コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

フェリシアン・カブガ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
フェリシアン・カブガ
生誕 (1933-03-01) 1933年3月1日(91歳)
Muning, Mukarange, ビュンバ県, ルアンダ=ウルンディ
国籍 Rwandan
罪名 11 counts involving genocide
(by Rwanda), 5 counts
(by ICTR)[1]
配偶者 Josephine Mukazitoni
子供 11
逮捕日
2020年5月16日
収監場所 デン・ハーグ
テンプレートを表示

フェリシアン・カブガ(Félicien Kabuga、1933年 - )は、ルワンダの実業家。

ルワンダ虐殺時にフツ過激派側に資金供給を行い、虐殺に大きな影響を与えたとして、ルワンダ国際戦犯法廷により国際的な指名手配が行われたため1994年以降逃亡生活を送っていたが、2020年潜伏先のパリ郊外にて逮捕された。嫌疑に関しては現在も無罪を主張している。

生い立ち

[編集]

1935年、ルワンダ共和国ビュンバ県ムカランゲ郡ムニガ (Muniga) に生まれた。億万長者であったカブガは[2]、息子の婚姻関係を通じてジュベナール・ハビャリマナの党である開発国民革命運動MRND)と親密な関係を築いていった。開発国民革命運動や共和国防衛同盟 (CDR) といったフツ至上主義の政党や党の民兵組織、インテラハムウェなどに資金提供を行い、ルワンダ虐殺に協力を行った。

ルワンダ虐殺以降

[編集]

1994年7月、ルワンダがルワンダ愛国戦線(RPF)により制圧されたのを受けて国外へ逃亡。当初はスイスへ逃れたが、同国から退去を命じられた。その後は、コンゴ民主共和国キンシャサを経てケニアナイロビへ潜伏していると考えられていた。

1999年8月、ルワンダ国際戦犯法廷はカブガに対して国際逮捕令状を発行した[2]。カブガには、ジェノサイド、ジェノサイド遂行共謀、ジェノサイドの共謀などの11件の嫌疑がかけられていた[2]

2006年8月28日、ケニアを訪問中であったアメリカ合衆国バラク・オバマ上院議員は、「カブガが安全な隠れ家を得ることを(ケニアは)許容している(allowing him [Kabuga] to purchase safe haven.)」と同国に対する非難の演説を行った[3]。これを受けたケニア政府はオバマの主張を拒絶し、カブガに関する同氏の主張は「ケニア人に対する侮辱行為(an insult to the people of this country.)」であると述べた[4]

2008年6月、アフリカン・プレス・インターナショナル(African Press International:API)と名乗るノルウェー在住のブロガーが、「カブガはオスロに潜伏しており、自首を行う可能性がある」と自身のサイトで述べた。なお、警察当局は悪戯として同主張を否定した[5]

2008年6月14日、ケニアのKTNニュースネットワーク(KTN news network)は、6月13日にカブガがケニア警察により逮捕され、ナイロビのギギリ (Gigiri) 警察署に収容されていると報じた[6]。しかしながら、容疑者とされた人物はカブガではなく、事件と無関係な地元の大学講師であったことが判明したため、釈放された。

逮捕

[編集]

2020年5月16日フランスパリ北方のアニエール=シュル=セーヌで偽名を使い潜伏していたところを逮捕された[7][8][9][10][11][12][13]

脚注

[編集]
  1. ^ Amended Indictment Case No. ICTR-98-44B-I; The Prosecutor against Félicien Kabuga, 1 October 2004: [1] PDF 17 March 2011 - Amended Indictment
  2. ^ a b c How the mighty are falling, The Economist, 5 July 2007. Accessed online 17 July 2007.
  3. ^ Mathenge, Oliver (November 3 2008). “Tough speech that kicked off diplomatic feud”. The Daily Nation. http://www.nation.co.ke/InDepth/AmericaVotes/-/464300/486880/-/nxp6l6z/-/index.html 
  4. ^ http://www.communication.go.ke/media.asp?id=284
  5. ^ Rwandan war criminal reportedly in Oslo, Aftenposten, 02 June 2008
  6. ^ Risking Irrelevance: The Threat of Impunity to the African Union”. www.jurist.org. BBC (2011年8月4日). 2020年5月17日閲覧。
  7. ^ "Kenya Continues to Deny Knowledge of Felicien Kabuga’s Whereabouts"”. www.bbc.com. BBC (2020年5月16日). 2020年5月17日閲覧。
  8. ^ Rwandan genocide suspect captured in Paris suburb after decades on the run”. edition.cnn.com. CNN (2020年5月16日). 2020年5月17日閲覧。
  9. ^ ルワンダ大虐殺の重要指名手配犯、フランスで逮捕”. www.afpbb.com. AFP (2020年5月16日). 2020年5月17日閲覧。
  10. ^ 80万人が犠牲 26年前のルワンダ虐殺 容疑者の身柄拘束”. www3.nhk.or.jp. NHK NEWS WEB (2020年5月17日). 2020年5月17日閲覧。
  11. ^ ルワンダ虐殺の容疑者逮捕 仏に潜伏、26年経て裁判へ”. www.sankei.com. 産経新聞 (2020年5月17日). 2020年5月17日閲覧。
  12. ^ ルワンダ虐殺、資金提供者を逮捕 手配中、偽名で潜伏―仏”. www.jiji.com. 時事通信 (2020年5月17日). 2020年5月17日閲覧。
  13. ^ ルワンダ大虐殺の容疑者を逮捕 26年経て裁判へ”. www.chunichi.co.jp. 中日新聞 (2020年5月17日). 2020年5月17日閲覧。

参考文献

[編集]
  • 武内進一『現代アフリカの紛争と国家 ポストコロニアル家産制国家とルワンダ・ジェノサイド』、p.401、明石書店、2009年2月。

外部リンク

[編集]