コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

フェリックス・サボン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
フェリックス・サボン
個人情報
生誕名フェリックス・サボン
フルネームフェリックス・サボン・ファブレ
愛称El Líder Máximo
国籍 キューバ
生誕 (1967-09-22) 1967年9月22日(57歳)
身長198 cm (6 ft 6 in)
スポーツ
競技男子 ボクシング
獲得メダル
 キューバ
男子 ボクシング
オリンピック
1992 バルセロナ ヘビー級
1996 アトランタ ヘビー級
2000 シドニー ヘビー級
世界ボクシング選手権
1986 リノ ヘビー級
1989 モスクワ ヘビー級
1991 シドニー ヘビー級
1993 タンペレ ヘビー級
1995 ベルリン ヘビー級
1997 ブダペスト ヘビー級
1999 ヒューストン ヘビー級
パンアメリカン大会
1987 インディアナポリス ヘビー級
1991 ハバナ ヘビー級
1995 マルデルプラタ ヘビー級
中央アメリカ・カリブ海大会
1986 サンティアゴ ヘビー級
1990 メキシコシティ ヘビー級
1993 ポンセ ヘビー級
1998 マラカイボ ヘビー級

フェリックス・サボン・ファブレFélix Savón Fabré1967年9月22日 - )は、キューバヘビー級ボクサーアマチュアボクシングで活躍し、キューバ代表としてバルセロナアトランタシドニーオリンピックに出場し、3大会連続で金メダルを獲得した。身長198cm。ニックネームは“El Líder Máximo(The Maximum Leader)”。

経歴

[編集]

1980年にデビュー。1988年ソウルオリンピックはキューバがボイコットしたため出場できなかったが、1992年のバルセロナオリンピック、1996年のアトランタオリンピック、2000年のシドニーオリンピックでいずれも圧勝で金メダルを獲得した。シドニーオリンピック開会式ではキューバ選手団の旗手を務めた。

ボクシングの同一階級での3連覇は、1972年ミュンヘンからモントリオールモスクワとヘビー級で3連覇したキューバのテオフィロ・ステベンソン以来史上2人目となった。また複数階級を含めると、ハンガリーラズロ・パップ1948年ロンドンミドル級を、ヘルシンキメルボルンライトミドル級を制しており、3大会連続金メダルはサボンで3人目ということになる。

また、世界アマチュアボクシング選手権においても1992年から1997年までに6連覇[1]を達成している。

アンドリュー・ゴロタレイ・マーサーアクセル・シュルツデビッド・トゥアシャノン・ブリッグスダバリル・ウィリアムソンカーク・ジョンソンレイモン・ブリュースタールアン・クラスニキスルタン・イブラギモフなど後にプロで名を上げることになる選手の多くがアマチュア時代にサボンの前に敗北の苦杯を喫していた。サボンはこのことから「亡命してプロのリングに上がれば、すぐに世界王者になれる[2]」という意見が絶えなかった。しかしサボンは、「プロボクシングというのは結局、金とビジネスだけで成り立っており汚い。それに比べオリンピック・スタイルのボクシングは綺麗で、競技者にとって非常に重要なものがある」とコメントするなどプロ転向を頑なに否定し続け、生涯アマチュアにこだわった。

シドニーオリンピックで金メダルを獲得した後、現役引退を表明した。

通算成績は387勝21敗で、また一説には通算582戦で負けたのは19戦だけであるという。

2004年アテネ五輪でキューバ代表のトレーナーを務めた[3]

ファイトスタイル

[編集]

右オーソドックススタイル。右手は耳まで隠れるほどアップライトの位置まで上げ、左手はやや前方へ突き出した独特の構えをとる。

長身を活かしてロングレンジからのジャブで試合をコントロールする堅実なアウトボクシングを得意とする一方、優れたハンドスピードと強打でインファイトもこなすボクサーパンチャーである。全盛期の右ストレートはヘッドギアと厚いグローブを用いるアマチュアボクシングにおいても、一撃でダウンを奪う必殺の破壊力を誇った。

補足

[編集]
  1. ^ ただし、1997年の世界選手権でサボンは決勝でウズベキスタンルスラン・チャガエフに敗れている。後にチャガエフがプロとしてボクシングの試合を行っていたことが判明し金メダルを剥奪され、準優勝だったサボンが繰上げで金メダルを獲得した。
  2. ^ キューバではスポーツにおけるプロ活動が認められていないため。
  3. ^ PLUS: BOXING; Cuban Champion To Become a Coach” (英語). Nytimes.com. New York Times (2001年1月7日). 2012年12月21日閲覧。

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]