドゥテルテをファーストレディにすると宣言したが、ダバオ市長に選出されていたために拒否されている。しかしアバンセーニャは在任中、本来ファーストレディが行うべき役割を果たしている[2]。
脚注
[編集]- ^ Vanzi, Sol (26 June 2016). “Duterte's women”. Manila Bulletin. オリジナルの2 July 2016時点におけるアーカイブ。 29 June 2016閲覧. "Although Duterte has announced that his official First Lady will be his daughter Sara, Honeylet will be keeping house for the President, wherever he decides to stay."
- ^ Ranada, Pia (1 July 2017). “The evolution of Duterte's First Lady: Honeylet Avanceña”. Rappler . "Avanceña has been taking on so many tasks usually given to first ladies that even Palace photographers and captioners mistakenly called her “First Lady” in a photo release. Within hours, the Palace sent an email correcting the caption, replacing the title with “longtime partner.”"