フェディル・クリチェヴスキー
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フェディル・クリチェヴスキー (ウクライナ語: Федір Кричевський; 1879年5月22日(ユリウス暦 5月10日) - 1947年7月30日) は、ウクライナの画家。ロシア帝国ハリコフ県レベディン町出身。近代美術を代表する人物である。
来歴
[編集]キリスト教に改宗したユダヤ系の父と、ウクライナ系の母の間に生まれた。1901年にモスクワ美術学校を、1910年にサンクトペテルブルク美術学院を卒業した。1911年から1912年にかけて、クリチェフスキーはヨーロッパの主要な文化の中心地を訪問し、ドイツ、オーストリア、フランス、イタリアの美術館で世界の絵画の傑作を鑑賞しました。
1914年から1918年にかけてキエフ美術学校の教授・校長を務めた。1917年にウクライナ美術学院の創立者の一人となり、1920年から1922年の間にその学院長として活躍した。ソ連政権によってウクライナ美術学院が廃止された後、キエフ美術大学の学長となった。第二次世界大戦中にキエフにとどまったが、1943年にケーニヒスベルクに移動した。1945年にソ連内務人民委員部によって「対敵協力者」として逮捕された。キエフ郊外に在るイルピー二町へ送られて、軟禁され、餓死させらた。代表作は『人生』(1927年)。
作品
[編集]- 三連画『人生』(1927年)
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人生。恋愛
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人生。家族
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人生。帰省
参考文献
[編集]- Бондаренко Р. І., Грузін Д. В. Кричевський Федір Григорович // Енциклопедія історії України. Київ : Наукова думка, 2009. Т. 5, С. 401.
- Кричевський Федір // Українська мала енциклопедія, 1960. Т. 3, С. 770.